デュランデュラン:ニュー・ロマンティック・ムーヴメントの立役者

1970年当時、イギリスの若手ミュージシャンの憧れの地はバーミンガムにあるナイトクラブ、バーバレラでした。店名の由来となった映画「Barbarella」に登場したキャラクター「Durand-Durand」をバンド名に付けたのは、自分たちもいつかクラブ・バーバレラで演奏することを夢見てのこと。ところがこのバンドは瞬く間にトップバンドの座へと上り詰めてしまうのです。

デュランデュラン結成

デュランデュランの結成はデビューの3年前。デビュー当時、メンバーとして在籍していたのはニック・ローズとジョン・テイラーだけ。しかも、ジョンは当時ギターを担当していました。
ブレイク前のセックス・ピストルズやクイーン、AC/DCなどが演奏し、若手ミュージシャンの登竜門として有名だったクラブの名前にあやかって付けられたバンド名でしたが、ファースト・シングルをリリースするまでに5人が脱退を繰り返し、中々ボーカルが定まりませんでした。
業を煮やしたメンバーはオーディションを決行、ここで抜群のルックスと歌唱力を持つサイモン・ル・ボンと出会い、ようやくオリジナル・メンバーが揃うことになったのです。

一躍スターダムへ

メンバーの揃ったデュランデュランは、1981年にシングル、「Planet Earth」でデビュー。この曲はイギリスでのみ発売され、全英12位のスマッシュ・ヒットを記録。

そして同年アルバム「DuranDuran」が全英3位の大ヒットを記録し、いきなりトップ・アーティストの仲間入りを果たします。

ヨーロッパ、イギリスと精力的にツアーをこなし、セカンド・アルバム「Rio」(1982)も全英チャート2位を記録しますが、アメリカでの知名度はまだそれほどのものではありませんでした。
ワールド・ワイドな成功を夢見て、当時人気絶頂だったポップ・バンド、ブロンディのオープニング・アクトとして全米ツアーを帯同するなどの地道な活動の結果、ファースト・アルバム「DuranDuran」が全米10位、セカンド・アルバム「Rio」が全米6位を記録する大ヒットに。
押しも押されもせぬトップ・バンドとなったデュランデュランは、その際立ったルックスやグラマラスなファッション、パンクやサイケ、パワーポップをたくみに取り入れた独特な音楽から、ニュー・ロマンティック・ミュージックの旗手としてもてはやされることになります。

新しいプロジェクトへの挑戦

3枚目のアルバム「Seven and the Ragged Tiger」(1983)も全英1位、全米8位と好セールスを記録した後、メンバーは多大なストレスと人間関係改善のため、サイドプロジェクトの始動を決めます。
ギターのアンディ・テイラーとベースのジョン・テイラーは、ファンク・バンドとして一時代を築いたシックのドラム、トニー・トンプソンと後にグラミー賞最優秀ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞することになるロバート・パーマーをボーカルに迎えてパワー・ステーション(The Power Station)を結成。

ファースト・アルバム「The Power Station」(1985)はいきなり全米6位、全英12位の大ヒットを記録します。ワールド・ツアーも組まれたのですが、ボーカルのロバートが自身のレコーディングのために参加できず、元シルヴァーヘッドのボーカル、マイケル・デ・パレスを代役に立てて行われました。
その後もパワーステーションは再結成されており、3枚のアルバムと4曲のシングルがリリースされています。

一方ボーカルのサイモン・ル・ボンとキーボードのニック・ローズ、ドラムのロジャー・テイラーの3人はアーケイディア(Arcadia)を結成、豪華ミュージシャンをゲストに招き、アルバム「So Red the Rose」(1985)をリリースします。
このアルバムには、ポリスのベース・ボーカルのスティング、ジャズピアニストのハービー・ハンコック、ピンク・フロイドのギタリストのデヴィッド・ギルモア、ロキシー・ミュージックのサックス奏者、アンディ・マッケイなど錚々たる顔ぶれが参加しており話題をさらいました。

このアルバムからは全米6位のヒット・シングル「Election Day」を始め5曲がシングル・カットされており、いずれもスマッシュ・ヒットを記録しています。

停滞期へ

サイドプロジェクトという充電期間を経たにもかかわらず、ロジャー(Dr)とアンディ(Gt)がデュランデュランから脱退。
後任には、元ミッシング・パーソンズのウォーレン・ククルロ(Gt)とアヴェージ・ホワイト・バンドのスティーヴ・フェローン(Dr)が参加し活動を継続させます。
1988年には新メンバーとなって初のフル・アルバム「Big Thing」をリリースし、全米24位を記録、シングル・カットされた「I don’t Want Your Love」は全米4位のヒット曲となりました。

幸先の良いスタートを切ったかに見えましたが、その年の暮れにはドラムのスティーヴが行方不明となり、そのままバンドを脱退してしまいます。以後は、後任のドラムは加えずに4人で活動を続けることになります。

デュランデュランのおすすめアルバム

意外なことにデュランデュランのアルバムには、スタジオ盤、ライブ盤を含め全米1位を獲得したものはありません。最高順位は2019年時点ではセカンド・アルバム「Rio」の6位となっています。
「Rio」には全英2位を記録した「Save a Prayer」やアメリカ進出のきっかけとなった「Hungry Like the Wolf」といった名曲が収録されていますが、ここでは3枚目のアルバム「Seven and the Ragged Tiger」をおすすめします。

このアルバムが発売された1983年は、ちょうどMTV全盛の時代ということもあり、彼らのビデオ・クリップは毎日のように放映されており、まるでグラム・ロックに傾倒していた若き日のデヴィッド・ボウイを彷彿させるようなサイモンの整った容姿を目にした方も多かったのではないでしょうか。

このアルバムには、初の全米No1シングルとなる「The Reflex」をはじめ、同じく3位を記録した「Union of the Snake」と初期のデュランデュランを代表する名曲が目白押しなのです。

大胆にシーケンサーやシンセを導入しつつも、どこかグラム・ロックの雰囲気を感じさせる彼らのスタイルはまさにニュー・ロマンティック。
もっとも勢いを感じさせるアルバムに仕上がっています。オフィシャル・ビデオも凝っており「Union of the Snake」は、ボーカルのサイモン・ル・ボンのルックスと、大規模な特撮によってまるでハリウッド映画の大作を見ているような錯覚さえ起こさせる素晴らしいものでした。

このアルバムからは、この2曲以外にも「New Moon on Monday」がシングル・カットされており10位を記録していてシングル・カットされた3曲がいずれも全米Top10に食い込む大ヒットとなっています。

またデビュー当時の研ぎ澄まされたようなビート感とは違いますが、デュランデュランの復活を決定づけた「A.K.A. ”The Wedding Album”」(1993)も評価の高いアルバムです。

当時バンドに在籍していた、サイモン、ジョン、ニック、ウォーレンの両親の結婚式の写真をジャケットにデザインしたこのアルバムからは、アメリカだけで4曲、国ごとに集計すれば全部で7曲がシングル・カットされる大ヒットアルバムとなったのです。

中でも、「Ordinary World」と「Come Undone」はそれぞれ全米3位、7位を記録し世代を超えたデュランデュランのファンを獲得することに成功しました。

現在のデュランデュラン

2001年から2006年まで、一時期バンドを離れていたロジャーとアンディが加わり、全盛期のデュランデュランとして活動を続けていましたがアンディが音楽業界から引退してしまったため現在は4人で活動を継続しています。

2015年にはおよそ5年ぶりとなるニュー・アルバム「Paper Gods」をリリース。
全英5位、全米10位と人気の高さは健在です。2018年には結成40周年を迎えたデュランデュランですが、ワールド・ツアーに新作のレコーディングとまだまだその勢いは止まりそうにありません。

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