トマス・ハリス:ハンニバルはこうして生まれた

アメリカの小説家、トマス・ハリス。彼の名前にはピンとこなくても、ハンニバル・レクターの名は聞いたことがあるでしょう。そう、トマス・ハリスこそが世界的に有名な猟奇殺人犯、ハンニバル・ザ・カニバル(人食いハンニバル)の生みの親なのです。恐ろしく知的で品がよく、残忍で、人の悲しみや苦しみに頓着しない、それでいて無性に人を惹きつけてやまない至高の悪役、ハンニバル・レクター。本記事ではそんな彼の誕生経緯に迫ります。

謎多き寡作家、トマス・ハリス

(Black Sunday movie clip)

ウィリアム・トマス・ハリス3世は、1940年4月11日に、アメリカのテネシー州で生まれました。

ベイラー大学を卒業したトマス・ハリスは、地方紙「ニューズ・トリビューン」の記者として働き始めます。その後、ニューヨークのAP通信社でデスクに就任。これらの期間に犯罪世界への造詣を深めたトマス・ハリスは、やがてその知識をもとに小説を書き始めます。それが彼のデビュー作『ブラック・サンデー』(1975年)です。

パレスチナゲリラによるテロを描いた『ブラック・サンデー』はアメリカで大ヒットを記録しましたが、2作目となる『レッド・ドラゴン』刊行までには、実に6年もの歳月が流れています。トマス・ハリスは非常な寡作家であるため、40年以上に渡る作家人生の中で、彼はたったの6作品しか執筆していないのです。『ブラック・サンデー』でトマス・ハリス作品の虜になった人たちは、なかなか次回作の発表がないことにヤキモキさせられたことでしょう。

大衆の前に姿を現さず、謎の多い作家としても知られるトマス・ハリス。元記者らしく、端的かつ臭みのない文体でリアルに描写される凄惨な事件と、複雑に入り組んだプロットは、他の推理小説とは大きく一線を画しています。ページをめくるたび怒涛のように押し寄せる情報の波には、きっと誰もが度肝を抜かれることでしょう。

ハンニバル・レクターとは

トマス・ハリスが世に送り出した最も有名なキャラクター、ハンニバル・レクター。著名な精神科医というマスクの下に、恐るべきカニバリストの素顔を隠した猟奇殺人犯です。映画『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンスが見せた怪演により、小説愛好家だけでなく、広く世間にその名を知らしめることとなりました。

小説『レッド・ドラゴン』で脇役として初登場を果たし、その存在感を惜しまれ、次作『羊たちの沈黙』では晴れてメインキャラクターに格上げされたハンニバル。その後、映画の大ヒットを受けてシリーズ化され、その名を冠した作品『ハンニバル』や、彼の半生を描いた『ハンニバル・ライジング』が刊行されることとなります。

恐ろしい殺人鬼でありながら、圧倒的な存在感とカリスマ性で人を惹きつけるハンニバル・レクター。作中では彼の持ち物がオークションにかけられ、コレクターらの間で高額取引されている様子や、獄中のハンニバルに意見を求める学生らがこぞって手紙を送ってきている様子などが描かれています。

もちろん、その人気ぶりは作中のみに留まらず、アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)による「AFIアメリカ映画100年シリーズ」では、『アメリカ映画の悪役ベスト50』で堂々の第1位に輝いています。

では、ハンニバル・レクターとはいったいどんな人物なのでしょうか。

ハンニバル・ザ・カニバルの目覚め

※画像はイメージです。

ハンニバル・レクターは、1933年にリトアニアで生まれました。

イタリアの名門貴族を祖先に持つ父と、ヴィスコンティ家の末裔である母の間に生まれ、可愛い妹・ミーシャと共に育ったハンニバルは、精神的・金銭的に大変恵まれた幼少時代を送ります。

ハンニバルの優れた頭脳は幼少時代からすでに花開いており、2歳で文字の読み書きを覚え、6歳になるころには英語・ドイツ語・リトアニア語の3ヶ国語を習得していたといいます。また、8歳のときには、ハンニバルの類まれなる記憶力を支える「記憶の宮殿」を用いた記憶術を会得し、家庭教師を驚嘆させます。

そんなハンニバルを両親は深く愛し、妹のミーシャも心から彼を慕いました。

実在する猟奇殺人犯の多くは、家庭環境に大きな問題があったことが報告されています。両親の離婚や暴力、性的虐待や、異常なまでの教育熱…。ハンニバルの幼少期は、そうした悲惨な家庭環境とは大きくかけ離れていました。

それなのになぜ、ハンニバル・レクターはおぞましい殺人鬼へと変貌してしまったのでしょうか。それには、戦時中のあるショッキングな出来事が深く関わっていたのです。

ハンニバルの運命が決定的に変わってしまったのは、第二次世界大戦中の1944年のことです。東部戦線の拡大を受け、一家揃って山間部の別荘へと避難したハンニバルでしたが、そこでドイツ軍とソ連軍との戦争に巻き込まれてしまいます。

その時の戦闘で両親が死亡。幼い妹ミーシャと二人きりになってしまったハンニバルは、リトアニアの対独協力者たちに囚われ、別荘で生活を共にすることとなります。

しかし、大寒波によりやがて食料が尽き、飢えに耐えかねた対独協力者たちは、衰弱が激しかったミーシャを殺害。ハンニバルの眼前でその肉を食べて空腹を凌ぐという非人道的な残虐行為に及びました。

あまりのショックにハンニバルはその時の記憶を自ら封印。深すぎる精神的ダメージのために、失語症(正確には失声症と思われる)を発症してしまいます。

この時の経験がきっかけでハンニバルの食人癖が開花し、のちに「ハンニバル・ザ・カニバル」と呼ばれるようになるのです。

※画像はイメージです。

その後、叔父夫婦に引き取られたハンニバルでしたが、この時の経験は悪夢となってハンニバルの心を蝕み続け、彼の狂気を加速させていきます。

そしてとうとう、叔母のムラサキ夫人が侮辱されたことをきっかけにハンニバルの残虐性が発現してしまいます。ムラサキ夫人が所有する日本刀を持ち出し、夫人を侮辱した男を殺害してしまうのです。これがハンニバルにとって初めての殺人となりました。

さらに、別荘での惨劇の記憶を取り戻したハンニバルは、妹ミーシャの仇である対独協力者たちへの復讐を開始します。彼は、冷酷になんの慈悲もなく次々と男たちを殺していきます。

一連の殺人で目覚めたハンニバルの暴力性は、成人後、精神科医として大成してからも消えることはありませんでした。

自らの患者を殺害してはその肉を食らい、時には訪問客らに人肉料理を提供する…。後に9人殺害犯として逮捕されるまで、ハンニバルのおぞましい行為は止まりませんでした。

ハンニバルのモデルとなった実在する殺人犯たち

ハンニバル・レクターには、モデルとなった実在の殺人犯が複数存在するといわれています。

まず一人目は、アルバート・フィッシュです。1910年から1934年にかけて400人もの児童を殺害したと自供しており、アメリカ犯罪史上最悪の殺人鬼と呼ばれています。

満月の日に犯行が多く行われたため、「満月の狂人」とも呼ばれたアルバート・フィッシュ。彼にはカニバリズム衝動があり、その肉を食べるためだけに犠牲となった子供もいたそうです。

二人目は、ハンサムで知的な猟奇殺人犯、テッド・バンディ。連続殺人犯を表す「シリアルキラー」という単語が生まれるきっかけとなった犯罪者で、アメリカで30人以上の女性を殺害したとされています。

暴力的な殺人鬼のイメージとは程遠い「インテリさ」を持ったバンディ(彼はそれを「演じていた」といわれていますが…)。ハンニバルの博識さや品の良さは彼の存在に影響されたのかもしれません。また、バンディは収監中に未解決の連続殺人事件への捜査協力を申し出ていますが、これもFBIの捜査協力に応じるハンニバルと通ずるところがあります(『羊たちの沈黙』)。

こうした猟奇殺人犯が実在していたと思うと心底ゾッとさせられます。

きっと、トマス・ハリスはこうした殺人犯のことを入念に取材しつくしたに違いありません。その結晶が、世にも恐ろしい殺人鬼、ハンニバル・レクターだったのです。

さいごに

※画像はイメージです。

この記事ではトマス・ハリスの創作キャラクター、ハンニバル・レクターの誕生経緯に焦点を当ててご紹介しました。

ハンニバルというキャラクターは知っていても、その生まれたきっかけはあまり知らないという方も多かったのではないでしょうか。

『羊たちの沈黙』や『ハンニバル』など、成人してからのハンニバルは冷静沈着で余裕たっぷりの大人そのものですが、そんな彼にも無垢な幼少時代や衝動的だった青年時代があったと考えると、よりキャラクターに深みが感じられますよね。

トマス・ハリス作品を未読の方は、この機会にぜひ書籍を手に取ってみてはいかがでしょうか。時系列順では『ハンニバル・ライジング』、『レッド・ドラゴン』、『羊たちの沈黙』、『ハンニバル』となりますが、まず『羊たちの沈黙』を読むことをおすすめします。ハンニバル・レクターの魅力が詰まりに詰まったこの一冊を読み終えるころには、きっと、ハンニバル・ザ・カニバルの虜となっていることでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧