レオナルド・ダ・ヴィンチ:パーフェクトを手に秘めた万能人

(Public Domain /‘self-portrait’ byLeonardo da Vinci. Image viaWikimedia commons)

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)は「最後の晩餐」や「モナ・リザ」などで知られるイタリアの芸術家です。彼は絵画以外にも、天文学、解剖学、生物学、地質学、物理学、力学、機械工学、数学、建築学など多岐にわたる分野に精通していたため「万能人」と呼ばれていました。また、ダ・ヴィンチは婚外子として生まれ父親の姓を名乗ることが出来なかったため、自身が育った村にちなんでダ・ヴィンチと名乗ったそうです。

だれの目に見ても明らかな才能

ダ・ヴィンチが幼少期のころから左手で鏡文字を書いていたという話は有名です。しかしこれはダ・ヴィンチが婚外子であったため、読み書きの教育を受けることが出来なかったが故と言われています。

14歳になるとアンドレア・デル・ヴェロッキオに弟子入りし絵画を学びます。ヴェロッキオはダヴィンチ以外にも何人かの弟子をとっていて、後進の才能を伸ばすことに秀でた人物でした。しかしダ・ヴィンチはヴェロッキオの腕前をとうに超越しており、それを見たヴェロッキオが筆をとることは二度となく、彫刻に専念するようになります。その後ダ・ヴィンチはミラノ公に仕えながら自身の工房を構えて独立し、イタリア各地で精力的に活動しました。

またダヴィンチは生涯独身でしたが、同性愛者なのではないかという噂もあったそうです。しかし当時は同性愛が違法とされていたため、1476年フィレンツェの裁判記録にダ・ヴィンチら3名の青年が同性愛の容疑をかけられたという記録も残っています。

裏切り者だと一目でわかる仕掛け

(Public Domain /‘The Last Supper’ by Leonardo da Vinci. Image viaWikimedia commons)

ダ・ヴィンチの有名な作品といえば「最後の晩餐」と「モナ・リザ」でしょう。「最後の晩餐」は1495から1498年にかけて描かれ、現在はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に収蔵されています。

この作品は「あなたがたのうちの1人が、私を裏切ろうとしている。」というイエス・キリストの言葉に驚き、ざわめく12人の弟子たちとの晩餐の様子を描いた絵画です。イエスを裏切るユダは、その右手に報酬の入った袋を握りしめています。そしてこの晩餐の後、イエスは無実でありながらもユダヤ王を名乗った罪で処刑されてしまいます。

またフレスコという耐久性の高い技法を用いて製作されていないため、この壁画は非常に傷みやすく劣化が激しいものでもありました。この絵は普通、板絵を描くときに用いられるテンペラ技法というものを用いて描かれたため画層がもろく、完成からしばらくすると傷んでしまい、今でもたびたび修復されつつ状態が保たれています。しかし、ダ・ヴィンチはユダを批判する描き方をするため、あえて消耗してしまう画法を選んだのではないかとも言われています。

モナ・リザは誰なのか

(Public Domain /‘Mona Lisa’ byLeonardo da Vinci. Image viaWikimedia commons)

1503年にダ・ヴィンチは女性の肖像画「モナ・リザ」を描きました。この頃は、ルネサンスが最盛期を迎えていて、フランチェスコ・デル・ジョコンドというフィレンツェの商人がこの絵をダヴィンチに依頼しました。そのためこの女性は、ジョコンドの妻のリザがモデルであるとも言われています。しかし、マンドヴァ公妃のイザベラ・デステや、ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチの愛人、ダ・ヴィンチの母、はたまたダ・ヴィンチの理想の女性を描いたのではないか、など様々な説が唱えられています。また、ダ・ヴィンチの自画像を反転させると「モナ・リザ」にぴたりと一致することが判明し、ダ・ヴィンチ自身を描いたのではないかという憶測まで囁かれるようになりました。

しかしドイツのハイデルベルク大学附属図書館で、蔵書に記されたある書き込みが見つかります。その蔵書はかつてフィレンツェの役人であったアゴスティーノ・ヴェスプッチのものであり、余白には1503年10月の日付とともに〝レオナルド・ダ・ヴィンチがリザ・デル・ジョコンドの肖像と聖アンナを制作中である。〟と記されていました。1503年はダ・ヴィンチがローマからフィレンツェに戻った時期と合致します。

この発見によりジョコンドを描いたという説が有効になりますが、ダ・ヴィンチはなぜこの絵の依頼主に「モナ・リザ」を渡さなかったのでしょうか。ダ・ヴィンチがこの絵を自身で持ち続けていたことも謎の一つです。

フランソワの腕の中で

(Public Domain /‘Annunciation’ by Leonardo da Vinci. Image viaWikimedia commons)

ダ・ヴィンチが描いた宗教画としては、他にも「岩窟の聖母」、母から娘、娘から子へ時代を超え受け継がれる神の教えを描いた「聖アンナと聖母子」、マリアが身ごもった場面を描いた「受胎告知」などがあります。

ダ・ヴィンチと晩年を共にし、フランス・ルネサンスの父とも呼ばれていたランソワ1世は彼の能力に非常に敬意を表しており、「この世界にダ・ヴィンチより優れた人物はいない」と語ったそうです。ダ・ヴィンチは1519年5月にフランソワ1世の居城で死去しますが、フランソワ1世とは親密な関係を築いていました。ダ・ヴィンチが亡くなるまで彼はダ・ヴィンチに10,000スクード(現在の価値で3億円以上)も貢ぎ、ダ・ヴィンチは最期の瞬間もフランソワ1世の腕の中にいたと言われています。そしてダ・ヴィンチの遺体は、アンボワーズ城サン・ユベール礼拝堂に埋葬されました。

魅力が溢れすぎているダ・ヴィンチ

(Public Domain /‘Renaissance’ by Leonardo da Vinci. Image viaWikimedia commons)

ダ・ヴィンチはあらゆる面で人を惹きつける人物だということは、あまりに多くの人々が語っていることです。また、彼は菜食主義者であり人間と動物の命を同じように重んじ、鳥を購入しては放してあげていた、などの逸話がたくさんあることも有名です。

ダ・ヴィンチの絵画には単に技術が優れているだけでなく色調の繊細さや人物配置など、どこをとってもレベルが高く計算されつくしており、現代においても彼の作品を読み解こうとする人々は後を絶ちません。

ダ・ヴィンチという人物を絵画の分野から紐解いていきましたが、彼は美術だけに留まらず、ありとあらゆる才能を持っていました。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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