カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ:ドイツロマン主義を代表する画家

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは1774年にスウェーデン、グライフスヴァルトに生まれた画家です。夜空や朽木、巨石の遺跡などをモチーフにした寓意的な風景画がよく知られており、19世紀ドイツを代表する画家となっていきました。そんなフリードリヒの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■カスパー・ダーヴィト・フリードリヒとは

(Public Domain /‘Self-portrait’byCaspar David Friedrich. ImageviaWIKIMEDIA COMMONS)

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは1774年、スウェーデンのグライフスヴァルトに生まれました。父親は石鹸や蝋燭業を営んでいたといわれています。フリードリヒは10人兄弟の大家族でしたが、7歳のときに母親を亡くし、その翌年には妹のエリザベスが、17歳のときには姉マリアがチフスで他界しています。

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またフリードリヒ作品に大きな影響を与えたと考えられる出来事が1787年におきます。末っ子のジョン・クリストファーが湖の氷の割れ目に落ち、命を落としてしまったのです。

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フリードリヒはこの時弟と一緒にいたものの助けることができませんでした。その後悔の念はフリードリヒを苦しめることとなり、やがてうつ病、ついには自殺未遂を起こしてしまいます。その後悔と肉親の死を目の当たりにしたというトラウマが、のちのフリードリヒ作品の静寂を創り出したものと考えられています。

フリードリヒは幼いころから芸術に強い関心を示しており、1794年になるとコペンハーゲンの美術アカデミーに入学。その後ドレスデンの美術アカデミーに入学し、画家としての修業を積んでいきます。またこのころから風景画を好んで描いていたようで、1801年からはボヘミアやバルチック海岸を旅しながら絵を描く生活を送っていました。


(Public Domain /‘He Monk by the Sea’ by Caspar David Friedrich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘The Abbey in the Oakwood’ by Caspar David Friedrich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

1805年になるとヴァイマール美術展で初めて賞を取り、これをきっかけとしてフリードリヒは画家としての一歩を踏み出すことになります。1807年からは油彩での制作を本格的に開始。《山上の十字架》をはじめとした大作を描くようになり、《海辺の修道士》や《樫の森の中の修道院》はプロイセン王室買い上げとなります。こうしてフリードリヒの画家としての評価は確たるものになり、ベルリン美術アカデミーの会員に選出。神秘的な新しい表現で描く画家として認められるようになっていきます。

1813年になるとナポレオン軍が侵攻し、一時的に退避しなくてはならなかったものの、翌年1814年にはナポレオンが失脚。フリードリヒはドレスデンに戻り、1818年には25歳のカロリーネ・ボマーと結婚して3人の子どもに恵まれるなど、画家としてはもちろん、私生活でも満ち足りた日々が続きました。

しかし1820年を過ぎるとロマン主義はもはや古い表現と見直されるようになり、またフリードリヒ自身がうつ病の病歴から風変わりな人物と偏見を持たれていたこともあり、徐々に画壇から忘れられる存在となっていきます。次第に絵も売れなくなり、1835年には脳卒中で倒れてしまいます。一命はとりとめたものの油彩画は描けなくなってしまい、フリードリヒの一家は貧困にあえぐことになります。1840年、ドレスデンにおいて65歳で死去。そのころフリードリヒの名前を憶えている者はほとんどいなかったといわれています。

■カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品

フリードリヒの作品は朝霧や夜空、遺跡などの背景に、誰とは分からない人物の後ろ姿を描いたものが多くあります。これは広大な風景の中における小さな人間の姿を象徴しているものと考えられており、その神秘的でありながら幻想的な表現には多くの人々が魅了されています。そんなフリードリヒの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。

・《山上の十字架》1807年-1808年

本作品は1807年から1808年に制作された作品で、現在はノイエ・マイスター絵画館に所蔵されています。
もみの木で覆われた山頂にある大きな十字架を描いた作品で、空や雲、木々の色合いの高い再現度に驚くことでしょう。しかし、山の向こう側から出ている光線は現実的ではありません。この絵のように見えるには、太陽以外に光源がなくてはならず、また見る位置もこの構図でここまで山肌や木の葉が詳細に見える場所はありません。祭壇画として成り立たせるために、単なる写実的な風景画にしなかったのでしょうか。
どのような意図があったのかはわかりませんが、風景画と宗教・祭壇画が交わるというフリードリヒの独創性は当時の人々に衝撃を与え、本作品から彼への注目が高まりました。

・《孤独な木》1822年

(Public Domain /‘The Lonely Tree’ by Caspar David Friedrich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1822年に制作された作品で、ベルリンの旧国立美術館に所蔵されています。遠景には荒涼とした空と山並みが描かれており、中景にはどこまでも広がる平原が描かれています。雲の動きを想像させる日当たりから、奥行きや広大さが感じられるでしょう。中央に描かれた一本の木は死にかけており、まるで十字架のようにも見えます。また、木の下には羊飼いの姿が見られます。他のフリードリヒ作品と同じように、人物はきわめて小さな存在として描かれています。

(Public Domain /‘Mondaufgang am Meer’ by Caspar David Friedrich. Image viaWIKIMEDIA COMMONS)

本作品は、銀行家であり美術コレクターでもあったヨアキム・ハインリッヒ・ヴィルヘルム・ワーゲナーにより依頼されたもので、ペア作品として《海の月の出》も制作しており、双方ともにベルリンの旧国立美術館に所蔵されています。

本作品の解釈はさまざまあり、古い樫の木をドイツ人の象徴とみなす説、過去と現在とのつながりを示す説など割れています。ただタイトルにもある通り、木は孤独な雰囲気をまとっており、もはやこれから育つことのないような表現は、その哀愁をさらに深めています。

・《氷の海》1823年-1824年

本作品は1823年から1824年に制作された作品で、現在はハンブルグ美術館に所蔵されています。大きく割れた氷やその傍に横転している船などが確認でき、氷山との衝突または流氷が向かってきたと推測できます。本作品を見て、自然の脅威を感じる人も多いのではないかと思います。

本作品には、ドイツ政府に対する声明とする政治的な解釈や、幼いころ弟を失った経験から描かれた自伝的なものだという説など、さまざまな見解があります。実際のところどういった意図で本作品が制作されたのかははっきりしていませんが、自然に対する人間の力の無力さが表現されており、フリードリヒの自然に対する畏敬の念が表現されていることは間違いないでしょう。本作品はなかなか評価されることがなかったものの、現在ではフリードリヒ作品を代表する一作となっています。

■おわりに

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒは遺跡や氷塊、夜空などを背景に人物の後ろ姿を描く幻想的な風景画を描いた画家で、ドイツロマン主義を代表する人物です。この独特な表現者は徐々に忘れ去られ、亡くなったときには覚えているものがほとんどいないという悲劇もありました。しかし、そんなフリードリヒの作品は現在ドイツを中心に各国の美術館に所蔵されており、再び人々を魅了しています。

参考サイト:wikipediaカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、2021年1月4日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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