ピーテル・ブリューゲル:農民を描いた画家

ピーテル・ブリューゲルは1525年から1530年ごろブラハント公国に生まれた画家です。当初はヒエロニムス・ボス風の幻想的な作品を描いていたものの、徐々に農民を題材とした作品を制作するようになります。そんなブリューゲルの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ピーテル・ブリューゲルとは

(Public Domain /‘Portrait of Pieter Bruegel the Elder’ by Dominicus Lampsonius. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ピーテル・ブリューゲルは1525年から1530年ごろのブラハント公国、ブレーに生まれたと言われています。しかし、この生年や生地は1551年のアントウェルペンにおける画家組合であった聖ルカ組合にブリューゲルの名前があり、当時新規加入するためには21歳から26歳の間である必要があったことから、推定されたものです。

聖ルカ組合に加入するとブリューゲルはすぐにイタリアに向かい、ローマに滞在しては古代や中世の巨匠たちの作品を研究するという日々を過ごしたようです。また、1552年には南イタリアのカラブリア州、レッジョからメッシーナまで足を延ばしていたことが分かっており、当時目にしたであろう風景は版画やスケッチの形で残されています。

1553年になるとブリューゲルはローマにもどり、素描や細密画を制作したのち、北方に帰国。ヒエロニムス・コックのもとで版画家兼画家として制作に励むようになります。当時のアントウェルペンはアフリカやアメリカに向かう航路のさなかにあり、大航海の一大拠点となっていました。中東からは絹や香辛料、バルト海からは穀物などがもたらされ、ヨーロッパの中でも大変栄えた街の一つでした。そのため著名な人文学者や出版業者なども集まっており、ブリューゲルはこうした人々との交流によって自らの教養を高めていったといわれています。

(Public Domain /‘The Hunters in the Snow’ by Pieter Bruegel the Elder. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

その後1563年にはマリア・クックと結婚。結婚と同時にブリュッセルに移り住みます。また、マリアとの間には長男ピーテル・ブリューゲルと次男ヤン・ブリューゲル、そして娘一人が生まれています。ブリューゲルはブリュッセル滞在中に数多くの作品を制作しており、《バベルの塔》や《雪中の狩人》といった名作を世に残すこととなりました。

そうしてヨーロッパ絵画史に残る作品を制作していたブリューゲルですが、1569年に死去。おそらく30代末から40代前半という若さであったと思われます。彼は現在ノートルダム・ド・ラ・シャペル教会に埋葬されています。また息子ピーテル・ブリューゲルとヤン・ブリューゲルは父と同じく優れた画家となり、数多くの作品を制作しました。

■ピーテル・ブリューゲルの作品

現在ピーテル・ブリューゲルの油彩作品は40点ほどが現存しており、そのうち12点がウィーン美術史美術館に所蔵されています。もともとはネーデルラント提督エルンスト・フォン・エスターライヒと神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が収集したハプスブルグ家のコレクションであり、近代になって美術館のコレクションに加わりました。

ブリューゲルはヒエロニムス・コックのもとで修行していたころは、ヒエロニムス・ボス風の奇怪な作品を制作していました。当時ヒエロニムス・ボスは伝説的な存在となっていたといわれており、その分需要もあったのでしょう。その後ブリュッセルに移住してからは農民を題材とした作品を制作するようになり、「農民ブリューゲル」と呼ばれるようになっていきます。そんなブリューゲルの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《ネーデルラントの諺》 1559年

(Public Domain /‘Netherlandish Proverbs’ by Pieter Bruegel the Elder. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1559年に制作された作品で、現在はベルリン国立美術館に所蔵されています。描かれているのは海辺の村の日常生活やちょっとした騒ぎの様子であり、一見してありふれた風景画のようにも見えます。しかしそんな農民たちの姿はネーデルラントの諺を隠喩的に表したものであるといわれており、描かれている諺の数は100以上とも言われています。

例えば画面左端に描かれている悪魔を縛り付ける女性の姿は「悪魔でさえ枕に縛り付ける」ということわざで、「頑固さは何をも克服する」という意味を表しています。また中央に描かれている悪魔に蝋燭をささげている描写は、「悪魔のためにろうそくをともす」ということわざで、「誰とでも友達になる」という意味を表しています。

ブリューゲルの作品は数あるものの、本作品はネーデルラントの日常風景と慣習を表したものとして高く評価されており、ブリューゲル作品の中でもっとも有名な作品の一つとなっています。

・《バベルの塔》 1563年

(Public Domain /‘Tower of Babel’ by Pieter Bruegel the Elder. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1563年に制作された作品で、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。描かれているのは旧約聖書創世記第11章に記されている伝説の塔「バベルの塔」です。ノアの洪水の後、人間が天にも届くような高い塔を築き始めたのを神が見て怒り、建設を辞めさせるために人々の言語をバラバラにしたという内容で、現在人々が別の言語を話すきっかけとなったといわれている一説です。画面左下にはバベルの塔の建設を指示したとされるニムロデ王が描かれており、神によって混乱が起こされる前の静かな光景が広がっています。

ブリューゲルはバベルの塔を主題として2点制作しており、もう1点は1568年頃に制作されました。黒色顔料を用いてより塔の完成が進んだバベルの塔を描いており、細密な描写が特徴的です。1568年版の《バベルの塔》は現在ボイマンズ・ヴァン・ベーニンゲン美術館に所蔵されており、比較研究がなされています。

■おわりに

ピーテル・ブリューゲルはブラバント公国のブレーに生まれ、最初はヒエロニムス・ボス風の奇怪な作品を描いていたものの、徐々に農民を主題にした作品を描くようになり、「農民ブリューゲル」と呼ばれるようになった人物です。

その作品は農民の素朴なしぐさや表情を描いている一方で、ネーデルラントの諺をちりばめたり、聖書や神話の一説を暗喩的に示したりするなど、ブリューゲルの生きた時代と神話の世界が交差する不思議な雰囲気をまとっています。ブリューゲルの作品はベルギーを中心とした世界中の美術館に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

参考サイト:Wikiedia ピーテル・ブリューゲル 閲覧2021年1月28日

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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