フランス・ハルス:笑いの画家

フランス・ハルスは1582年または1583年にネーデルランドのアントウェルペンに生まれた画家です。レンブラントやフェルメールと同様、オランダ黄金時代に活躍した画家であり、ハールレムに住んでいたことからハールレムの住人を描いた肖像画を多く残したことで知られています。またその人物画は笑みをたたえているものが多く、「笑いの画家」とも称されています。そんなフランス・ハルスの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■フランス・ハルスとは

(Public Domain /‘Frans Hals’ byFrans Hals. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

フランス・ハルスは1582年または1583年にネーデルラントのアントウェルペンに生まれました。当時のネーデルラントはプロテスタントが主流であったものの、父親はカトリック教徒であったといわれています。1585年には家族でハールレムに移り住むことになり、そこで画家としての一歩を踏み出すことになります。

ハルスの師匠はカレル・ヴァン・マンデルであったといわれています。ヴァン・マンデルは貴族の子弟として生まれた画家で、ハールレムの美術学校の創始者でもあったといわれています。また若い画家たちと毎晩のように自宅で制作にいそしみ、古代ギリシアやローマ神話の研究を行っていたといわれており、ハルスもまたこうした集いに参加していたものと思われます。しかしその一方でヴァン・マンデルは北方マニエリスムの影響を受けた画家でしたが、ハルスの作品にはそうした影響を見て取ることはできません。

その後27歳のときには、画家たちのギルドであった聖ルカ組合に加入。27歳という年齢は当時としてはかなり遅い方であったといわれています。組合に入会すると風俗画を制作するようになり、徐々に人物画に関心を寄せるようになっていきます。

ハルスの特長としてモデルの人柄を示すような笑いをたたえた肖像画が有名ですが、こうした作品は注文に応じて描いたものであり、また自らの関心に従って描いたものもありました。そのため肖像画を依頼できるような上流階級や有力者たちにとどまらず、老人や子供、酔っ払いといった当時のハールレムのありふれた人々がモデルとなっており、ハルスの作品は当時の風俗を知る上で貴重な資料となっています。

そうして肖像画を描いていたハルスですが、1666年には84歳で死去。フローテ・マルクト中央広場にある古バーヴォ教会に埋葬されています。ハルス一家は画家一家として知られており、弟ディルクハルスは集団肖像画を得意とする画家として、また14人いた子供の内5人の息子たちが画家となり、その表現を受け継いでいきました。

■フランス・ハルスの作品

フランス・ハルスの作品は現在ほとんどが散逸しており、すべての作品を確認するすべはありません。1970年から1974年にかけて編纂されたカタログによると、222枚の作品がハルスの作であるといわれているものの、1989年には145作品であるという説も発表されており、どちらが本当かは今のところはっきりしていません。

こうした状況のためハルスの表現の変遷を事細かに研究することはできませんが、全体として大胆なタッチが特長と言えます。もともとグレーやピンクの下塗りの上にデッサンを描き、必要最小限の色を徐々に加えることでハルスはその独特の表現を作り上げていきました。またハルスは速筆の画家としても知られており、モデルが存命中に肖像画を描き切ったことでも知られています。そのため肖像画にはモデルの内面が色濃く表現されているのです。以下ではそんなハルスの作品をご紹介します。

・《聖ゲオルギウス市警備隊の士官たちの晩餐》 1616年

(Public Domain /‘Officers of the Civic Guard of St. George, Haarlem.’ by Frans Hals. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1616年ごろに制作された作品で、現在はフランス・ハルス美術館に所蔵されています。描かれているのは聖ゲオルギウス市警備隊のメンバーが晩餐を楽しんでいる様子で、集団肖像画として描かれたものと考えられます。

ハルスはこの作品で、集団肖像画界に革命を起こします。単に一人一人の肖像画を描いていくのではなく、宴会の場面を描くことで、警備隊内の役割などを意識しながらも新しい斜めの構図で集団を描いたのです。この作品は、テーブルの上でのひとときをただ描いただけの作品ではありません。すべての人物がその位置にいる意味がわかるようになっている一方で、それぞれの人物が自由にポーズをとっているという極めて計算され尽くされた構図で描かれています。

・《庭園の夫婦》 1622年ごろ

本作品は1622年ごろ制作された作品で、現在はアムステルダム国立美術館に所蔵されています。描かれているのはハールレムの商人、外交官であったイサーク・アブラハムス・マッサとキリスト教レモンストラント派で元市長の娘であったベアトリクス・ファン・デル・ラーンであると考えられており、結婚を記念する肖像画であるとされています。

夫婦として楽しそうに微笑む2人は、お互いに心地よく寄り添って座っています。肖像画でこのようなポーズをとることは、当時としては非常に珍しいことでした。これは、モデルが描き手であるハルスと親交を深めていたことや、新婚ならでは幸せな関係性から可能になったことなのかもしれません。この絵には愛と真心がテーマに描かれており、右側には「愛の庭」、左にはオランダ語で「マンネンロウ」と呼ばれるローズマリーが描かれています。

・《陽気な酒飲み》 1628年-1630年

本作品は1628年から1630年に制作された作品で、現在はアムステルダム国立美術館に所蔵されています。ハルスは1618年ごろから1630年ごろまで市井の人々をモデルにして作品を描いたことで知られており、本作品もそうした作品の一つであると考えられています。

頬を紅潮させて酔っ払っている男性が描かれており、陽気にグラスを上げて私たちに乾杯を煽っています。自然な筆運びで素早く描かれているため、肖像画の生き生きとした躍動感で溢れています。まるで今にも動き出しそうなほどです。このような大胆な画風が、フランツ・ハルスの成功を確実なものにしました。

・《ジプシー女》 1628年-1630年

(Public Domain /‘The Gipsy Girl’ by Frans Hals. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1628年から1630年に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。誰がモデルになったのかは不明ですが、ハルスはこのころ市井の人々をモデルにして描くことが多かったことから、日々の生活の中で出会ったロマの民あるいは娼婦であると考えられています。

肖像画というよりは、顔の表情や独特の衣装の方に注力して描かれています。ハルスの時代には、胸の谷間を見せる衣装は一般的ではありませんでした。しかし、描かれている若い女性は深い谷間を見せており、むしろハルスの巧みなハイライトの使い方によって強調されています。

■おわりに

フランス・ハルスはレンブラントと同様にオランダ黄金時代を生きた画家であり、集団肖像画を中心として多数の作品を制作した画家です。その中でも魅力的なのは市井の人々を描いた作品であり、一見して荒々しいタッチでありながら、モデルの表情はもとより内面も表現したハルスの表現力はほかの画家と比べても抜きんでているといえるでしょう。ハルスの作品はオランダやフランスの美術館を中心に所蔵されており、現在もなお世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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