アンジェリーナ・ジョリー:彼女が見たカンボジア

アンジェリーナ・ジョリーは、1975年生まれでアメリカ合衆国の女優兼映画監督です。数々の映画賞を受賞するハリウッドのトップスターであるとともに、人道支援活動家としても有名で、難民問題等に携わっています。2012年より、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に特使。2000年にカンボジアを訪れたことをきっかけに人生の転換期を迎え、カンボジア人の養子を受け入れるなど、継続してカンボジアとの関わりを持ち続けているのです。

ハリウッドのトップスターであるアンジェリーナ・ジョリー。彼女は、アカデミー賞やゴールデングローブ賞など、数々の名誉ある賞を受賞した実力派女優であるとともに、映画監督としても活躍しています。

私生活では6人の子供を持つアンジェリーナ・ジョリーですが、第1子である息子のマドックスがカンボジアから迎えられた養子であることをご存知の方も多いでしょう。そんなカンボジアは彼女にとって特別な思い入れのある国であり、2002年にマドックスの母となった後もカンボジアとの関わりを持ち続けています。

2017年には、カンボジアを舞台にし、彼女が監督を務めた映画『最初に父が殺された(原題:First They Killed My Father)』が公開され、注目を集めました。カンボジアの何がアンジェリーナ・ジョリーを魅了してやまないのでしょうか。彼女の目に映ったカンボジアの姿を解き明かしていきましょう。

暗い影を落とすカンボジアの現代史

※画像はアンコールワットです

カンボジアといえば、世界遺産「アンコールワット」を連想する方が多いかと思います。しかし、カンボジアを語る上で避けて通れないのが、1970年から20年以上に渡って繰り広げられた内戦と混乱の歴史でしょう。

ベトナム戦争が隣国に拡大する形で始まったカンボジア内戦。ことのきっかけは、1970年に国家元首シハヌークが外遊中の際に、親米派のロン・ノル将軍らがクーデターを起こして実権を握り、「クメール共和国」を樹立したことが始まりとされています。その後、親米政権下でベトナム戦争の戦火が飛び火する中、反体制派の共産主義勢力である「クメール・ルージュ」が台頭しはじめました。

1975年には、力をつけた「クメール・ルージュ」がついに首都プノンペンを占領し、ロン・ノル政権が崩壊しました。勝利した「クメール・ルージュ」は国名を「民主カンプチア」と改名し、ポル・ポトを首相に選任。このポル・ポト政権時代に、カンボジアは史上最大の苦難を味わうことになるのです。

当時、原始共産主義社会の実現を目指す政府は、貨幣経済を廃止し、都市住民の農村部への強制移住や強制労働を命じました。同時にその間、反逆者となりうる知識人と見なされた人々は皆、粛清されてしまいました。外国語を話せることや、メガネをかけているだけで知識人の証とされたのです。

1975年から1979年のポル・ポト政権下では、当時の人口約800万人のうち、およそ200万人以上が、虐殺、飢餓、病気などにより命を落としたと言われています。その後、1991年のパリ和平協定に基づいた内戦終結、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)による暫定政権時代、国民総選挙の実施を経て、1998年にポル・ポトが死亡したのをきっかけに内戦は事実上の終結を遂げました。和平に至るまでのおよそ20年近くもの間、カンボジアは不安定な状況に置かれていたのです。

アンジェリーナ・ジョリーを覚醒させたカンボジアとの出会い

アンジェリーナ・ジョリーは、主演を務めた映画『トゥームレイダー(原題:Lara Croft: Tomb Raider)』の撮影のため、2000年に初めてカンボジアを訪れました。撮影現場となった「タ・プローム」は、「アンコールワット」と同じく「アンコール遺跡群」の中にある遺跡です。かつて寺院だった石造りの建造物に大木の根が絡む様子は圧巻で、文明と自然が侵食し合いながらも共生する姿をありありと見せてくれます。この時、彼女はカンボジアの豊かな自然に魅了されるとともに、一気に目が覚めるほどの衝撃を受けたと言っています。2000年といえば、内戦終結から9年程経った頃ですが、戦争の爪痕はカンボジアのあちらこちらに残っていました。

2011年に、世界的なブランド「ルイ・ヴィトン」のコア・ヴァリュー広告キャンペーンのために撮られたインタビューの中で、アンジェリーナ・ジョリーは初めてカンボジアを訪れた時のことをこう語っています。

「まだそこら中に地雷が埋まっている中で、人々や子供が普通に歩き回っているのが日常であることに、驚きを隠せませんでした。」

引用元:2011年「ルイ・ヴィトン」コア・ヴァリュー広告のインタビューより

また、衝撃とともに彼女はカンボジアの家族の在り方に心を打たれたことも語っています。

「家族はいつでも一緒で、共に働いて、わずかなものを分け合いながら感謝して生きていました。彼らにとって大きなイベントといえば、象の上から一緒に日没を見たりすること。人生のシンプルな喜びを大事にしていました。決して多くのものを持っているわけではないけれど、家族の絆をとても大切にしていて、彼らからシンプルなものに感謝することを学びました。彼らは非常に貧しいけれど、類まれなほど思いやりがあって、穏和で、優しくて、オープンな人たちです。過去の痛みを抱えながらも。これは一体どういうことなの?と思いました。」

引用元:2011年「ルイ・ヴィトン」コア・ヴァリュー広告のインタビューより

壮絶な過去を背負い、やるせない気持ちや怒りに満ちた人に出会うと予想していたアンジェリーナ・ジョリーを待っていたのは、愛と温かさに溢れた人々だったのです。さらに、カンボジアを訪れたことによって彼女は自分の無知を思い知らされました。

「自分がいかに勉強不足だったかということを痛感させられました。学校の授業ではベトナム戦争のことも、カンボジアのことも触れられていたはずなのに、本当に何が起こったのか、まったく深く理解できていませんでした。」

引用元:2011年「ルイ・ヴィトン」コア・ヴァリュー広告のインタビューより

これらの出会いと気づきを通じ、彼女は人生をかけてカンボジアへ、そして人道支援へと向き合っていくことになるのです。

信じていなかった運命すら感じさせた息子の存在

さらに彼女の人生を変えることになったのは、映画撮影期間中に通りかかった書店で購入した『最初に父が殺された』という本。これは、後に彼女が同タイトルで映画化することになるストーリーの原作本であり、著者であるルオン・ウン(Loung Ung)の回顧録です。

ルオン・ウンは、1970年にカンボジアのプノンペンで生まれ、5歳の頃に「クメール・ルージュ」による強制移住を経験しました。粛清下で両親と2人の姉妹を失うという計り知れないほどの苦難を味わった上、自らも強制労働に参加したほか、少女兵として武器を持った経験もある女性です。

本を読んで、いたく感銘を受けたアンジェリーナ・ジョリー。2001年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使として再度カンボジアを訪れた際、本の著者であるウン氏に会いました。カンボジア人の養子縁組についてもウン氏に相談したところ、協力的な助言をもらったことにより、養子受け入れを決意したといいます。その後、複数の孤児院を訪れたアンジェリーナ・ジョリーが最後に出会ったのが、非常に貧しい村で暮らしていた生後7ヶ月のマドックスでした。
彼女はその時のことをこう語りました。

「運命とかを信じる方ではないけれど、そこで息子に出会ったのです。」

引用元:2011年「ルイ・ヴィトン」コア・ヴァリュー広告のインタビューより

人生をかけてカンボジアへの恩返し

カンボジアと出会い、自分がいかに恵まれた狭い世界で生きていたかということを思い知った彼女は、積極的に人道支援活動に関わるようになりました。カンボジアでは、2003年にマドックス・ジョリー=ピット財団を設立。環境保全をはじめとするプロジェクトをリードし続けています。さらに、カンボジアをより深く理解し、真実を伝えたいとの想いから、『最初に父が殺された』の映画化に踏み切ったのです。

「カンボジアに与えてもらったものは大きすぎて到底返せるものではないけれど、この映画を通して少しでもカンボジアに恩返しできたなら本望です。」

引用元:2017年2月 「BBC News」インタビューより

映画では、撮影時に弱冠15歳のマドックスが製作総指揮を務めましたが、扱う題材が非常にデリケートなものであるため、構想ができてから実現するまでには長い時間を要したといいます。カンボジアの人々が過去を受容できる状態になっている必要があったと同時に、マドックスが自らの故郷が経験してきた出来事を非常に深く理解する必要がありました。ある時、マドックスが意を決したように「準備はできた」と言ったため、正式に撮影が決まったのです。

『最初に父が殺された』で描きたかった世界

初めてカンボジアを訪れた時、日常の小さな幸せを分かち合いながら生きる家族の絆に、心を打たれたというアンジェリーナ・ジョリー。

『最初に父が殺された』も、ポル・ポト政権下の混乱を題材にしながらも、家族の絆と別離にスポットライトが当てられた作品となっています。さらにこの映画が特徴的なのは、一貫して5歳の少女の視点で描かれていることです。無残にも引き裂かれていく家族や、一瞬にして失われた当たり前にそこにあった温かい時間。本来であれば純真無垢に生きていられたはずの5歳の子が、抱えきれないほどの悲しみを背負い、強くならざるをえなかった事情。小さな子供の目線で語られることで、戦争に関わらざるを得なかったすべての人々が、家族というコミュニティの一員であったことを痛感させられます。

また、終始見られるのは、アンジェリーナ・ジョリーが初めてカンボジアを訪れた時に感じたように、優しく、愛に満ちている人々の姿です。これは、たとえ過酷な出来事があっても失われることのないカンボジアの人々の本来的な姿であり、彼らの強さの現れだと実感させられます。

今もカンボジアを明るく照らす人々の姿

上記の写真は2020年のカンボジアの様子です。アンジェリーナ・ジョリーが最初にカンボジアを訪れた時から、状況は一変しました。著しい経済成長の下、都市部は急速な勢いで発展を遂げており、高層ビルが次々と建設されています。一方で変わらないのは人々の姿です。彼らは今も、優しく快活でオープンで賢く、愛に溢れています。そして何よりも家族を大事にします。どんなに深い傷を負っても、街が様変わりしても彼らが一切変わらないのは、それが彼らの本質だからでしょう。つまり、アンジェリーナ・ジョリーを引きつけてやまないカンボジアの魅力は、「人」に集約されるのです。

ぜひ『最初に父が殺された』を観た上で現在のカンボジアを訪れ、アンジェリーナ・ジョリーの目に映ったカンボジアを追体験してみてください。きっと、自らの生き方を見つめ直すきっかけになるでしょう。

参考リンク:
・2011年「ルイ・ヴィトン」コア・ヴァリュー広告 インタビュー

・2017年2月「BBC News」インタビュー

・2017年2月「ABC News」 インタビュー

・2017年9月「TIFF 2017」インタビュー

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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