プリンス : 80年代の革命的3部作

プリンスとは

プリンスは、1980年代にマイケル・ジャクソンやマドンナと並び、一世を風靡したミュージシャン。1984年にリリースしたアルバム「パープル・レイン」は全米で1300万枚のセールスを記録し、ビルボードのアルバム・チャートでは24週連続1位を記録した。ブラック・ミュージックをベースとしながらも、その枠から大きくはみ出した独自の音楽性は多くのロックファンからも支持された。その後、2016年57歳の若さで死去。

デビューまで

プリンスは1958年ミネソタ州ミネアポリスで生まれた。両親がミュージシャンという環境下で育ち、ブラック・ミュージックのみならず、様々なジャンルの音楽の知識と数多くの楽器の演奏力を身につけていく。

そして19歳になった1977年に、大手レコード会社ワーナー・ブラザーズと契約。高額の契約金以上に彼がこだわったのはセルフ・プロデュースの権利だったと言う。当時のブラック・ミュージックの世界ではシンガー、ソングライター、演奏者、プロデューサーなどの分業制が当たり前だった時代で、プリンスのこだわりは非常にユニークだったと言えるだろう。

デビューからヒットまで

 (For You)

1978年全ての演奏も彼自身がこなしたアルバム「For You」でデビュー。1979年発売のセカンド・アルバム「Prince」ではファルセットを多用したセクシー路線を確立し(中にはバンビのような激しい曲もあるが)、その中から「I Wanna Be Your Lover」という最初のヒット曲が生まれた。また、このアルバムに収録されていた「I Feel for You」も後にチャカ・カーンによってカバーされ、大ヒットしている(1984年)。続いて、1980年にデモテープ用だった作品を発表し、過激過ぎるセクシーな歌詞で問題を起こした「Dirty Mind」、1981年に同タイトル曲がヒットし、ファルセット以外のボーカルスタイルにも幅が出てきた「Controversy」と立て続けにアルバムをリリースした。そして、1982年に発表したアルバム「1999」が全米で400万枚を売り上げる大ヒットを記録し、プリンス自身もついに大ブレイクを果たした。アルバムからシングルで発売された「Little Red Corvette」、「1999」、「Delirious」の3曲が全米トップ10入りを果たしている。

「パープル・レイン」で大ヒット

(プリンス/パープル・レイン)

1984年、プリンスは冒頭にも述べた大ヒットアルバム「パープル・レイン」を発表。このアルバムは、自身が主演する同名映画のサウンドトラックとして発売された。ベース・ラインがない奇妙で独特なR&B「When Doves Cry」と、プリンス自身のラフなギターが響く「Let’s Go Crazy」の2曲がシングルでも全米No.1となった。プリンスはこのアルバムで商業的な成功を収め、マイケル・ジャクソンやマドンナらと並ぶ80年代を代表するスーパー・スターとなったのである。

「パープル・レイン」以降

「パープル・レイン」に熱狂したファン達はすぐにプリンスの次回作を待っていた。この大ヒットアルバムに収録されていた数々のキャッチーでポップな楽曲たちの続編を皆が期待していた。どんなミュージシャンでも大ヒットの後の作品を作る時には相当なプレッシャーがかかるのは当然だろう。ちなみにマイケル・ジャクソンも「スリラー」から「バッド」をリリースするまでに約5年がかかっていた。

 (Around the World in a Day)

しかし、プリンスは翌年の1985年に新作「Around the World in a Day」をリリースした。そしてこれがすべての「パープル・レイン」のファンを裏切るとんでもない問題作であった。

このアルバムは「パープル・レイン」製作時に同時並行で制作されたとの噂があったが、作品の中には「パープル・レイン」の余韻は全くなく、まさに表と裏という感じであった。ポップなメロディもリズムもない、サイケデリックで60年代のオールドファッションなイメージながらも完全に新しい領域での独特のサウンドは、プリンスが全くコマーシャルな成功を期待していない、確信犯的な実験アルバムの意図をはっきりと感じられた。

(「Parade」/Christopher Tracy’s Parade)

続けて1986年、映画「アンダー・ザ・チェリームーン」のサウンドトラックとしてアルバム「Parade」が発表される。ここでプリンスには「パープル・レイン」風に路線を戻そう、という意思が全くないことが明らかになる。前作のサイケデリックな雰囲気のサウンドから、とてもラジカルでプリンス版の新しいファンク・ミュージックのような雰囲気に変化していた。とても実験的な音ではあったが、サウンドトラックということもあり前作よりはややドラマティックでメロディアスな部分が多く、プリンスの実験の方向性が幾分かリスナー達にも分かってきたような感じが残った。

 (Sign O’ The Times)

そして翌年の1987年、実験的3部作の完結となるアルバム「サイン・オブ・ザ・タイムズ」が発表される。「Around the World in a Day」とも「Parade」とも全く異なった革新的なサウンドは、既に音楽ジャンル=プリンスと呼べるような独創性と多様性を持っていた。また前2作ではあえて不足させていたポップな大衆性と感動的なドラマティックさが加わり、ポップでありながら挑戦的でもある、という他に類を見ないレベルのアルバムが誕生した。新しい音楽のスタイルの誕生といえる貴重な瞬間であった。

「パープル・レイン」の成功の後で、商業的成功と名声にあえて背を向けて作られたにも関わらず、3部作の中でかつては混乱していたリスナーが徐々にプリンスの壮大な実験を理解し、受け入れ、そして最終的に評価(絶賛)した。「パープル・レイン」の狂騒から、わずか3年でプリンスは遥かに高い次元まであっという間に登りつめ、ポップ・ミュージックの革命を完結したのである。

ライバル: マイケル・ジャクソン

ここでプリンス最大のライバルであったマイケル・ジャクソンについても触れておきたい。

マイケルもプリンスと同じ1958年生まれ。この2人の天才が同じ時代、さらに同じ年に誕生したことは大変興味深い(ちなみにマドンナも1958年生まれ)。マイケルは、プリンスより遥かに早いわずか11歳にしてジャクソン5のメンバーとしてメジャーデビューし、大ヒットを飛ばしている。1971年にソロデビュー。そして1979年プロデューサーであるクインシー・ジョーンズと共にアルバム「オフ・ザ・ウォール」を作り上げ、新しい時代のソウル・ミュージックのスタイルを提示してみせた。その後マイケルはMTV時代に適応するようにミュージックビデオで革新的な歌とダンスを魅せ、アルバム「スリラー」、「バッド」を大ヒットさせた。ちなみに「スリラー」は全米で通算37週に渡りNo.1になり、史上最も売れたアルバムとなった。2012年時点で売上枚数は全世界で6500万枚としてギネス記録に認定され、今でもまだ売れ続けている。

(マイケルジャクソン/スリラー)

プリンスが商業的な成功の後、それを維持しようとせずに音楽的イノベーションに向かったのに対し、マイケルは対照的に「キング・オブ・ポップ」への王道を進んでいった。そうしてマイケル・ジャクソンは元々黒人だけのものだったブラック・ミュージックを、世界中の万人向けのポップ・ミュージックへと引き上げた最大の功労者となったのである。1985年アフリカの飢餓救済のためにアメリカの様々なジャンルの大物ミュージシャンが「USA・フォー・アフリカ」として一堂に会し、「ウィ・アー・ザ・ワールド」をレコーディングした際、マイケル・ジャクソンとプリンスが共演するのでは、という噂があったが、プリンスのキャンセルにより実現しなかった。マイケル・ジャクソンもプリンスに先立つこと7年、わずか50歳にてこの世を去っている。

「サイン・オブ・ザ・タイムス」以降

その後のプリンスは、発売を急遽中止した「The Black Album」が世界中の海賊盤市場で溢れたり、その代わりに発売した本人の全裸姿がジャケットのアルバム「Lovesexy」で1曲1曲の曲間が全くなく、曲を飛ばして聞くことができないような作品をリリースしたり、レコード会社であるワーナー・ブラザーズと大喧嘩したり、プリンスというアーティスト名を捨て、文字として読めないマークを名前の表記にしたりなどと様々な事で世間を騒がせた。高額のファンクラブサイトで未発表曲や即席ライブを提供し、チケットが余っていたジャズ・フェスティバルがプリンスの出演が決まった瞬間にソールドアウトになったという話もあった。音楽的にも良質でハイクオリティな作品を作り続けたが、80年代のように音楽界に革命をもたらすような事はなかった。

※ペイズリーパークの柵に飾られているファンからの数々の追悼品

そして2016年4月21日鎮痛剤の過剰摂取による中毒死によって亡くなった。没後にはいくつかの未発表曲を発売している。彼のスタジオであるペイズリー・パークには、まだまだ未発表の音源が眠っているかもしれない。

革命的3部作の今

当時あれだけ革新的だったプリンスの3枚の実験的なアルバムは、今聴くと実はそれほど驚かれたりはしない筈だ。何故なら、プリンスや、プリンスに影響を受けたミュージシャン達によって、当時の音が大衆的だと感じるほどリスナーの音楽センスが変化したからだ。それは1997年当時「これはロックか否か」という論争にまでなったレディオヘッドの「OKコンピューター」が、今ではとてもポップなロック・アルバムに聴こえるのと同じ事だ。音楽家プリンスの最大の功績は、80年代に商業的な成功を捨ててまで、実験的3部作を完成させた事ではなく、当時は革新的だった音さえも今ではポップだと思わせるほど、我々リスナーの耳を進化させてくれた事なのかもしれない。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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