ジャン・フォートリエ:大いなるブランク

「ジャン・フォートリエ」はアンフォルメル(非定形)の旗手と呼ばれ、1900年代初頭から中盤にかけて活躍したアーティストです。常に制作をしていた訳ではなく、ブランクもあるフォートリエ。彼は一時期、制作活動から離れてアルプスの山中にこもりスキー三昧の生活を送っていたといいます。作品はもとより、その生き方にも興味が尽きないアーティストです。

■「ジャン・フォートリエ」について

「ジャン・フォートリエ」は、アンフォルメルの旗手として知られたフランスの画家・彫刻家・版画家です。

ジャン・フォートリエ(Jean Fautrier)は1898年5月16日にパリで生まれ、母親は未婚のままフォートリエを私生児として生みました。幼少期は祖母が育て、10歳のときに祖母が亡くなると、母親とともにイギリスのロンドンに移り住みます。

ターナーの作品が多く所蔵されている「テート・ブリテン」

フォートリエは14歳の時にロンドンの「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」へ入学しましたが、アカデミックで堅苦しい教育方針に嫌気がさし、別の美術学校へ転校しました。しかし、そこも彼には合いませんでした。美術学校でのアカデミックな教育に失望したフォートリエは、美術館や博物館で多くの時間を過ごすようになります。とりわけ「テート・ギャラリー」によく通い、展示されている「ウィリアム・ターナー」の作品に強い衝撃を受けました。

1922年、24歳のときにパリの「サロン・ドートンヌ」に初出品します。その後1924年にはパリの「Galerie Visconti」で初めての個展を開いています。翌年には「Galerie fabre」で、1928年には「Galerie bernheim」で個展を開催しました。

1931年の「サロン・デ・チュイルリー」と「サロン・ドートンヌ」での展示を最後に、制作資金が底をついたフォートリエはしばらく制作活動を離れます。1934年からはフランス南西部の、イタリアと国境を接するアルプスのリゾート地「ティーニュ」に移り住み、スキーのインストラクターとジャズクラブを経営して生計を立てました。

アルプスの山の中でスキー三昧の生活を送る日々、その間フォートリエは一切の制作活動を中止しています。このブランクの後、フォートリエは1940年にパリへ戻り制作を再開します。

第二次世界大戦が勃発する最中、再びパリにアトリエを構えたフォートリエは22の頭部をモチーフにした彫刻作品を制作しています。1943年にナチスのゲシュタポ(秘密国家警察)に逮捕されますが、友人の手助けでパリから逃走することができました。
フォートリエが、フランス市民に与えられたナチスの拷問や残虐行為を証言したというのが逮捕容疑だったといわれています。

ゲシュタポから逃れたフォートリエは、パリ近郊の「シャトネ=マラブリー」のアトリエに隠れ住みます。このアトリエで後にフォートリエの代表作となる「人質シリーズ」の絵画と彫刻作品を制作しています。

パリが開放された後の1945年に「Galerie Rene Drouin」で個展を開き、絵画作品と彫刻作品を発表しました。このあと詳しく紹介する「人質シリーズ」もここで発表されます。このシリーズにはミクストメディア(絵の具だけでない石膏やさまざまな素材を組み合わせた表現)という手法や、厚塗りの絵肌をキャンバスナイフで鋭くひっかく表現方法が使われており、当時のパリ美術界に衝撃を与えました。

以降、フォートリエ独自のミクストメディアによる表現手法が確立することになります。1960年にはヴェネチア・ビエンナーレで大賞を受賞しました。

その後1964年7月21日にフランスの「シャトネ=マラブリー」で亡くなりました。
フォートリエの作品は、シカゴ美術館、ニューヨーク近代美術館、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー、ロンドンのテート・ギャラリー、パリのオルセー美術館など世界中の著名な美術館が所蔵しています。

シャトネ=マラブリーの風景

■「ジャン・フォートリエ」の作品について

「ジャン・フォートリエ」の存在を世界に知らしめたのは、戦争を逃れて「シャトネ=マラブリー」へ避難していた時期に制作した「人質シリーズ」です。戦争の悲惨さを痛感することで、この作家の作風は大きく変化しました。

「人質シリーズ」は、ナチスドイツによるパリ占領下で、人質になり拷問・処刑された人たちがモチーフです。特に人物頭部をモチーフにした「人質の頭部」の連作は、戦争中の人質の悲しみや苦しみを抽象化させて表現しています。

戦争が終了してからの作品の変遷にも注目すべき点があります。
「富山県立近代美術館」が所蔵している「シーソーのシステム」に代表されるように、デッサンから離れ、ミクストメディアによる表現が中心になります。
ミクストメディアという技法を用いることで、デッサンで描写することがかなわないリアリティの表現をしようとしたのです。

■「ジャン・フォートリエ」の大いなるブランク

フォートリエは制作活動から離れていた期間があるアーティストです。イタリア国境に近いリゾート地「ティーニュ」で、スキーのインストラクターやジャズクラブのオーナーとして過ごしていたこのブランクの期間は、その後の制作活動に大きな影響を与えています。ぜひブランク前後の作品を見比べてみてください。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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