Madonna:アルバムごとに進化し続けるポップ・ミュージック革命

マドンナとは

本名はマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネ。1958年アメリカのミシガン州生まれ。アメリカのケーブル・テレビVH1が選ぶ「音楽界で最も偉大な女性アーティスト」で第1位を獲得している。1980年代のMTVの到来時にポップスとダンス・ミュージックと、セクシー路線を組み合わせて登場し、またたく間に世界のスーパースターとなった。それ以降はアルバムごとにそのイメージを変化させ続けている。シングルとアルバムの総売上は、女性アーティストとして歴代最高の3億枚以上を記録し、ギネス記録として認定されている。ミュージシャン以外でも女優やプロデューサー、ダンサー、デザイナー、実業家、作家、映画監督、など様々な顔をもっている。

1.「バーニング・アップ」(1983年)

マイルス・デイヴィスの元ギタリストで、黒人R&Bミュージシャンのレジー・ルーカスや、ニューヨークのDJで12インチ・リミックスの名人ジョン”ジェリービーン”ベニテスらのプロデュースによるファースト・アルバムから「エヴリバディ」、「バーニング・アップ」、「ホリデイ」、「ボーダーライン」、「ラッキー・スター」とシングル曲が連続してヒットした。デビュー・アルバムながら当時の最新機器をフル活用して制作されており、新しいダンス・ミュージックとしての評価が高かった。

2.「ライク・ア・ヴァージン」(1984年)

前作ヒットの勢いをそのままに、デヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」を大ヒットさせたナイル・ロジャースをメイン・プロデューサーに迎え、彼のバンド「シック」のメンバーでアルバムは制作された。当時ではまだ主流ではなかったデジタル録音を採用した。セールス的には、アメリカのビルボード・チャートで始めての1位を獲得し、全世界で2100万枚の大ヒットとなり、マドンナが一発屋のアイドルではないことを証明した。シングルでは、タイトル曲「ライク・ア・ヴァージン」で、「マリリン・モンローの再来」といわれたセックス・シンボルの片鱗をうかがわせ、続く「マテリアル・ガール」では物欲第一主義の女性を演じ、当時のマドンナの代名詞となった。

3.「トゥルー・ブルー」(1986年)

プロデューサーにステファン・ブレイとパトリック・レナードを起用しているが、共同プロデューサーとしてのマドンナ本人の意向がかなり色濃く反映されたと言われている。ティーンエイジャーの妊娠をテーマにして論争が起こった「パパ・ドント・プリーチ」や、元々はシンディー・ローパーの曲だったという「オープン・ユア・ハート」、名バラード「リヴ・トゥ・テル」、ラテン音楽の要素を初めて取り入れた「ラ・イスラ・ボニータ」などを収録し、ダンス・ミュージックやエレクトロポップスから脱皮した一般的なポップ・ミュージックへの進化が見られた。アルバムはアメリカのビルボードアルバムチャートで5週連続1位、世界28カ国で1位となった。

4.「ライク・ア・プレイヤー」(1989年)

プロデューサーには前作と同じステファン・ブレイとパトリック・レナードとを起用。前作と比べてゴスペルやリズム・アンド・ブルースの要素を加え、ソウルフルでバラエティ豊かなアルバムとなった。タイトル曲「ライク・ア・プレイヤー」のミュージック・ビデオがバチカンやキリスト教団体から非難を受けて、物議を醸し出した。また、「エクスプレス・ユアセルフ」は、フェミニストとしてのマドンナによる女性賛歌であり、彼女の代表作の一つとなった。宗教、フェミニズムと重いテーマのシングルが続いた第3弾にはとてもキャッチーなポップ・ソング「チェリッシュ」をリリースした。またプリンスもマドンナとの共作「ラヴ・ソング」で参加している。

5.「エロティカ」(1992年)

完全にアーティストとしての認知が定着したマドンナの選んだ次なるコンセプトは、過激なエロティック路線だった。このコンセプトは、直前に発売した写真集「SEX」とも共通している。サウンドは、ニューヨークのクラブ・シーンでDJとして名を挙げ、あの「ヴォーク」を手掛けたシェップ・ペティボーンが担当しており、ほとんどがアンダーグラウンドでダークな雰囲気のハウスミュージックのアダルト路線となっている。

6.「ベッドタイム・ストーリーズ」(1994年)

前作のハウスミュージック&エロティック路線から一転し、R&B、ヒップホップをベースとしたブラック・コンテンポラリーな作品。ソウル・II・ソウルのメンバーで、シネイド・オコナーや、ビョーク、U2のプロデュースで知られるネリー・フーパー、TLCやボーイズ・II・メンとの仕事で有名なダラス・オースティン、アッシャーやメアリー・J・ブライジのデイヴ・ホールらがプロデューサーとして参加していた。当時大人気だったベイビーフェイスがプロデュースしたバラード曲「テイク・ア・ボウ」がシングルとして大ヒットした。またビョークからも楽曲提供を受けている。第38回グラミー賞で初めて最優秀ポップアルバム賞にノミネートされた。

7.「レイ・オブ・ライト」(1998年)

テクノ・アンビエント系のプロデューサー、ウイリアム・オービットを起用。東洋的な雰囲気や、アンビエントの「水」の浮遊感をイメージした世界観で、マドンナのダンス・ミュージックの定義を再構築し、彼女の1980年代からのイメージを払拭するようなとても斬新で芸術性の高いアルバムとなった。セールス的にも世界で2000万枚と結果を残し、グラミー賞でも4部門を獲得するなど高評価を同時に得た。マドンナの最高傑作と評する人も多い作品。

8.「ミュージック」(2000年)

前作が大成功に終わったにもかかわらず、あえてプロデューサーを変更。ダフト・パンクやエールなどフレンチ・エレクトロが登場してきたこの時代にフランス人プロデューサーのミルウェイズ・アマッザイを起用。クラブ向けキャッチーなエレクトリックなサウンドを多用するも、カントリー・ミュージックの要素も彩りを与えている。タイトル曲のシングル「ミュージック」は、スティングのコンサートへ行って影響を受けたとされ、クラフトワークとプリンスが合わさったようなサウンドと評された。

9.「アメリカン・ライフ」(2003年)

前作に引き続きミルウェイズ・アマッザイをプロデューサーとして起用したが、サウンドはエレクトリックなサウンドから一転、ティンバランドやネプチューンズのヒップホップ/R&Bの影響を受けながらも、アコースティック・ギターを中心としたクールな音で統一されている。イラン侵攻の時期に反戦的な内容と、アメリカ、そして彼女自身について語った言葉が多くの物議を醸し出した。

10.「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」(2005年)

プロデューサーであるミルウェイズ・アマッザイの3部作3作目だが、前作から大きく方向転換し、全曲ダンス・ミュージックで構成されていて、多くのオールド・ファンがマドンナのダンスフロアへの帰還を歓迎した。アルバムからのファースト・シングル「ハング・アップ」は、アバの1979年の大ヒット曲「ギミ!ギミ!ギミ!」のメロディーの大胆なサンプリングが話題となり、マドンナ中で最も売れたシングルとなった。

11.「ハード・キャンディー」(2008年)

ジャスティン・ティンバーレイクやティンバランド、ネプチューンズらをプロデュースと楽曲提供に起用したネオ・ヒップホップ・テイストの作品。カニエ・ウエストもラップで参加している。ジャスティンとのデュエット曲「フォー・ミニッツ」や、マーヴィン・ゲイの「ゴット・トゥ・ギブ・イット・アップ」をサンプリングしたファレル・ウィリアムスがプロデュースの「ギブ・イット・トゥ・ミー」がシングルとして発表された。

12.「MDNA」(2012年)

ユニバーサル・ミュージックへの移籍第1弾アルバム。プロデューサーに名を連ねるのは、「レイ・オブ・ライト」のウイリアム・オービットの他、フランスの人気クリエイター・マーティン・ソルヴェイグ、レディ・ガガのリミックスもしたザ・デモリション・クルー、ベニー&アレのベナッシ・ブラザーズ、ハーディ・インディーゴ・ムアンザ、マイケル・マリ、そしてマドンナ。ダンス・ミュージックのトップ・プロデューサーが勢揃いして制作されている。第1弾シングルは ニッキー・ミナージュとM.I.A.が参加した「ギヴ・ミー・オール・ユア・ラヴィン」だった。

13.「レベル・ハート」(2015年)

アルバムが発売される前にアルバム曲の一部がリークされ、マドンナは「アートへのレイプだ!」と大激怒し、一騒ぎが起きた。ディプロ、今は亡きアヴィーチー、カニエ・ウエスト、ビルボード、ライアン・テダーなどプロデューサーが参加する大世帯となったが、マドンナが彼らに全てを丸投げするはずもなく、事細かく参加していった。(ファレル・ウィリアムスのプロデュース作もレコーディングされたが、アルバムには収録されなかった。)
加えて、ニッキー・ミナージュ、カニエ・ウエスト、NAS、チャンス・ザ・ラッパー、そしてマイク・タイソンとのコラボレーションを収録している。アヴィーチーがプロデュースした最後の曲「レベル・ハート」では、反逆の心の奥に愛があったと歌っている。

まとめ

マドンナのディスコグラフィーをたどると彼女が常に新しいことに挑戦し続けてきた事、それによって新種のポップ・ミュージックが生まれてきた事がよく分かる。
マドンナは最先端の流行を常に追いかけてきたのではなく、むしろマドンナが扱ったことで流行やカルチャーが生まれてきた。中でも象徴的なのが1990年発表のシングル「ヴォーグ」である。これは、当時ニューヨークのゲイ達のクラブ・シーンで生まれたダンス・ムーヴメント「ヴォーキング」を世界中のダンスフロアに広める楽曲となり、ハウスミュージックを代表する一曲となった。そしてマドンナは音楽を作り出したのではなく、新しいカルチャー自体を作り出したのであった。

そして、まだマドンナが手をつけておらず、是非作ってもらいたい新しい種類のアルバムがある。それはまだマドンナが過去にチャレンジしていない(楽曲では数曲あるが)、得意のギターのテクニックを生かしたロックンロール・アルバムだ。それも誰もやったことのないレベルの作品を期待したい。

公式ホームページ:Madonna

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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