フランシスコ・デ・スルバラン:スペイン黄金時代に活躍した画家

フランシスコ・デ・スルバランは1598年、スペイン南西部にあるエストレマドゥーラ地方のフエンテ・デ・カントスに生まれた画家です。スルバランの作品はイタリアのカラヴァッジョのように明暗を劇的に表現したものが多く、「スペインのカラヴァッジョ」と呼ばれてきました。またその一方で構図は単純で、神秘的な空気を放っています。そんなスルバランの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■フランシスコ・デ・スルバランとは

(Public Domain /‘Saint Luke Painting the Crucifixion’ by Francisco de Zurbarán. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フランシスコ・デ・スルバランは1598年、スペイン南西部にあるエストレマドゥーラ地方のフエンテ・デ・カントスに生まれました。1614年から1617年にかけてはセビーリャの画家であるペトロ・ディアス・ビジャヌエバに師事したことがわかっていますが、そもそもこの師について明らかになっていることが少ないため、スルバランの修業がどのようなものであったのかもよく分かっていません。

1617年にはエストレマドゥーラ地方の町リェレーナに居を移し、結婚したことが分かっています。その後1625年には13歳年下の未亡人と再婚しており、再婚した妻の縁者をたよってセビーリャに進出することになります。

1626年になるとドミニコ会修道院の注文によって21点もの絵画を制作。この作品が大変な評判となったことにより、以後は教会からの注文を中心に制作を進めるようになっていきました。1628年には13世紀にスペインで成立した由緒ある修道会であるメルセス会の注文で、同会の創設者であった聖ペドロ・ノラスコの生涯を描いた連作を制作し、以後1630年代はセビーリャを中心として活動していたことがわかっています。

(Public Domain /‘The Defence of Cádiz against the English’ by Francisco de Zurbarán. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

また1634年にはそれまでの仕事が評価され、マドリードのブエンレティーロ宮の「諸王国の間」の装飾の仕事に抜擢されます。この背景には同時代に活躍した巨匠ベラスケスの推薦があったといわれており、また1638年から1639年にはグアダルーペ修道院の聖具室の装飾に関わるなど、スルバランは一世を風靡する画家となっていきました。

しかし1640年代になるとスルバランの人気は急速に衰えることとなります。この頃、甘美で神秘的な表現を用いて聖母マリアを描いたムリーリョに人気が集まるようになっており、単純かつ厳格なスルバランの表現はもはや時代遅れのものとなっていました。またスルバランが活動の拠点としていたセビーリャにはペストが襲い、町全体に活気がなくなったこともスルバランに追い打ちをかけるものとなりました。

1658年にはかつての友ベラスケスをたよりにマドリードに赴くものの、再度奮起することは叶わず、1664年にマドリードで亡くなっています。

■スルバランの作品

スルバランの作品は明暗を劇的に表現した作品が多く、「スペインのカラヴァッジョ」という呼び名もあるほどです。しかしカラヴァッジョとは違い、その構図は静的かつ単純なものでした。また主題は伝統的な宗教画や静物画に限定されており、厳格さの中に美しさの漂う作品となっています。スルバランの作品には画家の個性が表現されることはほとんどなく、それがムリーリョらに後れを取った理由であると考えられています。そんなスルバランの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《聖グレゴリウス》 1626年-1627年

(Public Domain /‘Saint Gregory’ by Francisco de Zurbarán. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1626年から1627年に制作された作品で、現在はセビーリャ美術館に所蔵されています。描かれているのは四大ラテン教父のひとりで第64代教皇としても知られる聖グレゴリウスで、ドミニコ会修道院サン・パブロ・エル・レアール聖堂のために制作されました。グレゴリウスはローマの貴族の家庭で生まれ、政治家としてのキャリアを積んでいましが、思うところがあって修道院に入り、590年に教皇に選ばれます。典礼の整備、教会改革を行い、中世初期を代表する教皇になりました。

そんな聖グレゴリウスの姿は暗闇の中に描かれており、教皇としての豪奢な衣装に身をまといながら書物に目を通す姿が描かれています。静謐な空間の中に劇的なシーンが表現されている、まさにスルバランらしい作品と言えるでしょう。

・《無原罪の御宿り》 1628年-1630年ごろ

(Public Domain /‘The Immaculate Conception’ by Francisco de Zurbarán. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1628年から1630年ごろに制作された作品で、現在はプラド美術館に所蔵されています。描かれているのは「無原罪の御宿り」といって、聖母は原罪から免れているとする教義のことを指します。無原罪の御宿りは神学者の間で盛んに議論されてきた教義の一つで、1854年にようやく法王庁から公認されます。しかし、カトリックが盛んであった17世紀のスペインにおいては公認前から広く受け入れられ、スルバランのもとにもセビーリャやアンダルシアの教会や修道院から無原罪の御宿りの注文が盛んに入っていたと考えられています。

本作品はそうした作品の一つで、巨匠ベラスケスの師であるパチェーコの図像理論に忠実に基づいて聖母の姿が表現されています。下弦の月に乗って地上に降りてくる聖母マリアは少女の姿で描かれており、神々しい光に包まれています。その表情は幼いながらも神秘的なもので、スルバランの表現力を伺える作品となっています。

・《茶碗・アンフォラ・壺》 1633年頃

(Public Domain /‘Still Life with Pots’ by Francisco de Zurbarán. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1633年頃に制作された作品で、現在はプラド美術館に所蔵されています。本作品は静物画のひとつで、スペインではボデゴン画と呼ばれていました。17世紀の自然主義の風潮によって確立した静物画の一種であり、ベラスケスによって大成されたといわれています。スルバランもこのボデゴン画を得意としており、現存している作品は少ないものの、当時は精力的に制作していたものと考えられています。

暗闇の中の棚には白銅の皿に乗る二つの食器や陶器の水差しと思われる食器がおかれており、光の反射が忠実に描かれています。その静謐な空間はスルバランならではの表現であり、スペイン絵画史上もっともすぐれたボデゴン画の一つと考えられています。

・《神の子羊》 1635年-1640年ごろ

(Public Domain /‘The Lamb of God’ by Francisco de Zurbarán. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1635年から1640年ごろに制作された作品で、現在はプラド美術館に所蔵されています。描かれているのは原罪を償うイエスを象徴する存在である子羊であり、暗闇の中に足を縛られ力なく伏せる姿が描かれています。

それまで子羊をモチーフとした作品は数多く描かれていたものの、スルバランのように背景を黒にした画家はおらず、その表現によってより子羊の神秘性を引き立てることに成功しています。

■おわりに

フランシスコ・デ・スルバランはスペインの黄金時代に活躍した画家です。《十字架のイエス》で教会や修道会からの依頼を受けるようになったスルバランは、宗教的な題材を主題として静謐で神秘的な表現の作品を数多く制作していきました。また静物画の一種であるボデゴン画では明暗を劇的に表現することで、フランスやネーデルランドではみられない瞑想的な表現を確立し、一世を風靡することになります。

しかし、甘美で柔らかな表現で人気を博したムリーリョが登場することによって、厳格なスルバランの表現は時代遅れのものとなり、その後は再起することなく亡くなります。スルバランの作品はスペインを中心とした美術館に所蔵されており、その静謐な表現は世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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