レンブラント・ファン・レイン:オランダ黄金時代を代表する巨匠

レンブラント・ファン・レインは1606年、ネーデルラントのライデンに生まれた画家です。光と影の明暗を明確に表す技法を考案し、オランダ黄金時代を代表する画家として数多くの名作を残しました。そんなレンブラントの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■レンブラント・ファン・レインとは

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Rembrandt. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

レンブラント・ファン・レインは1606年、ネーデルラント連邦共和国のライデンに生まれました。父親ハルマン・ヘリッツゾーン・ファン・レインは製粉業を営んでおり、母親のネールチェン・ヴィレムスドホテルファン・ザウトブルーグは都市貴族で、パン屋を生業とする一族の出身でした。レンブラントの苗字であるファン・レインは「ライン川の」という意味であり、製粉のために所有していた風車小屋がライン川沿いにあったことからそう名付けられたといわれています。

1613年にラテン語学校に入学するとレンブラントは優秀な成績を収め、飛び級でライデン大学に入学できることになりました。そんなレンブラントに対して、両親は法律家になることを期待していました。しかしレンブラント自身は画家になることを望んでおり、大学に籍を置いたのは数カ月にすぎませんでした。その後イタリア留学経験を持つヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフのもとに弟子入りし、画家としての修業を積んでいくことになります。

師の下で学んだ期間は3年ほどでしたが、絵画技法から解剖学までありとあらゆる技術を習得し、修業中からレンブラントの名前は有名になっていました。修業を終えるとレンブラントは実家にアトリエを構え、《聖ステバノの殉教》を制作。1628年には弟子を取るようになります。また、神童として名高いヤン・リーフェンスとも知り合ったことが、レンブラントのモチベーションになりました。

1631年になるとアムステルダムにアトリエを移し、肖像画を中心とした依頼を受けるようになります。当時のオランダにおける集団肖像画は100年以上の伝統があったものの、それぞれのモデルに差をつけずに描かなくてはならず、まるで記念写真のような没個性的なものでした。レンブラントは《テュルプ博士の解剖学講義》において、テュルプ博士にスポットライトが当たるようにし、他の人物が熱心に講義を聞く様子を表現することで作品全体を非常にドラマチックなものに仕上げました。この作品の発表でレンブラントは一躍オランダを代表する画家となっていきます。

その後、レーワルデン市長の娘サスキア・ファン・アイレンブルフと知り合い、1633年には婚約し、結婚式をあげます。サスキアの一族は大変裕福で、富裕層がレンブラントに依頼をするきっかけとなりました。また、正式なアムステルダム市民となり、聖ルカ組合のメンバーとなったことから、レンブラントの画家としての地位は盤石になっていきました。

1642年には西洋美術史にのこる《夜警》を発表。弟子のホーホストラーテンが「展示された他の絵が、まるでトランプの図柄のように見えてしまう」と言うほどの傑作であったものの、レンブラントは私生活において多くの不幸に見舞われていました。子どもたちを病気で亡くし、妻のサスキアも病に臥せってしまいます。また、レンブラントは完璧主義者であったあまりに顧客を待たせることも多く、さらには高価な絵画や版画などを高値で買い求める姿もプロテスタントが主流であったオランダでは嫌われる一因となりました。
その後レンブラントは1669年に63歳で死去しました。彼の遺体は妻と息子が眠る西教会に埋葬されています。

■レンブラント・ファン・レインの作品

レンブラントの作品の特長は、何といってもその光と影の表現にあります。スポットライトを当てたような表現を用いることで、劇的かつ印象的に見せることに成功しており、のちの画家たちにも多大な影響を与えました。そんなレンブラントの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《テュルプ博士の解剖学講義》 1632年

(Public Domain /‘The Anatomy Lesson of Dr. Nicolaes Tulp’ by Rembrandt. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1632年に制作された作品で、現在はマウリッツハイス美術館に所蔵されています。描かれているのは、アムステルダム外科組合主任解剖官であったニコラス・テュルプ博士による、1632年に行われた解剖講義の様子で、当時アムステルダムに移住したばかりであったレンブラントの出世作となった作品です。制作された当初はアムステルダム外科医会館の一室に飾られ、その後1828年にオランダ国王ウィレム1世が購入しています。現在本作品はマウリッツハイス美術館所蔵となっています。

当時の集団肖像画はモデルの特長をそれぞれ描かなくてはならず、結果としてまるで記念写真のような没個性的な作品になる傾向がありました。そうした伝統を打ち破ったのがレンブラントです。本作品においてスポットライトは遺体に当てられ、テュルプ博士は威厳のある姿で描かれています。それぞれの特長を描きつつも全体的に調和を持たせ、それでいて画面全体の臨場感を損なわない形で描かれた本作のような集団肖像画は、多くの人々の目に新鮮に映ったことでしょう。

・《夜警》 1642年

(Public Domain /‘The Night Watch’ by Rembrandt. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1642年に制作された作品で、現在はアムステルダム国立美術館に所蔵されています。集団肖像画のひとつで、フランス・バニング・コックを隊長とする市の警備団が描かれています。前に述べたように、集団肖像画はどの登場人物も平等に描かれるのが基本であったものの、レンブラントは作品のイメージを重視し、隊長にスポットライトを当て劇的な構図を作り上げています。

本作品は今でこそ西洋美術史に残る傑作とされていますが、登場人物の中には顔と腕が重なっていたり、暗闇の中でほとんど誰なのかわからない程度にしか描かれていなかったりと、依頼者から不満が多かった作品でもありました。

■おわりに

レンブラント・ファン・レインはオランダ黄金時代を代表する画家です。《テュルプ博士の解剖学講義》や《夜警》など西洋美術史に残る名作を残したものの、自身の放蕩癖によって晩年は貧しい生活をせざるを得ませんでした。そんなレンブラントの作品は、アムステルダム国立美術館をはじめとしたヨーロッパ各地の美術館に所蔵されており、今もなお人々を魅了し続けています。

参考サイト:Wikipedia レンブラント・ファン・レイン 閲覧2021年1月27日

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧