ドミニク・アングル:新古典主義を継承した画家

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルは1780年、フランスのモントーバンに生まれた画家です。ドラクロワのようなロマン主義の画家が台頭していた19世紀前半のフランスで、アングルは新古典主義の作品を制作し続けました。そんなアングルの生涯と作品を紹介します。

■ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルとは

(Public Domain /‘Self-portrait at age 24’ by Jean-Auguste-Dominique Ingres. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルは1780年、フランスのモントーバンに生まれました。父親は画家でありながら彫刻や装飾美術も行うジャン=マリー=ジョセフ・アングルで、アングルは幼いころから芸術に関心を抱いていました。父ジョセフの仕事は多岐にわたっており、建築や家具の装飾彫刻、音楽に至るまで幅広い分野で活躍しており、アングルもまた、音楽・ヴァイオリンを学んでいたといわれています。記録ではニコロ・パガニーニと弦楽四重奏をしており、フランスで「アングルのヴァイオリン」という言葉は「本格的な趣味」という意味をなすほど、その腕前は確かなものであったといわれています。

アングルは11歳の時にトゥールーズの美術アカデミーに入学し、1797年にはパリでジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門。アングルは早々に才覚を表し、1801年にはローマ賞を受賞しています。ローマ賞は当時の若手画家たちにとって登竜門的な存在であり、国費でのイタリア留学が許されることになっていました。しかし、当時のフランスの政治状況は混乱のさなかにあったため留学は延期。1806年になってようやくローマを訪れることになります。

アングルはイタリアを大変気に入り、留学期間が終了してもフランスに戻ろうとはしませんでした。1813年にはマドレーヌ・シャペルと結婚。1824年まではラファエロやミケランジェロといった古典の巨匠たちの作品を研究し、生活のために肖像画を描くといった生活をしていました。

1824年にノートルダム大聖堂の祭壇画《ルイ13世の誓願》を制作すると、その新古典主義的でありながら劇的な表現が評価され、アングルはダヴィッドの後継者として熱狂的にフランスに迎えられることになります。当時はドラクロワをはじめとした若い画家たちのロマン主義が台頭しつつありましたが、アングルはそれに対抗する新古典主義の新しい指導者として迎えられたのです。

1825年にはレジオンドヌール勲章を受章し、アカデミー会員にも推薦されます。1834年には再びローマを訪れ、フランス・アカデミーの院長を務めるなど、アングルは当時のフランス画壇を導く画家として活躍していきます。その後も精力的に制作活動を続け、1867年に86歳で死去。最後の作品は1862年制作の《トルコ風呂》で、まさにアングルは生涯画家でありました。

■アングルの作品

アングルは作品を描くにあたって、デッサンを最も重要視していました。それはイタリア・ルネサンスにおける古典巨匠の作品を研究した際に培われたポリシーであり、安定した構図はまさに新古典主義の画家ならではと言えます。しかしその一方で、《グランド・オダリスク》のように通常の人体の比とは異なる姿で女性を描くなど、現実よりも自身の美意識を重視させることもありました。こうした制作スタイルは近現代の画家にも影響を与え、印象派の画家やマティス、ピカソに影響を与えたといわれています。そんなアングルの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《皇帝の座につくナポレオン1世》 1806年

(Public Domain /‘Napoleon on his Imperial throne’ by Jean-Auguste-Dominique Ingres. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1806年に制作された作品で、現在はパリの軍事博物館に所蔵されています。フランス第一帝政期の際にイタリアのある機関が依頼し、立法院が購入した作品で、ナポレオンの姿が神々しく描かれています。もともとの依頼は、皇帝ではなくイタリア王国の国王としてナポレオンを描いて欲しいというものだったため、依頼主が受け取りを拒否して立法院が買い取ったという説があります。
本作品ではアングルらしく、正面的な構図や圧倒的な写実性でもってナポレオンの偉大さが表現されているものの、サロンに出品された際には当時の流行と合わなかったのか、かなり酷評されたようです。

・《グランド・オダリスク》 1814年

(Public Domain /‘The Grand Odalisque’ by Jean-Auguste-Dominique Ingres. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1814年に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。
ナポレオン一世の妹であるカロリーヌ・ボナパルトに依頼されて製作されました。描かれているのはオダリスクと呼ばれる、オスマン帝国において君主の元で奉仕していた女奴隷です。
一見女性のしなやかな身体が描かれているように思えますが、よく観察すると左足の出方やウエスト、腰回りが不自然です。このことは、1814年に初めてサロンに出された時から言われています。『長い首の聖母』で知られるパルミジャーノのような、マニエリスムから影響を受けているだろうと思われますが、そのような古典的形式と題材のロマンティックさは相容れないと批判した批評家が多かったようです。
その一方で、復古的でありながら新しいというアングルの表現は、その後活躍する印象派のドガやルノワール、セザンヌやマティスなどに影響を与えています。

・《ルイ十三世の誓願》 1824年

(Public Domain /‘The Vow of Louis XIII’ by Jean-Auguste-Dominique Ingres. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1824年に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。
アングルが故郷モントーバンのノートルダム大聖堂のために製作した祭壇画で、描かれているのはルイ13世が聖母マリアに向かって誓願したというフランスの故事です。
ルイ13世とその妻アンヌの間には、結婚してからの24年間子供ができませんでした。そこでルイ13世は、跡継ぎの子を授けてくれたならフランス王国を聖母に捧げるとともに、ノートルダム大聖堂に新たな祭壇と彫刻を寄進すると聖母マリアに誓います。するとその年のうちにルイ14世が誕生したそうです。
フランス王国を捧げるというルイ13世の誓いが、本作では王権の象徴である王冠と王笏を聖母マリアに向かって差し出すという描き方で表現されています。

アングル作品は、あまり批評家に受け入れられず厳しい批判を受けたものが多いです。しかし本作品は、フランス政府の美術局長の熱烈な歓迎のなかサロンに持ち込まれたため、人々の興味を惹きました。サロンが閉幕すると翌年にはレジオン・ドヌール勲章を与えられます。本作がアングルの人生を劇的に変えたと言っても良いでしょう。

■おわりに

ドミニク・アングルはダヴィッドの後継者として新古典主義の名作を描いた画家であり、自らの美意識に従って作品を制作するというスタイルは、印象派やポスト印象派、ピカソをはじめとしたキュビスムの画家たち、また現代美術家に至るまで後世の多くの画家たちに多大な影響を与えました。

アングルは82歳に至るまで油彩画を描き続け、その名作たちはルーブル美術館をはじめとしたフランス各地の美術館に所蔵されています。そうした作品はフランスの人々の宝となるとともに、世界各地から訪れる人々を魅了し続けています。

参考サイト:Wikipedia ドミニク・アングル 閲覧2021年1月22日

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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