ウィリアム・ホガース:イギリスを代表する風刺画家

ウィリアム・ホガースは1697年イギリス、ロンドンに生まれた画家です。長く国民的な画家が生まれなかったイギリスにおいて独自のスタイルを確立し、《放蕩息子一代》などの名作を残しました。そんなホガースの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ウィリアム・ホガースとは

(Public Domain /‘The Painter and his Pug – (Self-portrait)’ by William Hogarth. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ウィリアム・ホガースは1697年、ロンドンのバーソロミュー・クローズで生まれました。父親リチャード・ホガースはラテン語学校の教師であったものの、経済状況は恵まれたものではなかったといわれています。

1713年になると、銀細工師であったエリス・ギャンブルのもとに弟子入りし、大都市ロンドンの通りを行き交う人々をスケッチするなどして日々を過ごしていました。しかしそんな中、ホガース一家を不幸が襲います。父親が経営していたラテン語で会話が楽しめるカフェが破綻してしまうのです。借金を返すことができずに逮捕され父は5年間投獄されてしまいます。そんな苦労もあったせいか両親ともにまもなく亡くなってしまいます。

ホガースは自分で生計を立てなくてはならず、1720年からは本屋の看板や請求書などのデザインを請け負うようになります。また、このころからセント・マーチン・レイン・アカデミーで本格的に絵画を学ぶようになっていきました。

1721年には風刺銅版画集である《南海泡沫事件》を出版します。「南海泡沫事件」とは1720年に起きた投機ブームによる株価の急落と暴落であり、バブル経済の語源となった事件です。南海会社は南アメリカとその周辺諸島とイギリスとの貿易を独占するために設立された勅許会社であったものの、スペインとの関係悪化や海難事故などもあって、会社経営そのものが危うい状況にありました。そんななか南海会社は起死回生の策として富くじを販売、これが注目を集め、南海会社の株価は大きく跳ね上がります。しかしその好景気はすぐに終わってしまい、数カ月で暴落。南海会社に投棄していた人々は大きな損失を出し、破産者も多く出るほどでした。

《南海泡沫事件》で一躍有名になったホガースは、風刺画を数枚の油彩の連作として制作し、その銅版画を作って売り出すことを思いつきます。1732年には「娼婦一代記」、1735年には「放蕩一代記」を発表し、一躍有名になっていきます。

そんなホガースの風刺画家としての地位を確固にした作品が、「当世風結婚」でした。政略結婚からはじまる本作品は大変な人気となり、ホガースはイギリスを代表する画家となっていきます。

(Public Domain /‘The Analysis of Beauty’ by William Hogarth. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

当時のヨーロッパにおいての芸術といえばフランスであり、イギリスは後進国でした。そんなイギリスの芸術を他国に劣らないものにしたいと考えていたホガースは、「美の分析」を発表します。「美の分析」は1753年にホガースが発表した著書で、イギリス絵画における美学を説明したものでした。ホガースは「美の分析」において6つの原理について言及していますが、特に複雑性の中に美があると考え、曲線に関する論理を展開しました。ホガースの理論によれば、直線が少なく曲線が多いほど線は美しいとされており、ホガースはこの理論に沿ってS字曲線の「ホガース・カーブ」を立案し、自らの作品にも取り入れていきました。

こうした画家としての業績や芸術理論の発表の他にも、ホガースは版画集の海賊版対策として議会に著作権の保護を訴え、「ホガース法」と呼ばれる著作権法を成立させるなどしています。こうした彼の活動は、自身はもちろん、画家たちの地位を向上させる一助となりました。

その後王立アカデミーの初代校長をつとめるなど、イギリス画壇の重鎮として活動していたホガースでしたが、1764年には66歳で死去。現代ではイギリス近代絵画の創始者として高い評価を受けています。

■ホガースの作品

ホガースの作品の特徴は、何といっても社会的な風俗を主題として描いた風刺画にあります。人間の内面をコミカルに表現した連作は高い評価を受け、ホガースはイギリスを代表する画家となっていきました。その一方で彼は歴史画や集団肖像画なども制作していますが、大様式となったためかあまり評価されることはありませんでした。連作かつ風刺画というスタイルはもっともホガースに合ったものだったのかもしれません。そんなホガースの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《南海泡沫事件》 1721年

(Public Domain /‘The South Sea Scheme’ by William Hogarth. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1721年に制作された作品で、現在は個人蔵となっています。左手にはロンドンギルドホールが、右手には古典様式の柱が直立するロンドン大火記念碑が描かれており、手前中央には幸運の車輪が描かれています。柱の根元には「1720年南海バブルで破壊された都市を追悼せんがためにこの記念碑を建立する」という文字が刻まれており、本作品は南海泡沫事件を示唆したものであることを表しています。

左奥にある建物の入り口上には「一攫千金を引き当てた花婿をさらに引き当てるための宝くじはこちら」という看板があり、それにつられた女性たちが並んでいます。南海泡沫事件は破産者も多く出した歴史に残るバブル崩壊であり、ホガースはその観察眼によって人間の内面性を描き切っています。
本作品には様々な風刺的描写が描きこまれているため、細かい部分まで鑑賞して新たな発見や推測をする楽しみ方もできるでしょう。ぜひ南海泡沫事件について理解を深めたのちに、本作品を鑑賞してみてください。

・《当世風結婚 婚約万端整って》 1743年

(Public Domain /‘Marriage A-la-Mode: 1, The Marriage Settlement’ by William Hogart. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1743年に制作されたもので、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。ホガースの代表作となった本作は、落ちぶれた貴族と裕福な商人の政略結婚の場面が描かれています。

描かれている人物を右から解説すると、一番右にいるのが伯爵。窓の外を見てこちらに背を向けているのはおそらく建築家です。その隣の伯爵に話しかけているような素振りの男性は伯爵の債権者だと考えられています。伯爵の向かいに腰掛け、右手に紙を持っているのは花嫁の父です。その奥で女性に向かって話しかけているのは弁護士。その話に耳を傾けているのは、結婚する当事者である裕福な家庭に生まれた女性。その結婚相手で伯爵の息子が一番左の青っぽい服を着た男性です。

「当世風結婚」は全6枚のシリーズ作品で、本作品はその第一作です。両者が婚約に臨む様子が描かれています。当事者である伯爵の息子と商人の娘は互いに目線をそらしており、相手に対してまるで関心をもっていません。そのほかにも本作には、壁にかけられている絵や人々の振る舞いなどに意味を見出すことができ、風刺的要素が大変詰まった絵になっています。しかし、暗い室内が描かれているために、それらを見つけて読み取ることは難しいかもしれません。もし見る機会が訪れたら、解説やガイドを利用したり下調べをしたりしておくと、より楽しく鑑賞できることでしょう。

■おわりに

ウィリアム・ホガースは風刺画家として多数の名作を残したとともに、著作権保護にも尽力するなど、画家の地位向上にも大きく貢献した人物です。
彼の作品は見れば見るほど、時代背景、政治や社会の状況、人々の思惑、ホガース自身の思想、皮肉などを見つけることができます。彼の残した情報量の多い作品たちをじっくりと鑑賞することで、ホガースの伝えたかったことや考えていたこと、頭の中を覗くことができるのではないでしょうか。

参考サイト:Wikipedia ウィリアム・ホガース、当世風結婚、閲覧2021年1月25日
William_Hogarth
Marriage A-la-Mode (Hogarth)

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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