ディエゴ・ベラスケス:画家の中の画家

ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケスは1599年にスペインのセビーリャに生まれた画家です。《ラス・メニ―ナス》をはじめとした西洋美術史に燦然と残る傑作を残したことで知られており、のちの印象派の画家エドゥアール・マネが「画家の中の画家」と呼んだことで有名です。そんなベラスケスの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ディエゴ・ベラスケスとは

ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケスは1599年スペイン南部の都市であるセビーリャに生まれました。幼いころから芸術に関心を持っていたベラスケスは、11歳の時にセビーリャで有名な画家であったフランシスコ・パチェーコに弟子入り。18歳のときには独立し、厨房画とよばれる室内情景や静物を描く作品を制作していました。その後1622年には首都マドリードに旅行していることが分かっています。

1623年にはマドリードに2回目の旅行に向かいますが、この時オリバーレス伯爵ガスパール・デ・グスマンの紹介により国王フェリペ4世の肖像画を描く機会に恵まれます。この際に制作した肖像画は王に気に入られ、それ以来ベラスケスはフェリペ4世の宮廷画家として国王や王女、貴族たちの肖像画を描くことになります。

1628年になるとスペインとネーデルランドの情勢は悪化し、ネーデルランド総督であったイサベル・クララ・エウへニアから派遣されてきたピーテル・パウル・ルーベンスと出会います。ルーベンスは外交官としても活躍していましたが、もともとは画家であり、ヨーロッパ各地の王侯貴族の肖像画や宮廷を飾る作品を制作していました。似た境遇もあってか、ベラスケスとルーベンスは親交を結び、親しい付き合いをするようになります。

ベラスケスは宮廷画家として作品を描くほか、王の美術コレクションの形成の相談役としての役割も担っていました。そのため1629年には美術品収集や古代や中世の作品研究のためにイタリアへ旅行することが許され、ヴェネツィアやフェラーラ、ローマなどに滞在しています。

1631年に帰国するとブエン・レティーロ離宮の「諸王国の間」を飾る作品を王から依頼され、《ブレダの開城》をはじめとした作品を制作します。こうした働きが評価され、ベラスケスは画家としてはもちろん役人としても順調に出世していきました。

(Public Domain /‘The Toilet of Venus’ by Diego Rodríguez de Silva y Velázquez. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

1648年には2回目のイタリア旅行に向かい、美術品の収集を行う傍ら《鏡のヴィーナス》や《教皇インノケンティウス10世》などを制作、1651年には帰国しています。このころのベラスケスの出世は目覚ましいもので、1652年には王宮の鍵をすべて預かる王宮配室長の職に就くことになります。そうした役人としての仕事の傍らで画業にも手を抜くことはなく、《ラス・メニーナス》や《マルガリータ王女》といった傑作を制作しています。

1660年には王女マルガリータ・テレーズ・ドートリッシュとフランス国王ルイ14世の結婚式の準備を取り仕切ったものの、帰国後その疲れがたたり病に臥せることとなり、61歳で亡くなっています。

■ベラスケスの作品

ベラスケスは宮廷画家として王侯貴族や有力者たちの肖像画を制作し、その激しい明暗対比や写実的な空間表現を取り入れたことから、独自の表現を作り上げたとして評価されました。その視覚効果を重視した表現は後世の画家たちにも多大な影響を及ぼし、印象派の画家エドゥアール・マネはベラスケスを「画家の中の画家」と称するほどでした。そんなベラスケスの作品とはどのようなものだったのでしょうか。

・《ブレダの開城》 1634-1635年

(Public Domain /‘The Surrender of Breda’ by Diego Rodríguez de Silva y Velázquez. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1634年から1635年に制作された作品で、現在はプラド美術館に所蔵されています。描かれているのは八十年戦争におけるスペイン軍大勝利のひとつであったブレダ陥落で、イタリア生まれの将軍アンブロジオ・スピノラが中央に描かれています。

1625年6月5日、オランダのブレダ総督ユスティヌス・ファン・ナッサウは、軍事的に重要な役割を果たしていた都市であるブレダの鍵を、ジェノヴァの貴族でスペイン軍の将軍であったアンブロジオ・スピノラに明け渡しました。このような歴史的な出来事を、宮廷のお墨付きで信頼の厚かったベラスケスが描いたことは当然といえます。ただし、この作品は単に勝利を讃えるだけの普通の絵画ではありません。煙に包まれた背景は明らかに破壊、戦争の悲惨さ、死を物語っています。

・《マルタとマリアの家のキリスト》 1618年頃

(Public Domain /‘Kitchen Scene with Christ in the House of Martha and Mary’ by Diego Rodríguez de Silva y Velázquez. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1618年頃に制作された作品で、現在はナショナルギャラリーに所蔵されています。本作品を描いた当時ベラスケスはセビーリャに滞在しており、修業がおわったのちすぐに描かれたものと考えられています。

若い女性が魚や卵などがおかれたキッチンのテーブルで何かを調理しており、その傍らの老婦人は右上の「マルタとマリアの家のキリスト」の作品を指さすかのようなポーズをとっています。その老婆のしぐさを不快に思っているのか女性の顔は歪んでいます。
「マルタとマリアの家のキリスト」とは聖書の一説で、イエスが姉妹の家を訪れると姉マルタはイエスをもてなすために忙しく働き、妹マリアはイエスの足元でその話を聞き始めたことから、姉マルタは妹をたしなめます。しかしイエスは「マリアはよいほうを選んだ」と妹マリアをほめ、神の話を聞くようにマルタを諭すのです。

本作品において「マルタとマリアの家のキリスト」は画中画として作中に表現されており、老婆がその作品を指さしていることから、家のことばかりではなく、話を聞くようにと諭しているのかもしれません。しかしそれを不快であるかのように顔をゆがめる女性の表情から、聖書の一説と現実の生活の乖離が見て取れます。

・《ラス・メニーナス》 1656年

(Public Domain /‘The Maids of Honour’ by Diego Rodríguez de Silva y Velázquez. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1656年に制作された作品で、現在はプラド美術館に所蔵されています。描かれているのはフェリペ4世の娘である王女マルガリータと数人の女官たちです。

この作品はベラスケスの最も大きな絵画の一つであり、彼が最も努力した作品です。複雑でしっかりとした構図にすることで、宮廷での生活の実態をダイレクトに伝えている作品です。自画像、鏡の反射、絵中絵など、さまざまな要素が散りばめられていながら、全体的な構成は統一性と多様性を兼ね備えており、非常に美しいディテールが絵の全体に見受けられます。

■おわりに

ディエゴ・ベラスケスはスペインのセビーリャに生まれ、フェリペ4世に見出されたのち、宮廷画家として《ラス・メニーナス》をはじめとした西洋美術史に残る傑作を残した画家です。その作風は明暗表現と当時としては珍しい空間表現に裏打ちされており、ベラスケスは「画家の中の画家」と評されるほどになっていきました。

役人としての仕事も多忙であったため、病の後にこの世を去ったベラスケスですが、その作品の中には王族の姿が生き生きと描かれており、当時の王宮を研究する上で貴重な資料となっています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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