エドガー・ドガ:踊り子たちの画家

エドガー・ドガは1834年フランス、パリに生まれた画家です。もとよりデッサンの才能があり、バレエや競馬場の馬といった、動きを描写することが得意でした。作品のほとんどはバレエの踊り子を描いたものが多く、バレエの画家としても有名です。また印象派の創設にも関わり、古典主義的な技術で近代都市の姿を描くなど、新しい表現を追求する人物でもありました。そんな彼の生涯と作品とは、どのようなものだったのでしょうか。

■エドガー・ドガとは

エドガー・ドガは1834年フランス、パリに生まれました。父親オーガスティン・デ・ガスは銀行家であり、比較的裕福な家庭だったといいます。幼い頃から絵に関心を持っていたドガは、1853年にリセ・ルイ=ル=グランを卒業し、ルーヴル美術館に写学生として巨匠たちの作品を模写する日々を過ごしました。

芸術に没頭していくドガでしたが、父親は法律家になることを期待していたため、一度はパリ大学法学部へ入学するも法律の勉強をすることはありませんでした。画家になることを決意したドガは1855年にエコール・デ・ボザールへ入学し、アングル派のルイ・ラモートに師事しました。ドローイングやデッサンを学び、画家としての一歩を踏み出していくこととなります。1856年、1858年にはイタリアへ旅行し、ミケランジェロやラファエロ、ティッツァーノといった巨匠たちの作品を模写して画力を高めていきました。

(Public Domain/‘Young Spartans exercising’ by Edgar Degas. Image viaWIKIMEDIA COMMON)

1859年フランスへ戻ると、ドガは歴史画を描き始めます。《若いスパルタ》などは、その頃に制作されたものです。たびたびサロンに発表するものの、入選することはなく、入選してもほとんど注目を集めることはありませんでした。そこで彼は主題を近代生活に変え、絵を描くようになっていきます。1864年には、ルーヴル美術館でベラスケスの模写をしているエドゥアール・マネと出会いました。その頃のマネは、都市の様子や街の人々を主題として作品を描いており、ドガは大きく影響を受けたと考えられています。その後、競馬場の旗手や馬、工場や洗濯をする女性などを主題とするようになりました。

(Public Domain/‘Portrait of Mlle Fiocre in the Ballet “La Source”’ byEdgar Degas. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1868年に《バレエ、ミス・フィオレの肖像「夢の肖像」》をサロンへ出品しました。ドガの最初の代表作となり、ドガ=踊り子の画家というイメージが定着していきました。また、彼が描く踊り子は華やかな世界観ばかりでなく、レッスンを積み重ね、舞台へ挑んでいくプロフェッショナルな姿が描かれています。そうしたドガの描く踊り子の姿は、当時の人々にとって非常に新鮮なものでした。

(Public Domain/‘A Cotton Office in New Orleans’ byEdgar Degas. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1870年になると、普仏戦争が勃発し、軍に従事することとなったドガは、絵の制作ができない時期が続きました。戦争が終結すると、1872年にはルイジアナ州のニューオーリンズに滞在し、再び作品を制作するようになります。その際に制作した《ニューオーリンズのコットンオフィス》は好評となり、ドガの画家人生で初めて美術館に購入された作品となりました。

1873年にはパリへ戻り、専業画家として作品制作に没頭するようになります。この頃、踊り子たちの姿勢や動作に注目が集まり、印象派の画家たちは当時としては画期的ともいわれた写真技術を参考にするなど、踊り子たちの「動き」を表現するようになっていきました。

1874年から1886年の間に開催された、印象派展へ参加しました。そこでドガはリーダー的な役割で画家たちをまとめたものの、ドガの画風は他の画家たちと異なるものであり、グループ内ではよく衝突が起こっていたといいます。この度重なる衝突により、1886年印象派展は解散してしまいました。

晩年はパステルで版画や、彫刻での作品制作を行い、最終的には視力の低下に伴い1912年に筆を置いたといいます。その後1917年83歳でその生涯に幕を閉じました。

■ドガの作品

バレエを主題とした作品が多く、踊り子の画家として有名です。舞台に立つ踊り子たちの姿だけではなく、楽屋や練習風景、舞台袖といった一般人では出入りできない場所を描いており、華やかさだけではない、リアルな踊り子たちの姿を描いています。

ドガはオペラ座の定期会員であり、楽屋や稽古場へ自由に立ち入ることが許されていました。そうした際、目にした光景を描いたと考えられますが、動きを表現する彼の才能と相まって、プロフェッショナルな踊り子たちの姿が作品に描かれていきました。

(Public Domain/‘The Orchestra at the Opera.’ byEdgar Degas. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《オペラ座のオーケストラ》1868年-1869年

1868年から1869年に制作された作品で、現在はオルセー美術館に所蔵されています。パリのオペラ座付属のオーケストラを描いており、中央にいるのはフレンチ・バソン奏者のデジレ・ディオー。その左側はチェロ奏者のピレです。彼らとドガは友人関係にあり、その影響でオペラ座へ通うようになったといわれています。
ダンサーに注目した作品が多いドガですが、《オペラ座のオーケストラ》では演奏者に焦点を置いていることが特徴です。

(Public Domain/‘Ballet Rehearsal on Stage’ byEdgar Degas. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《舞台のバレエ稽古》1874年

1874年に制作された作品で、現在はオルセー美術館に所蔵されています。『舞台のバレエ稽古』はドガの代表的な作品であり、1874年の第一回印象派展に出品されたと考えられています。本作と類似したものがメトロポリタン美術館に2点ありますが、オルセー美術館にある『舞台のバレエ稽古』の方が大きいです。また色味も異なっており、メトロポリタン美術館にある2点はどちらも色が付けられていますが、オルセー美術館のものは光と影による描写がなされ、踊り子の表情がより印象的に感じられます。

(Public Domain/‘The Absinthe Drinker’ byEdgar Degas. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《アブサントを飲む人》1876年

1876年に制作された作品で、現在はオルセー美術館に所蔵されています。第二回印象派展へ出品する予定だったものの間に合わず、第三回印象派展へ出品された作品です。パリのカフェ「ヌーヴェル・アテーヌ」で、強い蒸留酒であるアブサントを飲む男女が描かれています。このカフェにはドガ自身やマネなども出入りしていたそうです。
この作品が描かれた当時、アルコール中毒が社会問題となっており、展示されるや否や不道徳な絵として批判を受けました。しかし、当時の近代生活を描いた絵として徐々に評価が高まるようになり、現在では印象派を代表する作品として広く知られています。

■おわりに

エドガー・ドガは、法律家になることを求められたものの、芸術家になることを諦めず、近代社会の人々、特に踊り子たちの姿を描き、西洋美術史を代表する画家になった人物です。晩年はドレフュス事件の騒動もあり、孤独な日々を送らざるを得なかったものの、明るさだけではない社会のリアルな側面を描くスタイルは、後進の画家たちにも大きな影響を与えました。彼の作品は今や世界中の美術館に所蔵され、人々を惹き付け続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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