アルノルト・ベックリン:「死の島」の画家

アルノルト・ベックリンは、1827年スイスのバーゼルで生まれた画家です。戸外で制作に励んだ印象派の画家たちとは対照的に、聖書や神話、文学などを題材として想像の世界を描いた象徴主義の画家です。特に彼の描いた「死の島」は象徴主義を代表する作品として知られています。そんなベックリンの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■アルノルト・ベックリンとは

1827年スイスのバーゼルで生まれました。父はシャフハウゼンの名家出身で、シルク貿易を営んでいたと言われています。ベックリンはデュッセルドルフの大学へ入学後、画家のヨハン・ウィルヘルム・シルマーの下で学んでいます。シルマーは彼の才能を見抜き、アントワープやブリュッセルでフラマン絵画やオランダ黄金時代の絵画作品を模倣するように薦めました。こうした模写の鍛錬によってベックリンは画家としての才能をさらに高めていきました。パリのルーブル美術館にも赴いており、巨匠の作品を模写したり、風景画を描いたりして修業を積んでいきました。

※19世紀中期頃、イタリア・ローマフォーラム

1850年からはローマへ滞在し、遺跡やルネサンスの巨匠たちの作品から大きな衝撃を受けます。ローマ滞在中に目にした作品や文化は、後の作品に大きな影響を与えることとなります。

1860年から1862年にかけては、ドイツ・ワイマールの美術学校で教鞭をとりました。1862年から1866年に再びローマへ滞在した後、1866年頃バーゼルへ戻り、フレスコ画や油彩画を制作しました。その後1874年から1885年の間に、ミュンヘンやフィレンツェへと居を移し、1880年代中期から1892年はチューリッヒに滞在するなど、一箇所に留まることなく画家としてヨーロッパ中を巡っては新しい表現を模索していました。

※20世紀初頭、イタリア・フィレンツェにあるミケランジェロ広場

1892年以降はフィレンツェ近郊のサン・ドメニコに滞在し、1901年にイタリアのフィエゾーレで73年の生涯を閉じました。

■アルノルト・ベックリンの作品

ベックリンの作品は第一次世界大戦後のドイツで大変な人気となりました。具体的に彼の作品がどのようなものだったのか紹介します。

(Public Domain/‘Island of the Dead I’ byArnold Boecklin. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)※第1作目、バーゼル版(1880年)

・《死の島》1880年-1886年

880年から1886年にかけて制作した作品で、全5点(現存4点)あり、現在はバーゼル市立美術館やベルリン美術館などに所蔵されています。
絵の中央付近には、船上で船を操縦する人物と白い物で全身を覆われた人物が描かれています。その船は、暗い水辺に浮かぶ荒廃した岩の島に到着した様子です。島の中に背の高い糸杉が描かれていることや、船上の白い物で覆われた人物の前に棺桶のようなものがあることから葬儀を連想させる作品です。

本作品はベックリンのパトロンだったアレクサンダー・ギュンターの依頼で制作され、イタリアのフィレンツェにあるイギリス人墓地を参考にしたのではないかという指摘があります。その墓地は彼のアトリエ付近にあり、自身の幼い娘マリアが埋葬されている場所でもありました。そのため、本作品は彼の子どもの葬儀と関わりが強いのではないかと考えられています。

《死の島》に漂う神秘的で幻想的な雰囲気は、第一次世界大戦後のドイツで非常に人気となりました。一般家庭でも多くの複製画が飾られ、ポストカードの題材としても盛んに使用されました。また、アドルフ・ヒトラーも彼の作品を好んで収集しており、《死の島》の第3作をはじめ、他にも11点を所有していたと言われています。

(Public Domain/‘Odysseus and Polyphemus’ byArnold Boecklin. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

・《オデュッセウスとポリュペモス》1896年

本作品は1896年に制作されたもので、現在はボストン美術館に所蔵されています。主題となっているのはホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の一説です。一つ目の人食い巨人ポリュペモスとオデュッセウスの邂逅を描いています。

トロイア戦争後にオデュッセウスはこの島へ立ち寄りますが、12人の部下と共に洞窟に閉じ込められてしまいます。オデュッセウスに同行した乗組員たちは次々とポリュペモスに食べられてしまい、ついに彼にも手がかかるかという状況で、オデュッセウスはポリュペモスにワインを飲ませて酔わせることに成功します。その時オデュッセウスはポリュペモスから名前を尋ねられますが、「誰でもない」という意味の「ウーティス」と答えました。するとポリュペモスは、「おまえを最後に食べてやろう」と言い放ち、そのまま酔いつぶれて寝込んでしまいます。オデュッセウスと生き残った乗組員たちは、ポリュペモスの目を潰して島から脱出することに成功します。また、目を潰された時の叫び声を聞いて、他の巨人たちがポリュペモスのもとへ駆けつけ「誰にやられたのか?」と聞いても、「ウーティス」(誰でもない)と答えるばかりだったため、どうすることもできず帰ってしまったといいます。ポリュペモスは逃げるオデュッセウスの船へ巨大な岩を投げたと言われており、作品にはそのシーンが描かれています。

■おわりに

スイスのバーゼルに生まれ、ヨーロッパ各地を訪れては神話や聖書の世界を描いた画家です。ロマン主義に影響されたベックリンの作品は神秘的で静謐な雰囲気を湛えており、第一次世界大戦後のドイツの人々に好まれました。彼の作品は世界各地の美術館に所蔵されており、訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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