ジャック=ルイ・ダヴィッド:新古典主義を代表する画家

(Public Domain /`Self-portrait’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ジャック=ルイ・ダヴィッドは1748年、フランスのパリに生まれ、《ホラティウス兄弟の誓い》や《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》といった名画を制作した、ヨーロッパを代表する画家です。そんなダヴィッドの生涯と作品を紹介していきます。

■ジャック=ルイ・ダヴィッドとは

ジャック=ルイ・ダヴィッドは、1748年フランスのパリに生まれました。父親は商人で、ダヴィッドが9歳の時に他界。ロココ絵画の大家であったフランソワ・ブーシェが母方の従兄弟であったことにより、ダヴィッドは幼いころから芸術に関心を抱いていました。しかしブーシェは当時50代で、高齢のため弟子をとっておらず、ダヴィッドはブーシェの紹介でジョセフ=マリー・ヴィアンのもとで修業を行うことになります。

1774年になると《アンティオコスとストラトニケ》でローマ賞を受賞。ローマ賞は当時、若手画家たちの登竜門とされ、受賞者には国費でのローマ留学が与えられていました。当時のローマ賞受賞者の平均年齢は30歳前後であったにもかかわらず、ダヴィッドは26歳で受賞しています。そのことからも、彼は早くからその才能の頭角を表していたことがわかります。

ダヴィッドは、受賞の翌年の1775年からイタリアに留学し、5年間古典絵画の研究に没頭します。当時のフランス画壇のスタイルは華やかなロココ調の作品ばかりでしたが、イタリアの巨匠たちの作品を研究し続けたダヴィッドの作風は、新古典主義的な表現に変わっていきました。1784年にはルイ16世の命令で《ホラティウス兄弟の誓い》を制作。サロンに出品すると大きな評判となり、広く名前が知られていきます。

1789年にフランス革命が勃発。ダヴィッドはジャコバン党員として政治に関わっており、《球戯場の誓い》といった革命の事件を主題とした作品を制作しました。また、《マラーの死》を制作したことで革命の画家として有名になりましたが、ダヴィットを支援していた政治家のロベスピエールが失脚すると、ダヴィッドも一時投獄されてしまいます。

その後、フランスはナポレオンの統治下となり、ダヴィットはナポレオンも自身と同じくローマを愛する人物であると知ると、彼に心酔するようになります。以降、《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》をはじめとした、ナポレオン帝政を主題とした作品を数多く制作し、現在でもこれらの作品は、フランスのシンボルとして国民に深く愛されています。

しかし、ナポレオンが失脚するとダヴィッドの地位も危うくなり、1816年にはブリュッセルへ亡命しました。9年後の1825年には、その77歳の生涯を閉じます。ダヴィッドはルイ16世の処刑に対し賛成票を投じたため、その亡骸はフランスへ戻ることは許されず、心臓のみがペール・ラシェーズ墓地に埋葬されています。

■ダヴィッドの作品

ダヴィッドはフランス新古典主義の巨匠であり、《ホラティウス兄弟の誓い》にみられるような理知的な構図や写実的な描写が特徴です。そんなダヴィッドの作品をいくつかご紹介します。

(Public Domain /`The Oath of the Horatii’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《ホラティウス兄弟の誓い》 1784年

本作品は1784年に制作され、現在はルーブル美術館に所蔵されています。
主題となっているのは、古代ローマの歴史家であり著述家であったティトゥス・リウィウスの著書「ローマ建国史」と、17世紀を代表する劇作家であるピエール・コルネイユの悲劇《ホラティウス》の一説です。

描かれているのは、ホラティウス三兄弟が父親から剣を授けられている場面です。兄弟は勝利を誓い、剣にローマ式の敬礼を行なっています。
ローマとアルバは争いの中にありました。そこで、両都市からホラティウス三兄弟とクリアトゥス兄弟が代表となり、決闘を行うこととなります。しかし、ホラティウス三兄弟にはクリアトゥス兄弟と婚約をしている姉妹がいるとともに、クリアトゥス家からきた妻がいました。画面右手には、兄弟の運命に涙する女性たちの姿が描かれています。

(Public Domain /`Death of Marat’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《マラーの死》 1793年

本作品は1793年に制作され、現在はベルギー王立美術館に所蔵されています。
主題となっているのは、フランス革命において指導者的な立場であった、ジャコバン派の政治家のジャン=ポール・マラーが暗殺された場面です。
マラーは新聞を通して当時の政治を批判し、民衆から多大な人気を集めていましたが、彼の言動やジャコバン派をよく思わない人も一定数存在しました。
ある日マラーは、皮膚病の治療のために薬浴を行います。暗殺は、その瞬間に行われました。本作品のマラーが浴槽に使った状態で描かれているのはそのためです。

マラーが左手に持っている手紙は、彼を暗殺した犯人で、対立するジロンド派のシャルロット・コルデーから届いたものです。そこには

「1793年7月13日、市民マラーへ。我が身の不幸を思うに、あなたの庇護を受けるに足るものではないか。」
※原文 ”Il suffit que je sois bien malheureuse pour avoir droit a votre bienveillance”

Wikipedia 「マラーの死」より引用(2021.1.18)

と書かれています。

本作において、実際には皮膚病であったマラーの肌は瑞々しく描かれています。また、だらりと力なく浴槽に身を預ける様は、ミケランジェロの「ピエタ」や、カラヴァッジオの「キリストの埋葬」を思い起こさせます。
このことから、ダヴィットは友であったマラーを魅力的に、さらには殉教者のように描きたかったことがわかります。

(Public Domain /` The Coronation of Napoleon.’ by Jacques-Louis David. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》 1805年-1807年

本作品は1805年から1807年にかけて制作され、現在はルーブル美術館に所蔵されています。
主題となったのは1804年12月2日に行われたナポレオンの戴冠式の様子です。制作は、弟子のジョルジュ・ルジェの助けを借りて行われました。ダヴィッドは作中で、実際は出席していないナポレオンの母レティツィアを描いたり、皇妃ジョセフィーヌが若い姿であったりするなど、ナポレオンの権威を示すための脚色を行っています。

■おわりに

ジャック=ルイ・ダヴィッドはフランス王国の末期に生まれ、革命の中でナポレオンの画家として西洋美術史に残る名作を描いた画家です。
《ホラティウス兄弟の誓い》や《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》をはじめとした作品はルーブル美術館に所蔵され、フランスの宝となるとともに、世界各地から訪れる人々を魅了し続けています。
ダヴィッド自身はブリュッセルで亡くなり、フランスへ戻ることは叶いませんでしたが、彼は当時のフランスの歴史をそのキャンバスに描きとめたのです。

参考サイト:Wikipedia ジャック=ルイ・ダヴィッド 2021年1月18日閲覧

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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