ヘルマン・カール・ヘッセ:精神的に苦しみながらも執筆を続けた作家

ヘルマン・カール・ヘッセ(1877-1962)
詩や小説によって知られるドイツ出身の文学者兼作家。ドイツ南部のヴュルテンベルク王国に、宣教師である父ヨハネスの第二子として生まれる。ヘッセは父の影響を受けプロテスタントの神学生になるが入学からわずか7か月で退学し、その後自殺未遂や精神病院への入院など振れ幅の大きい人生を送る。退院すると書店の店員など様々な職を転々としながら詩や小説の執筆をし、ノーベル文学賞を受賞するなど成功を収めた。

<車輪の下(1906年)>

–あらすじ–

少年ハンスは神学校入学のため受験勉強を続け、見事合格を勝ち取り学校で勉学に励みます。しかし時間は刻々と過ぎていくなかで生きる喜びを見つけることができず、自身が送る日々に矛盾を感じていました。そんな時同級生のハイルナーと出会い、ハンスの考えは大きく変化します。ハイルナーは奔放な性格で成績はよくなかったものの、世界の美しさや自然の温かみなど、勉強だけでは知ることのできない大切なものを理解している少年でした。ハンスはハイルナーと交流を重ねていくうちに「空に浮かぶ雲の美しさ」に気付きますが、同時に勉強が疎かになり成績も落ちていったのです。

この作品はヘッセの自伝小説とも言われており、勉強や周囲からの期待、そして自身の将来への期待と不安という永遠のテーマを題材にしています。ヘッセは自分の中に存在する感情をハンスとハイルナーの2人で表現していて、「勉強ばかりをしてきたハンス」と「自然の中で楽しむことが出来るハイルナー」が出会うことでヘッセ自身の破滅を描いています。

※画像はイメージです

<戦争と執筆>

ヘッセはノスタルジック的な雰囲気漂う作品が多く詩集も出していましたが、1919年頃から作風が一変します。第一次世界大戦により彼は精神的なショックを受け、現代文明への強烈な批判と洞察、精神的な問題が多く描かれた作品を執筆するようになりました。その特徴が顕著にあらわれているのが「デミアン」です。この「デミアン」という作品は10歳のエミールという少年が悪の世界に引きずり込まれることから始まり、「自己を追い求める」というヘッセ独特の精神世界が描かれています。そしてこの作品がきっかけとなり、彼はドイツ文学を代表する作家となりました。

<ノーベル文学賞>

ヘッセは生涯最後の作品として1943年に「ガラス玉遊戯」を出版し、第二次世界大戦が終わった1年後の1946年に69歳でノーベル文学賞を受賞しました。しかし彼は、その秋に行われたノーベル賞授与式に姿を現しませんでした。気難しいヘッセは自身を祝うことを嫌っていたため、2枚の便箋に書いた声明文をストックホルムに送り代読してもらうのみとしたのです。ただノーベル賞財団の平和に関する考えには彼も共感しており、自身が授与された賞を「ドイツの言語および文化が認められた証だ」と評価し喜んだといいます。

<ヘッセが残した言葉と主な作品>

ヘッセは詩集や作品の中で多くの名言を残しています。彼自身への戒めを込め「破綻」や「破滅」という言葉を使ったものから、「夢」や「愛」という優しさ溢れる表現をしたものまで様々です。どの名言にも共通して言えるのが、聖書のような言い回しが多いことでしょう。幼いころからの父の影響や、神学校で学んだことが彼の作風に現れていることがよく分かります。

◆主な作品

1904年 郷愁
1906年 車輪の下
1910年 春の嵐
1915年 漂白の塊
1916年 青春は美わし
1919年 デミアン
1922年 シッダールタ
1927年 荒野の狼
1930年 知と愛(ナルチスとゴルトムント)
1931年 少年の日の思い出
1943年 ガラス玉遊戯
1951年 晩年の散文

<さいごに>

精神的なショックや戦争の影響を受けながらも執筆を続けノーベル文学賞を受賞したヘルマン・カール・ヘッセ。人生における葛藤や穏やかな生き方など、物語を通して読み手を導くような作品が多くあり、いまでもたくさんの人に愛されています。詩集など手軽に楽しめるものもあるので、興味のある方は是非一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

参考:Wikipedia ヘルマン・ヘッセ

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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