「QUEEN:今も愛される伝説」

QUEENは1973年にデビューしたイギリスのバンドで、世界的に有名なアーティストであり、そして今なお現役で活動する偉大なロックバンドである。(公式サイトでは4人が揃った1971年をデビュー日としている)

QUEEN公式サイト

QUEEN

人気絶頂の1991年にメインボーカルのフレディ・マーキュリーが死去、その数年後にはベースのジョン・ディーコンも事実上の引退をしてしまった。

しかし現在もギターのブライアン・メイとドラムのロジャー・テイラーの2名で活動している。

シンプルながら計算されたメロディ、印象的なリズム、圧倒的な歌唱力に度肝を抜くパフォーマンス、そのすべてが世界中に感動と興奮を与えている。

「ボヘミアン・ラプソディ」というQUEENの楽曲と同名の映画がある。

このコラムでは彼らの足跡を歴史に沿って順に追ってみよう。

(We Will Rock You)

QUEEN 結成からデビューまで

ブライアン・メイとロジャー・テイラーの前身バンド「スマイル」にフレディ・マーキュリーが加入し、遅れてジョン・ディーコンが加入したことでQUEENが誕生する。

男性4人組がイギリスで「女王」という名でバンド活動をすることにレコード会社も難色を示したが、彼らは力強い意志とともに「QUEEN」を名乗って活動を開始した。
しかしデビューアルバムはその名前にふさわしいバンドとは言えなかった。

60年代から70年代のイギリスのミュージックシーンにおいてはジャンルやムーブメントの変化が早く、1作目「戦慄の王女」はレコーディングに2年ほどの時間がかったうえに本人たちも満足のいく結果ではなかったのである。

とはいえこの頃から既にQUEENの持ち味であるメンバー全員での作曲による曲の多様性と、当時から既に彼らの代名詞となるオーバーダビング(コーラスを何度も同じように録音すること)によるオーケストラのような重厚で壮大な楽曲に仕上がっている。

成績は振るわずともアルバムはアメリカの批評家に高評価を得ていたなど、既に期待と注目を集めていた。

(「戦慄の王女」/keep yourself alive)

スターダムへ上り詰めた黄金期

2作目のアルバム「QUEEN2」で彼らはスターダムを駆け上っていくことになる。

彼らのバリエーション豊かな楽曲はイギリスで認められ、アメリカをはじめとした国外でもヒットするようになったのである。

その後もディープパープルのアメリカツアーの前座を務め、手応えをつかんだことで積極的に単独の世界ツアーに乗り出すようになっていった。

(「QUEEN2」/Father To Son)

続く3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」、4枚目のアルバム「オペラ座の夜」でのヒットで彼らの人気はイギリスでゆるぎないものとなる。

なかでも4枚目のアルバム前に先行販売されたシングル曲「ボヘミアン・ラプソディ」はイギリスで9週連続売上首位を記録し一世を風靡した大ヒット曲である。

(ボヘミアン・ラプソティ)

しかし1983年に突入するとQUEENはそれぞれがソロ活動を始めるようになる。

その当時はQUEENの不仲説や解散説が巷を騒がせていたが、これは絶え間ないにツアーに疲れきったメンバー達が、それぞれの活動時間を得るために始まったものだという。

(Freddy Mercury in Madame Tussauds of London)

かつてQUEENが誇った人気にも陰りが見え始め、解散の文字が現実味を帯びてきたまさにそのとき、再び大きなターニングポイントを迎えることになった。
それは1985年のチャリティライブイベント「ライヴエイド」である。

数多くのミュージシャンが集ったこのライブイベントにおいてQUEENは他を寄せ付けない圧倒的なパフォーマンスを披露した。
この映像は世界中に衛星放送で流れ、QUEENが世界一のパフォーマンスで観客を魅了するバンドだと思い知らせた。
それは当時のQUEENに対する評価を大きく覆すことになると同時に、バンドメンバー全員の結束をより強くすることにつながった。

フレディの抱えたコンプレックス

(Freddy Mercury in Madame Tussauds of London)

誰しもが皆コンプレックスというものを抱えているだろう。
それは光の強さや角度によって深く広がっていく影のように伸びていき、人の心を覆いこんでしまう。
そんな風にQUEENのボーカルのフレディも目に見えない何かと闘い、あがいていた。

フレディはイギリス領の東アフリカで生まれ、幼少期をインドで過ごした。ピアノを教わってからはピアノを弾き語って遊んでいたような、心から音楽を愛した少年だった。彼はやがて紛争を避けイギリスに移住した。

何年か経ってデザイン学校を卒業した後、恋人と古着屋を営みながらバンドを組んで音楽活動を続け、QUEENを結成するまでバンドを渡り歩いていた。

社会人として働いていた当時の同僚は、音楽に興味を示すとても大人しい青年だったと語っている。
ライブツアー後はとてつもない豪遊を繰り返していたというフレディ。
「ライヴエイド」以降も精力的にCDリリースを始めたがライブ活動は行われることはなかった。

1987年ごろからフレディはエイズに感染していたといわれており、1991年11月、記者会見を開いたフレディは自身がエイズであることを告白し、その翌日帰らぬ人となった。

  ( Freddie Mercury/ Living On My Own (Remix))

フロントマンの死 QUEENの転換期

世界はその訃報をショックと悲しみともに受け入れた。
バンドにおいてフロントマンの不在は致命的であるため、フレディ・マーキュリー急逝はQUEENの終焉を告げるはずだった。
しかし、皮肉にもフレディ・マーキュリーの死がQUEENを伝説にさせたのである。

QUEENはその後も新曲をリリースし、様々なイベントに参加したり、ロックミュージシャンのポール・ロジャースと組んでツアーを行い、当時のファンのみならず多くの新しいファンを新規開拓したりと積極的な活動を続けていた。
QUEENは活動休止をしたことはあったが、一度も解散したことはない。

現在もメンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラー両名は「解散することはない」と明言し、存在し続けている。

生きる伝説のこれから

映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、製作が発表されてから監督の交代や主役の降板など様々な苦難が襲い掛かったのだが、約10年もの歳月をかけてようやく誕生したQUEENの伝記ミュージカル映画である。もちろんこの映画の製作にはブライアン・メイとロジャー・テイラーが携わっている。

QUEENは結成から半世紀を迎えようとしているが、これからも私たちの心を掴んで離さず我々を魅了し続けるだろう。

もしこのコラムを読んで彼らに少しでも興味を抱いたなら、是非楽曲を聴いてほしい。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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