レッド・ツェッペリン:誕生とヤードバーズの失脚

レッド・ツェッペリンは、今もなおファンを魅了し続けている最高のバンドです。そんなレッド・ツェッペリンが誕生したのは、ヤードバーズの崩壊がきっかけでした。たった一人取り残されたギタリストのジミー・ペイジはもう一度ヤードバーズを始動させるために動き出します。

ハードロック界の頂点を極めたレッド・ツェッペリン

ハードロック界に燦然と輝くロックバンド、レッド・ツェッペリンはロック界に数多くの名曲を残しました。「Whole Lotta Love」や「Black dog」は個性的なリフとパワフルさを持ち合わせており、レッド・ツェッペリンらしい雰囲気が滲み出ている名曲です。
そして「Stairway to Heaven」はロック音楽評論家だけでなく、クラシック音楽を専門にした評論家からも「構成が素晴らしい」という評価を受けています。

そんなレッド・ツェッペリンは、「地元の友人とバンドを組んで売り出す」という当時の主流とは違った流れをたどってきました。
レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジが、バンドメンバーに見捨てられたことから誕生したバンドがレッド・ツェッペリンなのです。

ヤードバーズの失脚

レッド・ツェッペリンを語る上で無視できない存在が1962年から活動を開始したイギリスのバンド、ヤードバーズです。1965年にエリック・クラプトンが脱退したことをきっかけに、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが加入します。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」でヤードバーズは第89位に選ばれています。

ジェフ・ベック

1966年のヤードバーズは、ギタリストのジェフ・ベックとジミー・ペイジがギターの才能とスター性を十分に発揮していたため、イギリスだけでなくアメリカでもよく売れました。
しかし、このとき問題も抱えていました。それはジェフ・ベックがバンドにあまり参加しなかったことです。
セッションやライブでギターは2人必要なのにも関わらず、ジェフ・ベックは参加せずにジミー・ペイジのみで演奏していたことも多々あったそうです。後にジェフ・ベックはフェードアウトするようにヤードバーズから抜けてしまいます。
ジェフ・ベックがいた時代のヤードバーズは、ポップやブルースをメインにした音楽を演奏していました。

ジミー・ペイジ

それから、ヤードバーズの舵を握るようになったジミー・ペイジはヤードバーズを自分色に染め上げようとします。ヤードバーズの後期の作品を聴いてみるとわかりますが、レッド・ツェッペリンのようなサイケデリックな音楽が多く見られるようになっていました。

元々はボーカルのキース・レルフがヤードバーズを動かしていましたが、先に述べたようにジミー・ペイジによってバンドの方向性が少しずつ変化していきます。こうしてサイケデリックで激しい曲を多く歌うようになると、キースの喉は限界に達します。

このような経緯があり、1968年にジミー・ペイジ以外の3人のメンバーが突然バンド脱退を申し出るのです。残されたジミー・ペイジは1人でヤードバーズを背負うことになりました。レコード会社との契約期間がまだ1年ほど残っていたため止めることもできず、ジミー・ペイジはたった一人でのヤードバーズの活動を余儀なくされます。

余談ですが、キース・レルフは脱退した後にアコースティックデュオを組んでアーティストとしての活動を再開しました。ジミー・ペイジの目指す音楽に相当嫌気がさしていたようです。そして元々歌っていたブルースやポップソングを歌いたかったことが伺えます。

下積み時代を振り返る

メンバーが1人になったヤードバーズですが、ジミー・ペイジは悲観することなく、バンドのメンバーを集めることから始めます。

ロバート・プラント

まずはボーカルです。テリー・リードという元歌手が候補にあがり、勧誘したものの断られてしまいます。しかし、代わりにあいつはどうかと紹介されたのが、レッド・ツェッペリンのボーカルとなるロバート・プラントでした。売れないバンドのボーカルをしており、ジミー・ペイジの誘いに即答で答えたといいます。

しかしジミー・ペイジも、ロバート・プラントがこれほどまでの才能とカリスマ性を発揮するとは思っていなかったと言います。

見事、ボーカルメンバーの獲得に成功したジミー・ペイジですが、まだベースとドラムの空きがあります。そんな時に入ってきたニュースがパワフルなドラマー、ジョン・ボーナムの存在です。

ジョン・ボーナム

この時、ジミー・ペイジはジョン・ボーナムの迫力のあるドラム演奏を目の当たりにし、衝撃を受けたと言います。この時点で、ジミー・ペイジはジョン・ボーナムがこれから更に大物に化けると予測していたのです。
しかしこの時のジョン・ボーナムはシンガーのバックバンドとして演奏していて、安定した収入を得ていました。
これからどうなるかわからないバンドに入るのか、安定した収入を得るのか。なかなか話にのってこないジョン・ボーナムに、報酬額を引き上げる約束をすることでバンド加入を決めてもらったのです。

左:ジミー・ペイジ、右:ジョン・ポール・ジョーンズ

あとはベースです。以前セッションをしたことがあり交流のあったジョン・ポール・ジョーンズが、スタジオミュージシャンとしてだけでなく、バンドでの演奏をしたいと考えていたため、彼がベースとしてバンドに加入しました。

バンドの出発はデンマークの体育館を改装した会場

ジミー・ペイジは休まず動きに動き、やっと必要なメンバーを集めました。そして新生ヤードバーズとしてバンド活動を始めるのです。
ヤードバーズ時代のプロデューサーの力もあり、新生ヤードバーズはライブする場所を見つけました。それがデンマークの体育館を改装した会場でした。
新生ヤードバーズの最初の活動は意外にも体育館の居抜きされた会場だったのです。
その後も、新生ヤードバーズはその後のレッド・ツェッペリンとはかけ離れた、小さな会場での演奏を続けました。

PJプロビーとのレコーディングデビュー

ジミー・ペイジは若い頃からスタジオミュージシャンだったので、演奏の仕事が入ってくることも多くありました。その繋がりで当時人気のシンガーだったPJプロビーのレコーディングにジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボンナムが参加できることになったのです。
よって、レッド・ツェッペリンの初レコーディングは自身のアルバムではなく、PJプロビーの「Three Week Hero」だったのです。これは貴重なのでぜひ聴いてほしいです。PJプロビーのアルバムですが、レッド・ツェッペリンの雰囲気を感じ取ることができますよ。

レッド・ツェッペリンを作り上げた男

ジミー・ペイジにとって1968年は激動の年だったでしょう。ヤードバーズを背負わされ、バンドのメンバーを一から集め、ライブやレコーディングを行ったのですから。

そしてやっと重くのしかかっていたヤードバーズとしての契約が解除されます。
解除された日。しがらみから解き放たれるように彼らは「レッド・ツェッペリン」と名乗り始めます。そして新生ヤードバーズ改め、レッド・ツェッペリンはアルバム制作に取り掛かります。
その時間はわずか30時間!
1969年の1月にリリースされた衝撃的なアルバム「LED ZEPPELIN」は、驚くほど短い時間で完成したアルバムでした。

「レッド・ツェッペリン」というバンド名の由来は、ジミー・ペイジが以前、
・ジョン・ポール・ジョーンズ(後のレッド・ツェッペリンのベース)
・キース・ムーン(ザ・フーのドラム)
・ニッキー・ホプキンス(ビートルズなどのサポート経験があるピアニスト)
・ジェフ・ベック
というメンバーでセッションした時に、ドラムのキースが「このメンバーでバンドを組むべきだ、レッド・ツェッペリンはどうだろう」と言ったことから来ていると言います。

レッド・ツェッペリンはメンバー全員が、スター性やカリスマ性を持つ最高のミュージシャンです。しかし、ヤードバーズの歴史を絶つことなくレッド・ツェッペリンとして再出発できたのは、ジミー・ペイジの功績以外の何ものでもありません。
レッド・ツェッペリンの誕生の裏にはヤードバーズの呪縛に縛られた男の物語があったのです。

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