『風が吹くとき』:核戦争後の世界を描くホロ苦アニメーション

「風が吹くとき」は、1986年に公開(日本公開1987年)された、核戦争の惨禍を描いたアニメーション映画作品です。(原題「When the Wind Blows」、イギリス映画)
イギリスの片田舎に住む老夫婦が、核爆弾投下後の放射線障害によって亡くなるまでを描いています。原作は、「スノーマン」(同じくアニメーション化され、アカデミー賞・ノミネート)などで知られる、イギリスのイラストレーター兼、漫画家のレイモンド・ブリッグズです。

『あなたは、核戦争が起きたらどうしますか?
どこかへ避難しますか?それとも、地面に穴を掘って隠れますか?』

こう聞かれても、ピンと来る人はほとんど居ないでしょう。なぜなら、今すぐに核戦争が起きるとは思っていないからです。

しかし、1980年代のアメリカ合衆国とソビエト連邦は厳しく対立し、世界の何処かで小さな戦争が頻発していました。

「冷戦」は、いつ「熱戦」となるのでしょうか?誰にも予想出来ない時代でした。両国は、人類を何回も破滅出来るだけの核兵器を持ち、角を付き合わせていたのです。

“静寂の中、見えない恐怖”

そんな現実を静かな筆致で描いたのが、1986年に公開されたアニメーション映画「風が吹くとき」です。

静かな筆致ではありますが、そこには本物の恐怖が描かれています。当時子供だった世代の多くが「トラウマアニメ」と記憶している事からも、このアニメーションの破壊力、説得力が伺えます。

■「風が吹くとき」の概要紹介

主人公は、イギリスの片田舎に暮らす、年金生活者の老夫婦です。

すでに仕事を引退した夫は、世界情勢に興味はあるものの、強い政治的信条があるわけでもなく、引退後の生活を楽しんでいました。妻は、政治や世界の状況にはあまり興味を持たず、淡々と家事をこなしています。

平穏な日々を過ごしていたある日、ラジオから流れてきたのは「核戦争が起こるかもしれない」という衝撃的な報道でした。

夫は、政府が配布した核戦争対策パンフレットに従い、核シェルターのような物を作り始めますが、「白いペンキで壁を塗り、部屋の隅にドアを立てかけ、釘で固定。手前にクッションを置き、白い服を着る。」これで万全だと思い込んでいます。

核についての知識が少しでもある現代人にとっては、あまりにも原始的で意味のない「核シェルター」と感じるでしょう。しかし、当時の一般的なイギリス国民は、このようなレベルの知識しか持ち合わせていませんでした。

そしてある日、恐れていた出来事はやってきました。
ラジオが唐突に「核ミサイル到達」の知らせを伝え、夫は妻を抱きかかえて「核シェルター」へ避難します。

そして、ついに核爆弾が着弾、巨大な爆風で街は消し飛び、跡形もありません。しかし、田舎住まいの二人は、幸い核爆弾の直撃を免れ、生き延びる事が出来ました。

しかし、徐々に原爆症(放射線障害)が二人を蝕んでいくのです。

最初は、「新聞が届かない」「家の中が汚れちゃった。掃除しないと」「水が出ないからお茶も飲めない」など、日常の延長線上のような会話が続きます。

しかし、日に日に悪化していく頭痛や吐き気、目眩、目の周りの隈、血便、歯茎からの出血。

原爆症に蝕まれていく二人は、夫が作った「核シェルター」に籠り、最後の時まで祈りを捧げました。

『「風が吹くとき」予告』

■英国民間防衛パンフレット「防護と生存」騒動

この作品が恐ろしいのは、全くのファンタジーではなく、事実に基づいているという事です。

作中に登場した「政府の核戦争対策パンフレット」は、実在しました。「防護と生存(Protect and Survive)」と題したパンフレットは、1970年代から始まった広報プロジェクトの一貫として作られ、政府部内向けに出版されました。(1976年出版)

一般向けには非公開でしたが、1980年1月にロンドン・タイムズがこれを問題視する記事を発表します。議会外の圧力により、1980年5月にパンフレットは一般向けにも出版されました。

その内容とは、まさに作中で描かれた物と同じで、さらにショッキングなのは、「地方自治体は何も出来ません」と記載されていた事です。

当然、このパンフレットに対してイギリス国民は憤激し、反核運動が加速していきました。

また、ポピュラーカルチャーにも大きな影響を与え、「防護と生存」を題材にした曲が何曲も作られています。

「風が吹くとき」の原作は、このような時代風潮の中、発表されました。(1982年)

『Curator’s tour of Protect and Survive: Britain’s Cold War Revealed』

■作者の横顔

作品の原作者とアニメ版の監督、どちらも注目すべき作家です。

原作者のレイモンド・ブリッグズは、1934年にロンドン・ウィンブルドンで生まれました。(漫画家、イラストレーター、作家)

幼い頃から絵を描く事が好きだったブリッグズは、母親の反対を押し切って美術学校へ進み、プロの児童文学作家になります。

独立したプロの漫画家としてのデビュー作は、1973年に発表された「さむがりやのサンタ」(福音館書店)で、人間味あふれるサンタの日常を描いたコマ漫画です。書店や図書館の児童書コーナーによく置かれているので、見かけた事があるのではないでしょうか。

『The Most Loved British Santa Ever? | Raymond Briggs’ Father Christmas』

しかし、彼の最も有名な作品といえば、アニメーション映画にもなった「スノーマン」(1978年出版)でしょう。

大雪が降ったある冬の朝、少年は大きな雪だるまを作りました。夜中にその雪だるまを眺めてみると、どうした事か、雪だるまには命が吹き込まれていたのです。少年は雪だるまを家へ招き入れると、歌ったり、踊ったり、バイクを乗り回したりと大喜び。やがて少年は、雪だるまに手を引かれ、空を飛んでパーティーへ向かいます。

帰宅後、眠りについた少年が目覚めると、雪だるまは溶けて無くなっていました。

ファンタジックな色合いと、子供時代に誰もが夢見たような物語が絶妙にブレンドされ、何度も読み返したくなる作品です。

1982年にアニメーション映画化され、アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされるなど、全世界で愛され続けています。

『Jon Snow Meets The Snowman』

この時、監督の一人として制作に携わったのが、日系アメリカ人二世のジミー・テルアキ・ムラカミ(村上輝明)でした。

『Jimmy Murakami interview #8: First Short Film』

ジミー・テルアキ・ムラカミは、1933年にカリフォルニア州サンノゼで生まれました。日本人移民の農場主の家庭で育ち、第二次世界大戦中に強制収容所へ収監されます。しかし、この頃に見たディズニーアニメーション「白雪姫」がきっかけで、アニメーターを目指すようになりました。

赤狩り時代、ディズニーを離れたアニメーターによるアニメーション会社が設立。村上は、この会社で働き始めた事をきっかけに、秀作を生み出していきます。

1980年、黒澤明の「七人の侍」を元にしたハリウッド映画、「宇宙の七人」の監督を務めました。(美術監督には、ジェームズ・キャメロンを起用)

その後、レイモンド・ブリッグズとタッグを組んだ、映画版「スノーマン」(1982年)、「風が吹くとき」(1986年)を制作しています。

村上は、原爆や強制収容所で家族、親戚を亡くしています。「原爆」がテーマである「風が吹くとき」を制作するにあたって、個人的な記憶が影を落とした事は想像に難くないでしょう。

しかし、作品に対するそうした言及はありません。だからこそ、芸術の奥深さを経験する事が出来る作品としても傑作だと言えます。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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