ビル・ゲイツ:アメリカで最も裕福な人物

ビル・ゲイツは、Microsoft Corporationの共同創業者の一人です。イギリスの名誉騎士やアメリカの大統領自由勲章をはじめとした多数の称号や賞を送られており、起業家や技術者としてだけでなく、慈善活動家や教育者としても多くの功績を残しました。今や世界中で利用されているMicrosoftを築き上げたゲイツについて詳しく解説します。

<コンピュータに魅せられた少年時代>

ゲイツは、1955年アメリカ合衆国ワシントン州の裕福な家庭で誕生。少年時代の彼は、ボーイスカウトや聖歌隊に参加したり、日曜学校にも通ったりするなど活発的だったそうです。また子供の頃から、ナポレオンやフランクリン・D・ルーズベルトなど大人でも難しい伝記を読んでいた彼の頭脳はIQ160あるといわれており、小学校も好成績で卒業しています。

※画像はイメージです

そんなゲイツは、シアトルにあるアメリカ国内でも指折りの名門私立レイクサイドスクールに入学。彼が13歳の頃、学校でコンピュータに接続するテレタイプ端末が導入されたことをきっかけに、コンピュータに興味を持ち始めます。学校の近くにあったコンピュータ企業が機械の耐性テストを行うため無償でコンピュータを使用できるようにしていたことを知り、ゲイツは週末や夜間に友人たちと通うようになりました。そこで彼は、企業などが使用する大型コンピュータの「メインフレーム」に詳しくなっていきます。

高校生になると、当時大学生だったポール・アレンとともに「トラフォデータ」というチームを結成。交通量計測システムなどを開発しますが、この活動ではあまり大きな成功を収めることはなかったといいます。

<世界屈指のシェアを誇る「Microsoft」が開発されるまで>

ゲイツがプログラマとして頭角を現したのは、大学時代の頃です。彼が19歳の頃、ある技術雑誌に個人用のコンピュータ「Altair 8800」が発売されることを知ります。当時、コンピュータは大変高価なもので、また個人で使用するには大きすぎることから企業や研究所が利用していることが一般的でした。ゲイツはAltair 8800専用の「BASICインタプリタ」を造ればビジネスチャンスになると考え、アレンとともに制作を目指します。Altair 8800を販売した電子機器メーカーの社長は「動作するBASICを最初に持ってきたものと契約する。」と言ったため、ゲイツとアレンは約2ヶ月で「BASICインタプリタ」を完成させ「Altair BASIC」が発売。このことが評価され、アレンのみ電子機器メーカーの社員に迎えられました。
その後、1977年にゲイツとアレンはパートナーシップの契約を取り交わすと、後々「Microsoft」という社名となる経営を始め、様々なソフトウェアを開発します。

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Altair 8800のビジネスが成功した後もゲイツは大学に在籍していましたが、1977年にApple社のパーソナルコンピュータ「Apple II」が発売されたことで、またしてもゲイツに転機が訪れます。コンピュータ関連企業であるIBM社が「Apple II」の成功に自社でもコンピュータの制作することを考え、自社独自のオペレーションシステム(OS)の制作をゲイツとアレンに依頼。IBM社独自のOS「PC DOS」を開発しますが、ゲイツらはこれをさらに「MS-DOS」という名に改良し他社のコンピュータでも使用できるよう普及しました。

ですが、1982年にビジコープ社がOSの機能の一つであるグラフィカルユーザインタフェース(GUI)を開発。当時、GUIの必要性を感じていたゲイツはこの発表に焦りを感じて「ビジコープ社のGUIと同じ機能を持つソフトウェアを発売する」と宣言し、その3年後にようやく「Windows」というOSが発売されました。
ですが、すでに発売されていたApple社のGUI機能があるOS「Macintosh」には大きく見劣りしており、実用的に使用できるシステムではなかったといいます。その後、1995年に開発した「Microsoft Windows 95」でようやくMicrosoft社はApple社と並び立つことができました。

「Windows」の開発後も、後に「Word」「Excel」と呼ばれる表計算ソフトやワープロソフトを次々と開発し、「Microsoft」と呼ばれるビジネスソフトウェアのシャアを独占します。この成功でビル・ゲイツの名も世界に知られるようになりました。

<マイクロソフト社のCEOを引退後、慈善団体を結成し世界に貢献>

2000年になると、ゲイツはCEOを辞任して「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」を妻のメリンダと共に慈善募金団体を設立。現在は「技術担当アドバイザー」として活躍しつつも、マイクロソフトでの職を後任に譲り続けています。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団は、ビル・ゲイツや妻のメリンダ・ゲイツ、そしてビルの父親であるウィリアム・H・ゲイツ・シニアが共同で運営。「全ての生命の価値は等しい」という信念のもと、世界中の貧困や病気を解決するための支援を行なっています。アメリカ合衆国内では、教育分野やIT技術の普及に取り組むなど、幅広い分野で慈善活動に取り組んできました。この活動がアメリカ政府に認められ、2016年には大統領自由勲章を贈られています。

<世界一裕福な倹約家>

ゲイツは経済雑誌「フォーブス」で、アメリカ合衆国で最も裕福な人物ランキングから24年連続1位に輝きました。また、同じフォーブス誌がランク付けする世界長者番付でも、ゲイツは1994年から2006年までの13年間に渡って世界一を独占しています。ゲイツの個人資産は日本円で約6兆2000億円と言われており、世界で最も裕福な人物の一人として知られていますが、それと同時に彼は倹約家としても有名です。

彼は幼少期から自分のことには全くお金を使わなかった性格だったそうで、日本のマイクロソフト社が用意したファーストクラスの搭乗券に激怒し、後に記者のインタビューで「会社の金でも個人の金でも、無駄なことに金を使うことは理解できない。ファーストクラスの料金に(エコノミークラスの)何倍もお金を払ってみたところで、到着する時間は同じなのだから」と語っています。また、部下が用意したホテルも「こんな大きな部屋はもったいない、寝る場所があり、インターネットにアクセスできればそれで良いのだから」とそれとなく注意することもあったといいます。こういった彼の言動が倹約家だといわれる理由のひとつでしょう。

<慈善活動家としても世界に大きな影響を与えるビル・ゲイツ>

いかがだったでしょうか?ビル・ゲイツは学生時代から技術者として走り続け、今では世界で最も裕福な人物の一人となりました。彼はビジネスマンとして成功を収めるだけでなく、慈善活動家としても世界に大きな影響を与えています。優秀なビジネスマンとしてだけでなく、人格も兼ね備えたゲイツの人生から、多くのことが学べるでしょう。

参考サイト:Wikipedia ビル・ゲイツ

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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