飯野賢治:没入体験の魔術師、世界中で称賛された『Dの食卓』

飯野賢治は、1990年代後半から主に家庭用ゲーム機を手がけた日本のゲームクリエイターです。家庭用ゲーム機の性能が飛躍的に上がった時代、3Dを駆使した「Dの食卓」が100万本を超えるヒット作となり、注目を集めました。その後、見えない敵と戦う「エネミー・ゼロ」、画面表示がなく音だけでプレイする「リアルサウンド〜風のリグレット〜」など、常識を覆すゲーム作りが話題を呼び、テレビや雑誌などにも登場しました。しかし2013年、高血圧性心不全により、42歳の若さで亡くなりました。

■生い立ち

飯野賢治氏は、1970年に東京都荒川区で生まれました。幼少時から英才教育を受けましたが、小学生の時に母が出奔、それから父親と二人で暮らすようになりました。(後に母親の記憶は、ほとんどないと語っています。)

飯野氏は、幼少時からゲームと音楽への興味が強かったようです。後のインタビューによると、初めて遊んだビデオゲームは「ブロック崩し」と「スペースインベーダー」で、特に「スペースインベーダー」には一目惚れしたと答えています。

小学校高学年の時には、地元のゲームコンテストに「十和田湖殺人事件」というゲームを出品し、見事入賞を果たしました。

芸術家肌な人に有りがちな事ですが、飯野氏も学校になかなか馴染めないタイプだったようです。高校を中退した後、大学入学資格検定試験を受験しますが、失敗に終わっています。

■ゲーム業界へ

飯野氏が目を向けたのが、ゲーム業界でした。18歳の時にゲーム会社の「インターリンク」へ入社し、ゲーム開発に携わりますが、ほどなくして自身のゲーム会社「EIM(Entertainment Imagination and Magnificence)」を立ち上げます。

インターリンクでは、ウルトラマンをキャラクターに使用したファミコン向けビデオゲーム「ウルトラマン倶楽部2 帰ってきたウルトラマン倶楽部」(1990年)を最初に手掛けました。その後EIMでは「たいむゾーン」(1991年)、「わんぱくコックンのグルメワールド」(1992年)など、立て続けに制作していきます。

飯野氏はゲーム制作だけでなく、音楽制作にも手腕を発揮し、「SDヒーロー総決戦 倒せ!悪の軍団」(1990年)、「獣王記」(1990年)といった作品では、サウンドプロデューサーも務めています。

こうして、矢継ぎ早にゲームを手掛けてきた飯野氏ですが、インターリンクやEIMのビジネスモデルに限界を感じ始めていました。なぜなら、両社は他のゲーム会社の下請けが多く、続編やスピンオフの作品をメインとしていたからです。

1994年、別のゲーム会社「WARP」を立ち上げる事になりました。飯野氏の「伝説」は、ここから始まっていきます。

■「Dの食卓」登場前

WARPを立ち上げ、最初に手掛けたのが「Dの食卓」でした。「Dの食卓」は、そのユニークなコンセプトがゲーム愛好家に衝撃を与え、日本だけでなく、世界中でベストセラーとなりました。その売上累計は、なんと100万本を超えたそうです。

「Dの食卓」は、パナソニック(当時は松下電器)が発売した「3DOインタラクティブ・マルチプレイヤー」向けに開発されたゲームです。

ゲームについて説明する前に、当時の家庭用ゲーム機市場について説明しましょう。

1990年代後半は、「マルチメディア・ブーム」と呼ばれるトレンドの中にあり、家庭用ゲーム機の世界が大きな変貌を遂げた時代でした。

また、コンピューターの性能が一気に上がり、パソコン通信やISDN(Integrated Services Digital Network サービス総合ディジタル通信網)の普及で、ネットワーク社会の到来を間近に感じた時代でもあります。

そして、スーパーファミコンやメガドライブといった16ビットCPU (CPUとは、コンピューターにおける頭脳のような物) を用いたゲーム機が成熟期を迎え、当時出回り始めた32ビットCPUを用いた次世代機種の登場が予見されていました。

そこへ大々的に参入したのが、家電メーカートップの松下電器です。3DOは、単なるゲーム機ではなく、マルチメディアの情報端末として売り出されました。

マルチメディアとは、いったい何でしょうか?「ASCII.jpデジタル用語辞典」によると、次のように定義されています。

文字や音声、動画、静止画などの複数の媒体(メディア)をコンピューターで表現する技術、またはシステムのこと。それぞれの媒体を組み合わせて電子的に扱うことで、多彩な表現を可能にする。今のところ、厳密な定義は確立していないが、インタラクティブ性を持つことが必要条件ともいわれている。文字、画像、動画などをインタラクティブに操作できるWebは、マルチメディア表現の代表例といえる。

出典:コトバンク マルチメディアとは

現在では、当たり前のように感じるかもしれませんが、インターネットが普及する以前、動画やインタラクティブ性といったウェブ上で当然のように出来る事も、不可能な時代でした。1995年のWindows95発売や、その後のインターネットやブロードバンドの急速な普及で、マルチメディアは当たり前の技術になっていきました。

当時、3DOは超高性能で、初めて3Dに本格対応した次世代ゲーム機でした。

それでは、次世代ゲーム機によって実現するマルチメディアとは、いったい何でしょうか?そんな問いに対する飯野氏の答えが「Dの食卓」なのです。

■「Dの食卓」の画期性

「Dの食卓」は、「ゲーム」というより「インタラクティブ・シネマ」をコンセプトにして作られたゲームで、ロサンゼルスにある有名病院が舞台になっています。突然狂気に襲われた院長が患者や医師らを次々と惨殺、入院患者を人質に立て篭もるという事件が起こります。プレイヤーは、院長の娘「ローラ・ハリス」となって病院へ乗り込み、院長の説得を試みます。しかし、病院に入った途端に不思議な現象が起こり、中世の古城のような場所に閉じ込められてしまいます。

“数々のトラップを潜り抜け、ローラは院長の元へ辿り着く事が出来るのでしょうか?そして、院長が異常な行動に出た理由とは?”

「Dの食卓」は、このような脱出・謎解き・ホラーの要素がふんだんに盛り込まれています。「Dの食卓」は、どこが画期的だったのでしょうか?

① 3Dとムービーの組み合わせ
② プレイヤー視点でしか物が見えない
③ 制限時間を設けた

この3つがポイントだと言われています。順番に説明していきましょう。

①については、初めての本格的な3Dゲームという事で、分かりやすいポイントではないでしょうか。3Dと実写さながらのCGムービーが組み合わされた事で、プレイヤーは現実の出来事へ放り込まれた感覚に陥ります。

それまでのゲームは、ドット絵を中心にした2Dが主流でした。3Dポリゴンが自分の動きに合わせて動く様は、まさに次世代ゲームの到来を感じさせたものです。

次に指摘するのは、②の「プレイヤー視点でしか物が見えない」という点です。

以前から脱出ゲームというジャンルや、RPGにおいて広大なマップの中を冒険するというゲームはありました。

そうしたゲームは、マップ機能を用意し、これまで辿ったルートや一度訪ねた場所が分かるようになっています。

しかし、このゲームにおいて便利機能は一切ありません。ゲームとしては、珍しい仕様ではないでしょうか。

最後に指摘するのは、③の「制限時間を設けた」という点です。ほとんどのビデオゲームは、セーブやロード機能を駆使し、プレイした所へ戻る事が出来ます。

しかし、このゲームにはセーブやロード機能はありません。ゲーム開始から二時間以内に終了しないと、強制的にスタート地点へ戻されてしまいます。

このゲームは今までのゲームと違い、「インタラクティブ・シネマ」であると飯野氏は説明しています。このような仕様にしたのは、明確な意図があっての事だったのです。

「インタラクティブ・シネマ」とは何でしょうか?
これまでの映画は、映像の人物と観客が明確に分かれていました。これは、技術の制約による物です。

アナログ技術時代(フィルムを現像し、上映していた時代)には、観客の選択や判断に基づいて映像の内容を変える、という事は出来ませんでした。
しかし、デジタル技術にはそうした制約はなく、ストレージの容量さえ許せば観客の選択や好みに応じて、いくらでも内容を変える事が出来ます。

これが「インタラクティブ・シネマ」の意味です。

家庭用ゲーム機という道具を得た飯野氏が、それを駆使して作り上げた映画ジャンルこそが「Dの食卓」と言えるでしょう。

“「映画」だから、ヒントやマップはない。「映画」だから、制限時間があり、後戻りも一時停止も出来ない”

「Dの食卓」は、こうした制約と引き換えに、映画と遜色のないハラハラ・ドキドキする緊迫感、まるで登場人物になり切ったような「没入感」を手に入れたのです。

この圧倒的な没入感は全世界で評価され、「マルチメディアグランプリ’95 通産大臣賞」受賞へと繋がりました。

■「エネミー・ゼロ」と「リアルサウンド〜風のリグレット〜」

飯野氏は、この没入感を更に突き詰めていきます。
1996年に発表した「エネミー・ゼロ」は、密閉された宇宙船の中で敵と戦い、謎を解いていく、という作品です。

映画「エイリアン」を思わせるストーリー、不気味なグラフィックが印象的ですが、本作を最も特徴付けているのは「敵が見えない」という点です。

敵が見えない状況で、どうやって戦うのでしょうか?
主人公(プレイヤー)は、敵の接近を音で知らせるセンサーを持っており、その音を頼りに戦います。

プレイヤーは、自らの耳だけが頼りなので、否応なしに緊迫感や臨場感が増してきます。これこそがまさに「圧倒的な没入感」です。

実を言うと、このゲームは難易度が高すぎるという事で、当時の評価は芳しくありませんでした。しかし、没入感(プレイヤーと主人公が一体となる体験)においては、圧倒的な評価を得ています。

次に話題となったのが、1997年に発表された「リアルサウンド〜風のリグレット〜」でした。

この作品はビデオゲームですが、「インタラクティブ・サウンドドラマ」という「音」のみで遊ぶ、恋愛アドベンチャーゲームです。

ゲームの世界には、「サウンドノベル(ビジュアルノベル)」というジャンルがあります。これは「紙芝居方式」と言われ、画像に対して音が付けられた物です。「リアルサウンド〜風のリグレット〜」は、この画像すらも廃した画期的な作品でした。

本作品について「つまらない」という評価もありましたが、やはり圧倒的な「没入感」についてプラス評価をする人は多かったのです。

■晩年

時代の寵児として、あるいはゲーム業界の異端児として、テレビ・雑誌・ラジオなどで大活躍していた飯野氏ですが、21世紀に入ってからはヒット作に恵まれず、小説などの他分野で活躍しました。

そんな中、飯野氏は「数字」をテーマにした新しいゲーム「KAKEXUN(カケズン)」を構想していました。「宇宙を遊べ 世界を解け!」をキーワードとした全く新しい計算ゲームだったそうです。

『KAKEXUN(カケズン) 公式サイト PV』

しかし、その構想が実現する前に、高血圧による急性心不全で、帰らぬ人となりました。

飯野氏亡き後、残されたスタッフを中心に、企画書段階だった「KAKEXUN(カケズン)」を実現しようというプロジェクトが始まります。

クラウドファンディングで資金調達を行い、ゲーム開発は飯野氏のライバルだったゲームクリエイター、飯田和敏氏(「アクアノートの休日」などの作者)が指揮を取るという豪華布陣で、β版の開発までこぎ付けました。

『KAKEXUNβ版(カケズンベータ)オンラインゲーム制作プロジェクト』

飯野氏は亡くなりましたが、「誰も作らなかったゲームを世に送り出す」というゲーム開発者としての魂は、これからも生き続ける事でしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧