二コラ・プッサン:17世紀を代表する古典主義の画家

二コラ・プッサンは1594年、フランスのノルマンディー地方レ=ザンドリに近いヴィレという村で生まれた画家です。プッサンの活躍した17世紀はバロック美術の全盛期であったものの、プッサンの作品にはバロック美術特有の激しい感情や劇的な明暗の表現は用いられておらず、きわめて静かな古典主義の作品を制作し続けました。そんなプッサンの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■二コラ・プッサンとは

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Nicolas Poussin. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

二コラ・プッサンは1594年にフランスのノルマンディー地方、レ=ザンドリに近いヴィレという村で生まれました。父親は地方の小貴族であったものの、経済的にも社会的にもさほど恵まれた生活を送ることはできませんでした。

その後プッサンは画家になることを志しますが、プッサンの修業時代についてはほとんど史料が残っておらず、誰に師事したのか、どのような修行時代であったのかは分かっていません。ただ10代後半から20代の大半をルーアンとパリで過ごしていることから、パリの芸術家たちから影響を受けたことは間違いないでしょう。

1624年、プッサンは29歳になるとローマに向かいます。このローマ行きは著名な詩人であったジョヴァンニ・バッティスタ・マリー二の支援があってのことでした。ローマ滞在はプッサンにとって大きな転換点となり、教皇ウルバヌス8世の甥にあたるフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿やその秘書であったカッシアーノ・ダル・ポッツォと知り合い、交流を重ねることになります。特にポッツォは自由思想家としても有名であり、その思想はプッサンの作品に多大な影響を及ぼしました。

バルベリーニ枢機卿はプッサンの作品を大いに評価し、その名声は徐々に母国であるフランスにも伝わるようになっていきました。当時のフランス国王ルイ13世はプッサンに親書を送り、それにこたえてプッサンはフランスに帰国することになりますが、フランス滞在は1640年から1642年にかけての2年足らずで、その後またローマにもどってしまいます。その理由は王立絵画・彫刻アカデミー創設の中心的な存在となる画家らと対立したためではないかとも言われています。

ローマに戻ると古代や古典美術の研究を進めつつ、独自の絵画様式を形作っていきました。プッサンの作品はジャック=ルイ・ダヴィッドやドミニク・アングルといった新古典主義の画家たちの模範となり、また近代においてもポール・セザンヌやパブロ・ピカソといった画家たちを魅了しました。

■プッサンの作品

二コラ・プッサンの活躍した17世紀はバロック美術全盛期であり、ルーベンスやレンブラント、ベラスケスといった画家たちがその流れるような筆致で劇的な作品を制作していました。そうした時代においてプッサンはラファエロの古典主義を取り入れ、理性的で整然とした様式の作品を制作するようになっていきました。ロココ美術全盛期となる18世紀になると、プッサンの作風は時代遅れのものと忘れ去られていきましたが、その後は新古典主義の模範として崇拝されていくことになります。そんなプッサンの作品とはどのようなものだったのでしょうか。

・《サビ二の女たちの略奪》 1633年-1634年頃

(Public Domain /‘The Rape of the Sabine Women’ by Nicolas Poussin. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1633年から1634年頃にかけて制作された作品で、現在はメトロポリタン美術館に所蔵されています。描かれているのは古代ローマの歴史家ティトゥス=リウィウスが著した「ローマ建国史」や、プルタルコスの「対比列伝」に記されている、女性が少なかったローマ市がその国を維持するために、サビニなど近隣国に住む部族をローマの祭りに誘い、訪れた未婚の女性を略奪したという一説です。

「サビニの女たちの略奪」はルネサンス以降一般的であった主題で、バロック美術では盛んに描かれました。プッサンもメトロポリタン美術館にある本作品のほか、1637年ごろにも同じ題で同場面を描いており、そちらのバージョンはルーブル美術館に所蔵されています。2枚の絵は似ている部分が多いですが、後に描かれたものの方がより劇的にみえる色使いになっています。また、背景の建造物についても、ルーブル美術館にあるものの方がより細かく丁寧に描き込まれています。2枚の「サビニの女たちの略奪」をぜひ見比べてみてください。

・《アルカディアの羊飼いたち》 1637年-1638年ごろ

(Public Domain /‘Et in Arcadia ego’ by Nicolas Poussin. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1637年から1638年にかけて制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。描かれているのは古代ギリシアの理想郷「アルカディア」で、中央の墓石には「エト・イン・アルカディア・エゴ」と刻まれており、墓石の周囲に佇む4人の人物はその碑文を見て戸惑っているように見えます。

「エト・イン・アルカディア・エゴ」とは、「私もかつてアルカディアにいた」あるいは「私はアルカディアにもいる」という意味ですが、「私」を「死」と考え「楽園アルカディアにも死は存在する」と解釈するのが妥当とされています。すなわち「死を忘れるべからず」といった教訓を絵画化したものなのです。本作品はルイ14世が購入したことで知られており、その死の間際まで身近においていたといわれています。王はその教訓を忘れまいとしていたのかもしれません。

原文:Wikipedia Et_in_Arcadia_ego

■おわりに

二コラ・プッサンは17世紀フランスに生まれ、古典主義の画家として活躍しました。17世紀はバロック美術の時代であり、ダイナミックで躍動感のある表現がもてはやされた時代でしたが、フランスを離れイタリアの地にあったプッサンは静謐かつ均整の取れた構図の作品を制作し続けました。
現在プッサンの作品は、ルーブル美術館をはじめとしたフランス各地の美術館に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

参考サイト:Wikipedia ニコラ・プッサン 閲覧2021年1月29日

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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