エル・グレコ:マニエリスム後期を代表する画家

(Public Domain /‘Portrait of a Man’ by El Greco. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

エル・グレコは1541年にギリシアのクレタ島、カンディアに生まれた画家で、本名をドメニコス・テオトコプーロスといいます。「エル・グレコ」という名前は、イタリア語でギリシア人を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞であるエルがついた通称です。彼はキリスト教を題材とした名作を数多く残しました。
そんなエル・グレコの作品と生涯をみていきましょう。

■エル・グレコとは

エル・グレコは1541年、ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島に生まれました。当時のクレタ島ではビザンティン美術の伝統が残っており、グレコはその影響を受けて育ったとする説があります。1563年にグレコはイコン画家として独立。1567年になるとギリシア系クロアチア人であったジュリオ・クローヴィオの推薦を受けてヴェネツィアに渡ります。ヴェネツィアではティッツァーノ・ヴェッチェリオに弟子入りし、その工房で学んでいたといわれています。工房でイタリアの絵画技法を学びつつも、グレコはビザンティン様式やその技術を放棄することはなく、その双方を作品に融合する術を試みていきます。

またこのころのグレコは、スペイン人聖職者や人文主義者などが出入りしていたアレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿のサークルと交流を持つようになり、ファルネーゼ宮に自由に出入りするようになります。また聖ルカ画家組合にも登録し、親方として自身の工房を持っていたことも分かっています。

その後1577年の春にスペイン、マドリードに拠点を移します。スペインでの制作活動をはじめたグレコは、《聖衣剥奪》やサント・ドミンゴ・エル・アンティーグォ修道院の祭壇衝立の仕事を依頼されます。しかし、依頼した大聖堂側が完成した作品について「キリストに対する冒涜」を理由に報酬を踏み倒そうとするなど、スペインでの日々は順風満帆ではなかったようです。

(Public Domain /‘The Martyrdom of St Maurice’ by El Greco. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

またフェリペ2世に依頼され《聖マウリティウスの殉教》を制作するものの、1584年にはヒエロニムス会に受け入れを拒否されてしまいます。こうした度重なるトラブルにもめげず、グレコは徐々に工房を大きくしていき、修道院や礼拝堂の祭壇衝立の一括制作を引き受けるようになりました。
そうして数多くの宗教画を制作したグレコは1614年までには遺言状を作成し、同年4月7日にはカトリックの臨終の秘跡を受け、その生涯を閉じました。

■エル・グレコの作品

エル・グレコの作品の特長は、激しい色使いと極端に引き延ばされた人体比率であり、そうした表現はティッツァーノやパルミジャーノから学んだといわれています。このグレコ独自の表現はスペインの絶対権力者であったフェリペ2世の不興を招き、グレコの宮廷画家への道は閉ざされることとなります。しかし20世紀になると再評価され、表現主義やキュビズムの先駆者としてみなされると同時に、レイナー・マリア・リルケやニコス・カザンツァキなどの作家たちのインスピレーションの源となったことでも知られています。そんなグレコの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《ろうそくに火を灯す少年》 1570年-1572年

(Public Domain /‘A Boy Blowing on an Ember to Light a Candle’ by El Greco. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1570年から1572年に制作された作品で、現在はニューヨークのペイソン・コレクションに所蔵されています。描かれているのは暗闇の中でろうそくに火を灯す年若い少年の姿で、グレコがイタリア滞在中に描いたものとされています。グレコ初期の作品であるため、引き伸ばされた人体表現のような彼特有の表現を見て取ることはできませんが、対象に強くハイライトを当て陰影を落とす表現はのちのグレコ作品にもつながるものです。
特に暖かい蝋燭の一瞬のゆらめきは高く評価され、印象派の画家をはじめとした後世の画家たちに多大な影響を与えました。

・《聖衣剥奪》 1577年-1579年

(Public Domain /‘The Disrobing of Christ’ by El Greco. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1577年から1579年に制作された作品で、現在はトレド大聖堂に設置されています。グレコが37歳のころに大聖堂から発注された作品であり、新約聖書の中でキリストが十字架にかけられる直前に衣服を剥がされる姿が描かれています。
この場面を主題にした絵はかなり珍しく、加えてマニエリスムにみられるような平面的かつ上下に積み上げられた表現も当時の人々には斬新でした。それゆえに批判も多い作品です。ほかにも、聖書に記述されていない人物が描かれていることやキリストよりも上に群衆が描かれていることも非難の原因となっています。
絵のテーマを表現するための効果的な技法や構図を追求するグレコは、それが独創的、革新的であるために賛否両論を巻き起こす画家です。本作品も含め、完成品を見た注文主と度々報酬のことで争っています。

・《聖母被昇天》 1577年-1579年

(Public Domain /‘Assumption of the Virgin’ by El Greco. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1577年から1579年に制作された作品で、現在はシカゴ美術研究所に所蔵されています。描かれているのは聖母マリアの死後、その肉体と魂が天上へあげられる場面です。天にのぼる聖母の姿は天使と共に絵画上部に描かれ、下部にはキリストの弟子たちが聖母の棺を囲む姿がみられます。
本作品において聖母の姿は誇大表現とも思えるほど大きく引き伸ばされ、劇的とも思えるポーズをとっています。また、グレコは本作品をはじめとして聖母を主題とした作品を多数制作しています。

・《ラオコーン》 1610年-1614年

(Public Domain /‘Laocoön’ by El Greco. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1610年から1614年に制作された作品で、現在はワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されているグレコ唯一の神話画です。
中央には大蛇に襲われる神官ラオコーンとその息子たちが鬼気迫る形相で描かれており、その様子を見つめるアポロとディアナの冷静な姿が作品に強烈なコントラストを生み出しています。

■おわりに

エル・グレコはギリシアのクレタ島に生まれ、イタリアで修業し、その後スペインで宗教画を描き大成した画家です。その画風はビザンティン文化とイタリアのマニエリスムを引き継いだもので、大きく引き伸ばされた人体表現や誇張表現とも思えるような描写が特徴です。現代ではのちの表現主義やキュビズムに多大な影響を与えたとして、再評価が進んでいます。

参考サイト:Wikipedia エル・グレコ 閲覧2021年2月2日

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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