東京マグニチュード8.0:大震災が起こったそのとき、わたしたちは何を思う?

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毎日に退屈していた『未来』、こんな日常なんて壊れてしまえばいいと思っていた。そんな中、弟の悠貴とお台場に遊びに来ていたとき、マグニチュード8.0の地震が東京の街を襲う。一瞬にして世界は変わり果て、目の前に広がるのはこの世の終焉と絶望。『未来』は悲惨な現状をその目で見て、何を思うのだろうか。
本作は実際に東京でマグニチュード8.0の地震が起こったら、ということを実在する機関がシミュレーションをし、制作。実際の被災者はそのとき何を感じたのか、どのような境遇であったのか、それを主人公の『未来』を中心に描いており、日本だけでなく世界中の人から注目をあびた。その理由としては地震がわたしたちに何をもたらすのか、果たして失われるものだけなのか、それを深く考えさせられる点にある。ここでは『未来』は何を思ったのか、それを中心に大震災についてみていこう。

■本作の制作にあたって

タイトルにもある通り、本作は東京でマグニチュード8.0の地震が発生し、首都圏は壊滅的状況に陥る。主人公の『未来(みらい)』、弟の悠貴(ゆうき)はお台場で出会った真理(まり)と共に家路を目指すが、その道中で彼らが何を見て、何を感じたのかを描いている。

作は制作にあたって東京消防庁、海上保安庁、陸上自衛隊、東京DMATという災害派遣チームなどに取材協力を頼むと共に、実際に東京でマグニチュード8.0相当の大地震が発生したらというシミュレーションを行った上で想定される被害を描いた。
作品を見てもらえれば分かると思うが、あまりのリアリティある被害状況はただ絶句するしかない。けれども、描写されている全ての出来事は、本当に東京で大地震が起こったら起こりうる事象なのだ。あまりに痛ましい惨劇にただただ驚き絶望するのか、嘆くのか、それとも立ち向かうのか、考えずにはいられないだろう。

また、2009年に放送された2年後の2011年には、東日本大震災が発生している。あのときの記憶は脳裏に焼き付いて離れない。迫りくる大津波、テレビでは原発が燃えている映像がただ繰り返し流れ、建物はことごとく倒壊、まさにこの世の終焉のような惨状であった。日に日に増える死者数、行方不明者数もあまりに膨大すぎて、どこか夢物語のような数字に思えたものだ。本作内で描かれた被害と似たような惨状が実際に起こり、「これはテレビアニメだけの話ではない、実際に起こりうることなのだ」と痛感せざるを得なかった。現在、日本では遠くない未来に首都直下型地震が起こると予想されている。他にも南海トラフ地震など、大きな地震が起こる可能性が示唆されている。その際の予想される被害状況も明かされているが、やはりどこか他人事のように捉えている人は多いのではないだろうか。近年、大きな地震が頻繁に起きて国民の災害意識が大きくなってきていることは確かだが、「実際に起こる」ということを現実のものとして、各々どこまで真剣に考えているのだろうか。その意識をより明確に、大地震という災害の実態を示してくれるのが本作だ。実際に起こりうる被害を映し出している以上、楽観的に見てはならない。明日は我が身、と、そこまで切羽詰まって見る必要はないが、やはり何かしらを意識して見てほしい作品である。

■作品内で起こった被害状況について

本作で起こった地震の概要は以下の通りである。

・震源地:東京湾北部
・形態:海溝型
・震源の深さ:約25km
・地震の規模:M8.0
・最大震度:震度7

最大震度と地震の規模だけを見ても、どれだけ大きな地震かが伺えると思う。
2011年に発生した東日本大震災は最大震度7を記録、地震の規模を示すマグニチュードは9.0であり、1923年に起こった関東大震災では最大震度6を記録、地震の規模を示すマグニチュードは7.9であった。どちらの地震とも大きな差はなく、それぞれ甚大な被害をだした地震と同様の事態がアニメの中でも起こっていた。

作品内の被害についてだが、
・死亡者数:推定18万人
・行方不明者数:15万人
・重軽傷者数:20万人以上
・帰宅困難者数:推定約650万人

となっていた。
場所を同じくした、関東大震災での死亡者数は約14万人。過去に実際にあった地震と同範囲内で起こったと仮定した地震である故、これが例えアニメ上で起こった災害であって、あくまでシミュレーションによる推測の数字だとしても、無視できない数字だ。特に東京湾北部という関東の真ん中を直撃する場所が震源地に設定されているため、人口が密集している関東の人的被害は相当なものになることは容易に想像される。
今なお、どんどん人口が増加していく東京でこのような大地震が起こったとしたら。アニメの設定上の数字は、現実のものとしてわたしたちの目の前に示されるかもしれない。

次に、細かな被害状況についても触れてみようと思う。
作品内では被災した『未来』と悠貴が帰路に着くまでに目の当たりにした被害を主に描いているが、それ以外にも多くの被害が報告されていた。

まず発生当日、各地で液状化現象や火災が相次ぐ。高速道路や鉄道などもほぼ全てが通行止め、運転見合わせとなり、復旧の目途はたっていない。さらに交通規制が実施され、東京を通る主要な道路は全面車両通行禁止となった。他に、荒川は堤防が各所で決壊、地下鉄などにも浸水している状況である。
震災2日目になると東京のシンボルであるレインボーブリッジ、東京タワーが倒壊。震災3日目は非常に強い揺れを観測する余震が発生、同時に被災者の輸送が開始される。震災4日目では大規模火災が鎮火するも40名以上の死者が発見され、まだ被害は広まり続けている状況であった。

これだけ見ると、あまりイメージがわかないかもしれない。液状化現象や火災、相次ぐ余震、増加する死者、どれも想定しうるケースであると思われるだろう。東日本大震災のときも、似たような経過を辿っていた。
しかしレインボーブリッジや東京タワーが倒壊する、という事態だけでも、ただ事ではないことが伺えるはずだ。特に、アニメでは東京タワーは根元から倒壊していた。これが現実に起こったら、それこそ世紀末だと思わざるを得ない。想定しうる液状化現象や火災も、実際に起こるとなれば話はかわってくるだろう。街が焼け焦げ、地盤が安定しない中で余震は続き、二次災害や三次災害に繋がっていく。目の前は変わり果てた世界と成り果て、死者・行方不明者はどんどん増えていき、被害状況が明らかにされる度に被災者は打ちのめされることになる。

また、この過酷な被災状況の中で、救援体制がすぐに整うというわけではないことも考慮しなければならない。気候の良いときであればまだマシであろうが、夏場や冬場になると状況は一変する。家屋が倒壊した人は避難所生活を余儀なくされるが、そこにすらも入れなかった人々は屋外での避難生活を強いられ、劣悪な環境のもとで耐え忍ばなければならない。夏は灼熱の太陽に晒され、冬は身体の芯から寒さが襲ってくる。どちらも長期的に続けば命を脅かす要因にすらなり得るだろう。
食料などの救援物資もすぐに到着するというものではなく、例えば山奥の小さな村や集落などには簡単に届けることはできない。かつての東日本大震災のときも、孤立してしまった市区町村が多数あった。他、ライフラインが整わず清潔とは言えない環境に置かれるため、感染病の懸念も付きまとう。その中で起こる被害は、例え小さなものでも被災者に確実なダメージを与えることになる。
そして人によっては身内や知り合いの死に直面するという点も、精神的に大きな被害といえる。その死を満足に嘆く暇もなく余震は続き、目の前には過酷な状況が広がり、自身の命すらも危ぶまれる。心身ともに極限状態と呼ぶに相応しい中で、被災者は生き延びなければならないのだ。

これらの状況を、本作は『未来』の目を通して描かれる。彼女たち自身も過酷な状況の中で必死に今を生き延びようとするが、やはり辛そうであった。見ていると胸が痛くなるような生々しい描写の数々は、現実に起こりうる大災害について考えを巡らせずにはいられない。実際に東京でマグニチュード8.0クラスの地震が起きたら、というシミュレーションによって作られた物語だからこそ、信憑性もある。架空の出来事と捉えず、近い未来、こういう体験をする可能性が高いと念頭に置いた上で見ると、震災に対しての見解に何か影響を与えてくれるかもしれない。

■被災して『未来』が見たもの、感じたもの、そして得たもの、失ったもの

再三に渡りお伝えしてきた通り、本作は主人公の『未来』の視点に立って、災害について描いている。実際に被災した状況下で、『未来』は非常に多くのものを目にするが、そのとき、彼女は一体何を感じていたのだろう。そして何を得て、何を失ったのか。
このポイントが、本作において非常に重要な点となる。何故なら、本作は大地震という災害を通して被災者が見たものをリアルに描くことを1つのテーマにしているからだ。

・見たもの

地震が起きたのは『未来』と悠貴がお台場に遊びに来ていたとき。地震が起きると人々はパニックに陥り、混乱に包まれる。その騒動はまだ中学生だった『未来』にはとても大きな出来事に感じられたようだ。また、大の大人が混乱をしているという状況が、さらに彼女に切迫感を抱かせる。ちょうど、混乱に巻き込まれて弟の悠貴とはぐれたことも関係していただろう。
悠貴を探すべくお台場内を探し回る『未来』。目の前に広がった惨状は、たった数分前に居た場所とは思えない、変わり果てた姿になっていた。建物は今にも倒壊しそうなほどに歪み、地面には亀裂や穴が開いており、煌びやかで賑やかだったショッピングモールはどこにもない。まず、彼女の目に映ったのは、そんな非現実的な、生々しい建物たちだった。翌日になると、『未来』たちはお台場から脱出を試みる。しかしそのとき、お台場のシンボル、レインボーブリッジが崩れ落ちた。どんなに大きな災害が起ころうと、あの巨大な橋が陥落するとは想像もしなかっただろう。『未来』はただ呆然と、激しい水飛沫を上げて海へ落ちる橋を眺めていた。
お台場を脱出すると、『未来』たちは避難所となっている芝公園に立ち寄る。一夜明け、やっとお台場から脱出でき、食料にありつけたのも束の間、今度は東京タワーが倒壊。ほんの少し前、レインボーブリッジが落ちたのを見たばかりなのに今度は目の前にある東京タワーという大きなシンボルが倒れた。立て続けに巨大な建造物が倒壊するという出来事を目の当たりにし、『未来』も不安と恐怖心を抱かずにはいられなかったようだ。そして、この地震がいかに甚大な被害をもたらしているかを認識せずにはいられなかった。
巨大なものが倒壊する様だけが『未来』の見たものではない。変わり果てた街並み、避難所で同じく帰宅困難者になっている人たち、通っていた学校が人で溢れかえりいつもと様変わりした空間になってしまっている現状。
冷たくなっている人、それを嘆き悲しむ人、苦しむ人、懸命に前を向いている人、本当に様々なものを目にしていた。その度に彼女は心を大きく揺さぶられ、改めて大地震がどういうものかを噛み締めるのだった。

しかし、『未来』の目には希望も確かに見えていた。それが弟、悠貴の存在である。弟はまだ10歳という幼さから事態の大きさを完璧には理解できていなかったようだ。けれども、今起こっていることが只ならぬことで、姉の『未来』はそれに心を乱されていて、誰もが絶望を目の当たりにしているということは察知したようだ。どんな状況でも笑って、楽しそうに振る舞い、『未来』の大切な家族として寄り添っていた。その姿が彼女には確かに次の1歩へと繋がる希望として映っていたようだ。
他にも道中で会った人たちの優しさに触れ、こんな状況でも人に優しくできる人もいる、という事実を目の当たりにした。そのとき、『未来』はこれまでの卑屈な考えを改めるよう思い直す。地震が彼女に見せてくれたのは、ただ荒廃した景色だけでも、絶望に苛まれている人だけでもなかったようだ。

・感じたもの

地震発生から家に着くまでのたった数日のうちに、『未来』は本当に多くのものを目にした。そこで『未来』が感じたことはなんだったのか。

まず第1に考えられるのが、家族への思いだろう。
本作のキャッチコピーは「家族に会いたい、と初めて思った。」というもの。『未来』は退屈な日常に不満を抱き、反抗期故に弟の悠貴の相手すらもしたくなかった。けれども大地震が起こり、一時的に悠貴とはぐれると、不安や心細さ、弟の大切さを痛感する。なんとか悠貴と合流できたはいいものの、家には帰れず、親の安否は定かでない。そんな不安定な状況下で、『未来』はそれまで当たり前にそこにあった「家族」という存在の大切さに気付いたようだ。
また、お台場で知り合ったシングルマザーの真理と帰り道を一緒にし、真理の娘と親を思う気持ちを知ったことで、より一層家族の大切さを実感したように思われる。

次に、荒廃した世界を見て、『未来』は大きな絶望を感じたはずだ。
地震発生当時は混乱に巻き込まれていたこともあり、そこまで目の前の光景を現実のものとして受け入れられていなかった節があるが、少し時間が経つと変わり果てた世界にただ呆然と言葉を失っていた。これまでと何ひとつとして以前と同じ光景などない現実に、憤りすら感じていたように思える。
思えば、環境が一変して全てが不自由な状況下に置かれたら、誰だってフラストレーションを抱えるだろう。しかし今回の場合は地震という天災。憤りを感じたところで、その気持ちの行き場はどこにもない。『未来』はそんな不満や不安が、ない交ぜになった感情を悠貴に八つ当たりという形でぶつけていた。これはただ現実が変わり果てた世界になったから、だけではなく、急に不自由になった生活に対してのフラストレーションも含まれていたことだろう。道は地割れを起こして歩きにくく、夏場ということで照り付ける太陽が容赦なく体力を奪っていく、満足に食事や休息にありつけるわけでもなく、けれども余震は立て続けに起こり、被害は刻一刻と拡大していく。その状況下で何ら不満なくいられる人間などいるはずもない。『未来』の抱いた負の感情は、当然の産物だろう。

しかし、必ずしも絶望だけを感じたわけではなかった。
第3に挙げる『未来』が感じたもの、それは希望だ。
突如として起こった大地震で世界は変わった。けれども、希望を持って前進する人々は多くいた。その1人が同行者、真理である。彼女は見ず知らずの『未来』と悠貴が家路に向かうと知り、一緒に行くことを決意、不安や不満を漏らす『未来』に常に明るく、安心させるよう振る舞う。自身は大火災に見舞われている区域に娘と親がいる状況なのに。そんな状況でも前向きに前進する真理の思いに、『未来』は後ろ向きでいる自分の心を恥ずかしいと感じ、彼女の姿勢を見習おうと考える。他にも避難所で出会った1人の少年が、夢を熱く語る姿に何らかの共感を感じたよう。同じ境遇にいるのに、遥か先の将来の夢について展望を述べる同年代の姿は、復興への兆しとも思えたのかもしれない。
きっと、自分の目で見た『未来』にとっては、これ以外にも語り切れぬ程に様々なことを感じただろう。うまく整理できず、色々な感情が混沌としていたかもしれない。けれども、どれも紛れもなく『未来』が感じたものであり、かけがえのないものだと言えるだろう。

・得たもの

大地震は非常に多くのものを奪っていった。例えば家族であったり、友人であったり、家、宝物、当たり前の日常など、本当に様々なものが一瞬で消え去った。東京が機能不全に陥るほどに多大な影響をもたらした震災であったが、果たしてこの出来事から人々は何を得たのだろう。

『未来』の得たものは、きっと家族との絆や、当たり前にあるものが当たり前ではない、という意識だろう。悠貴と一時的にはぐれてしまったこと、中々家に帰れず、両親と離ればなれで過ごさなければならなかったことが、『未来』に家族の大切さや絆の在り方を改めて示してくれたように思われる。
対して「当たり前にあるものが当たり前ではない」という事実は、色々なものを失って始めて気付く点だ。幸いなことに『未来』は家も無事であったし、両親も健在であった。けれども普段の街並みや普段の日常は失われ、残されたのは全く違った学校や景色、そしてライフラインが復旧しないことで強いられる不自由な生活。その不自由さと、当然のように享受してきた文明の恩恵が受けられないという事実に、何気ない日常や生活も尊いものなのだという意識を抱かせることになった。
この意識は非常に大切なものだ。失って気付くのは遅い、という意見も耳にしたことがあるが、生涯この事実に気付けない人は案外多いのではないだろうか。言われてみれば確かに、程度にとどめ、実際にこの意識を噛み締めるという機会はなかなか訪れないと思う。だからこそ、大地震を通して実際に実感した『未来』のこの意識は、尊いものなのだ、とそう考えられないだろうか。この意識を活かすも殺すも『未来』次第、きっと『未来』なら活かしてくれることだろう。だって彼女は、弟を失ったのだから。

・失ったもの

最後に失ったものについて触れていこう。
先程も触れた通り、『未来』が失ったものは本当に多い。挙げだしたらキリがないほどだ。けれども、その中でも1番大きく『未来』に影響を与えたものは、弟、悠貴を失ったことだ。物語では悠貴はいつも元気に動き回り、終始笑顔で過ごしていた。しかし物語中盤、疲労から体調を崩し病院に運ばれる。その後も物語には登場するものの、実はこの時点で悠貴は死亡しており、病院に運ばれた以降の悠貴は彼女が作り出した幻覚のような存在だったのだ。
幻覚とは思えないほどリアルな存在として『未来』と帰路を共にしていた悠貴だが、これは『未来』が悠貴を失ったという事実を受け入れられなかったからこそ生み出されたリアリティなのだろう。それだけで、『未来』がどれほど大きな存在を失ったかが伺える。また、『未来』は悠貴の死後、抜け殻のような生活を送っていた。やっと辿り着いた家だというのに、やっと再会できた両親だというのに、『未来』は興味を示す素振りすら見せなかった。ただ茫然とした日々を過ごしている姿からも、同様のことが見て取れる。

『未来』にとって弟の悠貴とはどのような存在だったのか。
最初こそ鬱陶しそうに対応し、悠貴の足の遅さや楽天的な思考に苛立っていたようだが、道中に様々なものを見聞きした結果、悠貴に対しての態度も柔和なものとなっていく。『未来』にとって、大切な家族が隣にいる、一緒にいてくれているという安心感が、悠貴への思いも温かいものへと変貌させたのかもしれない。また、震災という大人でさえも精神的に大きな影響を受ける事態に見舞われても、『未来』がどんどん前向きに進めるようになっていったのは悠貴という心の支柱のような存在があったからだろう。そう考えると、『未来』にとって悠貴は大切でかけがえのない家族であり、精神的支えであり、また、道標でもあった、と思われる。

その大きな存在を失ったときの心境は計り知れない。けれども『未来』は最後にしっかり悠貴の死を受け止め、前を向いて踏み出そうとする。その大きな一歩は、彼女が手にした成長の証だ。

■もし東京で大地震が起こったら

日本は言わずと知れた地震大国。過去10年程の間にも日本各地で大きな地震が幾度となく発生し、その度に多くの人が犠牲になり、家も、家族も、何もかも失ったという人が大勢いた。また、これらの地震から派生した二次被害などは、まだまだ続いている。
いずれ東京にも大地震が起こると常々言われているが、そのとき、わたしたちは一体何を見て、何を感じるのだろうか。これまでの度重なる震災から、国民の防災意識は高まっているのは事実だ。けれども、実際にその状況下に置かれたとき、わたしたちはその意識を活かせるのか、と問われたら返答に窮するのではないか。

本作は、そんな状況を想起させるよう作られている。そして舞台を東京という首都に置いたことにより、より多くの人にリアルなものを伝えようとしている。所詮はアニメ、と割り切って見るのも良いだろう、けれどもこの作品の中で描かれた全ては、遠くない未来に起こりうる事実として受け止めた方が賢明ではないだろうか。

誰が東京タワーの倒壊を現実に想像しただろう、レインボーブリッジが崩落する現実を思い描くことができるだろう。空想の中であり得るような、この世の終焉が『未来』たちの目の前には起こった。もし実際に東京で大地震が起こったとき、同様のことが起こらない保証はどこにあるのか?ない、なんてことは誰にも言えないはずだ。

本作を通じて、来るべくそのときに備え、大震災がもたらす現実を見ておいてもいいのではないか。そこには絶望しかないかもしれない、瓦礫の山しか見えないかもしれない、復興や再建なんて到底思い描けない惨状になっているかもしれない。だが、それだけではないということも教えてくれる。それを救いに、被災者たちは希望を抱き、ただひたすら前を向くしかない。事実、作中の人物たちは皆そうしていた。このことを忘れないためにも、実際に起こったとき、少しでも前を向けるよう、本作を将来の道標としてご覧いただきたいと思う。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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