ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー:イギリスロマン主義を代表する画家

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは、1775年ロンドンのコヴェント・ガーデンに生まれました。母親が精神疾患を持っていたこともあり幼少期は特異な環境で育ったものの、風景画家であるトーマス・マートンに弟子入りしてからは徐々にその才能を発揮し、イギリスロマン主義の画家として西洋美術史に残るような人物となっていきます。そんなターナーの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーとは

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは1775年ロンドンのコヴェント・ガーデン、メイドン・レーン21番地に生まれました。父ウィリアムは理髪師で、母親メアリーの実家は肉屋であったといわれています。メアリーは1785年ごろから精神疾患の症状を見せはじめ、1799年には精神病院に入院。王立ベスレム病院などで治療を受けるも1804年に亡くなりました。ターナーはブレントフォードの叔父の元に預けられることになります。

ターナーは叔父の元に預けられた頃から芸術に興味を持っており、彫刻プレートの着色を行ったり、ケント州の街マーゲイトの風景を描いたドローイング作品を制作したりしていたといわれています。そうしたターナーの初期作品は、父の店の一角に飾られていました。

そうして細々と制作活動を行っていたターナーは、1789年に風景画家であったトーマス・モルトンのもとに弟子入りし、イギリスの城や修道院の外郭を印刷したものに着色する作業などを担当していたといわれており、この頃に基本的な技術を学んでいくことになります。

(Public Domain /‘A View of the Archbishop’s Palace, Lambeth’by J. M. W. Turner. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

同年、ターナーはロイヤルアカデミーに入学。最初は建築学に興味を抱いたものの、絵画一本に絞ります。最初の水彩画である《ランベスの大主教宮殿の風景》は、1790年のロイヤルアカデミーにて開催された夏の展示会で入選。そうして徐々に頭角を現していきました。

1790年代から油彩画に取り組み、26歳のときにはロイヤルアカデミーの正会員となり、その地位を高めていきます。このころターナーは古典主義的な作品から戦争画、風景画などさまざまなジャンルの作品を手掛けていましたが、ターナーが一番に取り組んだのは光と水の表現でした。その表現は批判されることも多かったですが、のちのフランス近代美術、特に印象派のクロード・モネに大きな影響を与えたといわれています。

数々の名作を生み出したターナーでしたが、奇行が目立ち、ほとんど友人がいなかったといわれています。そのためターナーの父親が30年に渡って、アシスタントとしてギャラリーの留守番や顧客への書類作成などを行っていました。しかし1829年に父親が亡くなるとターナーは大きなショックを受け、うつ病を発症。1851年12月19日にはコレラを発症し、それが原因で死去しています。

■ターナーの作品

ターナーは光や雨、風の動きといった自然の事象を、揺れ動くような色使いによって表現することを得意としていました。ターナーの表現は発表当時議論の的となったものの、徐々にイギリス近代美術の先駆者として位置づけられるようになり、また印象派への影響も指摘されています。そんなターナーの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

(Public Domain /‘Dido Building Carthage aka The Rise of the Carthaginian Empire’by J. M. W. Turner. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《カルタゴを建設するディド》1815年

本作品は1815年に制作された作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。古代都市カルタゴを建国したという女王ディドを画題とし、画面中央には海が、そして左側には古代建築とカルタゴの民衆が描かれています。ディドの歴史はあまり明らかになっていませんが、詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネーイス」で、聡明でリーダーシップのある女性として語られています。カルタゴは現在のチュニジアあたりにあり、チュニジアにおいてディドは大変人気がある人物で、国の象徴のようにみなされています。
古代建築物の繊細で緻密な描写と、ターナーの特長である光と大気の表現がまじりあい、幻想的な情景を生み出しています。ターナー自身、本作品を「最高傑作」と位置付けるほどです。

(Public Domain /‘Seaport with the Embarkation of the Queen of Sheba’byClaude Lorrain. Image via WIKIMEDIA COMMONS)
(Public Domain /‘The Marriage of Isaac and Rebecca Alternative title(s): The Mill’byClaude Lorrain. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品はクロード・ロランの《上陸するシバの女王のいる風景》との類似性が指摘されています。ターナーの遺言で、ロランの《上陸するシバの女王のいる風景》と《イサクとレベッカの結婚》の間に展示することを条件に国家へ寄贈されたことからも、ターナーがロランの作品を意識していたことが伺えます。ターナーの作品の多くが20世紀初頭にテートギャラリーに移されましたが、本作は今もナショナル・ギャラリーにロランの絵に挟まれ展示されています。

(Public Domain /‘The Fighting Temeraire tugged to her last berth to be broken up, 1838’byJ. M. W. Turner. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号》1838年

本作品は1838年に制作された作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されています。描かれているのはイギリス海軍の軍艦で、トラファルガー海戦に参加したことで有名なテルメール号です。ターナーは1838年9月6日、グリニッジ湿地のあたりで船上からテメレール号が引っ張られているこの光景を目撃したといいます。

トラファルガー海戦という歴史に残る戦いで活躍した戦艦であっても、時間の移ろいによって劣化し、解体されるという宿命が描かれており、まるで人間の在り様を表現しているかのようにも思えます。また太陽の光の美しさはターナー作品のなかでも随一といわれており、2005年に行われたイギリス国内の一般投票で「最も偉大なイギリス絵画」に選ばれました。イギリスにとって重要な絵画だといえるでしょう。

(Public Domain /‘Rain, Steam and Speed -The Great Western Railway’byJ. M. W. Turner. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

・《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》1844年

本作品は1844年に制作された作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。描かれているのは、かつてロンドンと南西・西部イングランドおよびウェールズの大半を結んでいたグレート・ウェスタン鉄道です。黒色の蒸気機関車がテムズ川にかかる橋の上を走っています。この絵が描かれた当時、グレート・ウェスタン鉄道は世界最大の鉄道として名を馳せていたそうです。

雨が横殴りに降り、霧が一面に立ち込めている中で、本来は見えない位置にあるはずのボイラーの火を赤で描きこむことでエンジンの強さが強く表現されています。また、経年劣化で見つけるのはかなり難しいですが、機関車の前には野うさぎが描かれており、ターナーはこの野うさぎを描くことで速度を表現したといわれています。本作品には他にも様々なものが描かれています。それらを探し出すのもおもしろいでしょう。

■おわりに

《解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号》や《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》は、速度や大気の揺れ動く様子を描く技法が論争の的となったこともあったものの、19世紀フランス近代絵画に影響を与えました。特に印象派の巨匠クロード・モネに強い影響を与え、国をまたいで新しい表現を生み出すきっかけとなりました。そんなターナーの作品はイギリスを中心とした世界各地の美術館に所蔵されており、現在もなお人々を魅了し続けています。

考サイト:wikipedia ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、2021年1月6日閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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