Keith Richards: ストーンズの不仲から生まれた傑作ソロ・アルバム

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キース・リチャーズとは

1943年イギリスのケント州ダートフォード生まれ。史上最強のロック・バンド「ザ・ローリング・ストーンズ」のメンバーで、世界中に熱狂的ファンを持つロック界伝説のギタリスト。ストーンズの楽曲のほとんどはヴォーカルのミック・ジャガーとキースの共作によるもの。オープンGという独特なチューニングから「ホンキー・トンク・ウィメン」、「ブラウン・シュガー」、「スタート・ミー・アップ」といった名曲の数々のギターリフを生み出してきた。ロックとドラッグの緊密な時代を奇跡的に生き抜いた人物で、ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌の「次に死にそうなロックスター・ランキング」で10年連続1位の記録を持っている。1963年のストーンズでのデビューからバンド一筋で活動してきたが、25年後の1988年に初めてソロ・アルバム「トーク・イズ・チープ」をリリースしている。

ザ・ローリング・ストーンズの歴史

バンドの結成当時、ストーンズのリーダーはブライアン・ジョーンズであった。ファーストとセカンド・アルバムは大半がカバー曲だったが、次第に楽曲がオリジナルへシフトするにつれ、バンドのリーダーシップは作詞・作曲をするミック・ジャガーとキース・リチャーズに移っていった。1965年にリリースしたシングル「サティスファクション」は全英のみならず、アメリカなど世界的な大ヒットとなった。当時アメリカで巻き起こっていたブリティッシュ・イノベーションの中、ストーンズは快進撃を続けていった。

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しかし、一方で1960年代後半から、ミックとキースそしてブライアンはドラッグのスキャンダルによる逮捕、投獄、裁判、といったトラブルに巻き込まれていく。1968年リリースのアルバム「ベガーズ・バンケット」の制作時では、ブライアンの心身の不調が深刻となり、ほとんどレコーディングに参加できない状態となっていた。ブライアンは1969年にバンドを脱退し、その3週間後に自宅のプールで溺死しているところを発見された。

1973年発売のアルバム「ゴーツ・ヘッド・スープ」の頃は、法廷闘争でレコーディングがたびたび中断し、発売後の日本などへのツアーが中止になっている。ブライアン・ジョーンズの後釜ギタリスト、ミック・テイラーもわずか5年でバンドを去っているが、ドラッグ問題によるゴタゴタが少なからず影響していたものと思われる。
1976年ロン・ウッドが新たなギタリストとしてストーンズに正式に加入し、ツアーをしながらアルバム「ブラック・アンド・ブルー」をリリースした頃、キースは重度の薬物中毒となり、死線をさまよい、警察沙汰になるなどスキャンダルを繰り返していた。1977年にはカナダで薬物の不法所持で逮捕、さらには密輸や販売の容疑もかけられ、投獄されるとバンドを続けられなくなるという危機に陥った。1年以上かかった裁判の末、キースは執行猶予の判決を受け、バンドに復帰することができた。その際、薬物との縁を切ったと言われている。

1980年代のストーンズ

1970年代後半、ストーンズは一部のパンクバンドから「大御所気取り」、「終わったバンド」などの批判を受けていた。その批判に逆に刺激を受けて1978年アルバム「サム・ガールズ」をリリースし、正面からのサウンドで回答を行なうほど意欲的であった。

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しかし、パンクが自滅的に敗北し、ストーンズが一人勝ちとなった後は、戦う相手を見失っているような印象であった。1983年発売のアルバム「アンダーカバー」ではヒップホップやラップ、電子ドラムなども導入したが、ストーンズのサウンドとして十分に消化したとは言えない出来だった。このセッションの頃から、ミックとキースの仲がこじれていったと言われている。

ミックのソロ活動

ミック・ジャガーは1984年から本格的にソロ活動を開始する。最初はマイケル・ジャクソンとのデュエット・シングル「ステイト・オブ・ショック」をリリース。

そしてビル・ラズウェルとナイル・ロジャーズをプロデューサーに迎えてソロ・アルバムの制作を開始、1985年2月に先行シングル「ジャスト・アナザー・ナイト」、そしてアルバム「シーズ・ザ・ボス」をリリースした。同年8月にはデヴィッド・ボウイとのデュエット・シングル「ダンシング・イン・ザ・ストリート」も発表している。

アルバム「ダーティ・ワーク」

「ダーティ・ワーク」のセッションは1985年4月に開始されるが、当時ミックは自分のソロ・アルバムのプロモーションのため、多くのセッションを欠席し、それがキースの逆鱗に触れる事となる。結局アルバムの制作はキースを中心にロン・ウッド、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンのメンバーで行われ、ミックのヴォーカルは後で別に録音されたと言われている。また、このアルバムのレコーディング中にバンドの創世記からキーボードとバンドのロード・マネージャーを担当し、「6人目のストーンズ」と呼ばれていたイアン・スチュアートが心臓発作で死亡した。バンドはキースのアイディアでアルバム最期の収録曲「スリープ・トゥナイト」の後にスチュアートの演奏曲「キー・トゥ・ハイウェイ」をシークレット・トラックとして収録して追悼の意を表したが、バンド内の潤滑油としていかなる時もメンバーをまとめてきたスチュアートをこのタイミングで失った事でバンドは軋轢を激しくし、取り返しの付かない状態となっていった。

「ダーティ・ワーク」は1986年3月にリリースとなったが、このアルバムを従えてのバンドとしてのワールド・ツアーは結局実現しなかった。ミックはそのまま自身のセカンド・アルバム「プリミティブ・クール」の制作に取り掛かったため、さらにキースは激怒することになった。「プリミティブ・クール」は、ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートを共同プロデューサーに迎えて制作され、1987年9月にリリース、1988年には日本とオーストラリアで初のソロ・ライヴを行なっている。
この頃にキースの怒りは頂点となり、「もしソロでツアーを回るならミックをぶっ殺してやる」という物騒な発言もあり、ローリング・ストーンズついに解散か!?いう記事がロック雑誌などに溢れるようになっていった。

ソロ・アルバム「トーク・イズ・チープ」

ミックのせいで「ダーティー・ワーク」のワールド・ツアーができなくなった時期に、キースはアレサ・フランクリンの楽曲(ストーンズの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のカバー)をプロデュースしたり、尊敬するロックンロールの創始者の1人であるチャック・ベリーの還暦を祝うドキュメンタリー映画「ヘイル!ヘイル!ロックンロール」のプロデュースをしたりしていた。ミックを待ち疲れていたキースは、チャック・ベリーのプロジェクトの際にオールスター・バンドで共演したドラマー、スティーヴ・ジョーダンと共同で初めてのソロ・プロジェクトを開始することになり、バンド「エクスペンシヴ・ワイノーズ(高いワインばかり飲む連中の意)」が結成された。その後「トーク・イズ・チープ」をリリースし、そのアルバムは全曲キースとスティーヴ・ジョーダンの共作であり、キースがリード・ヴォーカルを担当した。ストーンズのレイジーでスカスカ(もちろん意図的に)のサウンドに比べて、テクニカルでソリッドなバックバンドの演奏であったが、そのサウンドに乗ってもキースのキースらしいオリジナリティのあるギターは健在であった。バンドにはブッツィ・コリンズや、バーニー・ウォーレル、メンフィス・フォーンズ、メイシオ・パーカーといったファンク系のミュージシャン達や、元ストーンズのミック・テイラー、黒人女性のR&Bシンガーのサラ・ダッシュもゲスト参加していた。音楽評論家のクリス・トゥルーは、「このアルバムを聴けば、誰がストーンズの本当の音楽的権力者なのかすぐに分かる」と評した。チャート的には全英37位、全米24位と振るわなかったが、多くのロックファンたちにとって歴史的名盤として語り継がれていくこととなった。アルバムリリース後は短いツアーを行っている。

その後のストーンズ

解散説もあったストーンズだが1989年ロン・ウッドの仲介もあってミックとキースが和解し、ついにニュー・アルバム「スティール・ホイールズ」を発表、そして同時にワールド・ツアーも発表した。アルバムからのファースト・シングル「ミックスト・エモーションズ」は一度別れた人との和解を唄った曲で、ストーンズの完全なる雪解けを表していた。
キースは1992年にアルバム「メイン・オフェンダー」、2015年「クロスアイド・ハート」を、ミックは1993年「ワンダーリング・スピリット」、1992年「ゴッデス・イン・ザ・ドアウェイ」とそれぞれソロ・アルバムをリリースするが以前のような軋轢を生むことはもうなかった。1989年の和解から30年、あの頃の解散の噂が嘘のようにザ・ローリング・ストーンズはコンスタントにワールド・ツアーを続けている。

まとめ

1960年代のビートルズの時代からハードロック、グラムロック、プログレッシブロック、パンクロック、ディスコの時代、とストーンズは様々な時代を渡り歩いて、生き延びてきた。それは時代や流行に常に敏感で、それらを独自の解釈でバンドのサウンドに取り込んできたミック・ジャガーの偉大な功績と言える。ミック以外のメンバーは、放っておいたらずっと古いブルースのセッションをスタジオで永遠にプレイしているような連中、と言われていた。しかし、ミック・ジャガーがいざ大物プロデューサーを起用して、最先端のサウンドで制作されたはずのソロ・アルバムではミックの魅力は伝わらず、結局ストーンズとしてのミックだから良かったのだということが再認識される結果となった。一方、時代や流行を全く追いかけず職人のようにロックとギターを突き詰めてきたキースは、ストーンズを離れても全く他を寄せ付けないロック界で唯一無二の存在であるところをソロ・プロジェクトで見せつけたのである。それがアルバム「トーク・イズ・チープ」であった。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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