ブラー vs オアシス: 正反対の2バンドが共に起こした奇跡

ブラーとオアシスとは:

1990年代にイギリスでムーヴメントとなったブリットポップの主役となった2大ロック・バンド。中流階級出身で、ポップでキャッチーなサウンドが魅力のブラーと、シンプルで美しいメロディーと骨太のヴォーカルのロックが売りのオアシスは何かとライバル同士、犬猿の仲として比較されてきた。ブラーは、デーモン・アルバーンとグレアム・コクソンが一度は袂を分かちながらも関係が復活。オアシスはノエルとリアムのギャラガー兄弟の喧嘩で解散している。

1990年

1988年から別のバンド名で活動していたデーモン・アルバーン、グレアム・コクソン、アレックス・ジェームス、デイヴ・ロウントゥリーの4名がレコード会社との契約を機にバンド名を「ブラー」に改名。10月にファースト・シングル「シーズ・ソー・ハイ」をリリースし、メジャー・デビューを果たした。

1991年

ブラーは、8月にファースト・アルバム「レジャー」をリリース。マイ・ブラッディ・バレンタインらシューゲイザーの影響を受けており、比較的にオルタナティヴで内省的なサウンドであった。チャートでは全英7位が最高だったが、評論家からは「新世代のポップス」として高い評価を得た。
一方、ボーンヘッドとギグジーが組んでいたバンドにリアム・ギャラガーが参加してオアシスとバンド名を改名。同年にインスパイラル・カーペッツのローディーをしていたリアムの兄ノエル・ギャラガーもバンドに参加した。

1992年

ブラーは、マネージャーがバンドのお金を勝手に使い込み、バンド名義で巨額の負債を抱えるという大事件に巻き込まれる。その負債を返済するため、4月から5月の間の1.5ヶ月をほぼ休みなしでアメリカ・ツアーをさせられる羽目になった。しかも当時のアメリカは、ニルヴァーナやパール・ジャムなどが活躍したグランジ・ロックの最盛期だったため、イギリスのポップロックバンドにとってはとても辛いツアーとなった。しかし、この時のバンドの経験がのちに大きなムーヴメントが起きる要因になったのである。

1993年

ブラーは5月セカンド・アルバムである「モダンライフ・イズ・ラビッシュ」をリリースする。アメリカでグランジ・ロックの勢いを目の当たりにしたバンドは、逆にイギリス人としてのアイデンティティを強調するサウンド作りを意識するようになった。ビートルズやキンクス、XTCといった伝統的なブリティッシュ・ロックを新世代の感覚で再定義したようなアルバムと言われた。またしても評論家からは高評価を得たが、セールス的には全英15位が最高位に終わった。イギリスでも当時はグランジ・ロック旋風が吹き荒れていた頃で、まだ流行するまでには至らなかった。
オアシスは10月にアラン・マッギー率いるクリエイション・レコードと契約を結んでいる。

1994年

ブラーは3月にシングル「ガールズ&ボーイズ」をリリース。これが過去最高の全英5位を獲得し、ラジオのヘビーローテションとなった。そしてシングル・ヒットの余韻の中、4月にサード・アルバム「パークライフ」を発表。伝統あるブリティッシュ・ロックの特徴を継承したサウンドとイギリス人特有の毒気を含んだウィットに富んだ歌詞は、イギリスの音楽ファン達に熱狂的に受け入れられた。バンド初の全英No.1に輝いただけでなく、その後のイギリス中を巻き込むムーヴメント「ブリットポップ」の代表的な作品となった。
一方のオアシスは、9月にファースト・アルバム「デェフィニトリー・メイビー」をリリースした。誰もがすぐに口ずさめるシンプルで美しい楽曲はすぐにロックファン達を虜にし、当時のデビューアルバム最速売り上げ記録を作る大ヒットとなった。

1995年

この年のブリッド・アワードでブラーはベスト・アルバム賞他4部門受賞を果たした。そして9月、ブリットポップ3部作の完結編となる「ザ・グレイト・エスケープ」をリリース。ちょっと風変わりでひねくれていて、それでいて美しい楽曲達はまさに王道のブリットポップを体現していた。
オアシスは10月にセカンド・アルバム「(ホワッツ・ザ・ストーリー)モーニング・グローリー?」をリリース。ファースト・アルバムを超えて全曲が名曲と言われるこのアルバムはイギリスだけのヒットではなく、全世界で2500万枚を超えるバンド最高のセールスを記録した。

この年の8月ブラーvsオアシス最大の事件が起こっている。オアシスのシングル「ロール・ウィズ・イット」の発売日予定だった8月14日にブラーがシングル「カントリー・ハウス」の発売をわざわざ変更してまで合わせてきたのだ。メディアはこの対決をセンセーショナルに伝えて、あのBBCですらCDのプレス工場からの中継放送まで行なった。

1996年

8月にオアシスがネブワースに2日間で25万人を集める伝説の大規模野外ライヴを行なった。

1997年

ブラーは2月に5枚目のアルバム「ブラー」をリリース。今までの英国主義を捨て去り、アメリカのオルタネイティブ・ロックに傾倒した作品でファン達からは賛否両論となったが、バンドのアーティストとしての引き出しの多さを示す結果となった。バンドのデーモン・アルバーンは、この作品とともに「ブリットポップは死んだ。」と発言して話題となった。
8月にオアシスがサード・アルバム「ビィ・ヒア・ナウ」を発売。前作の続編としての期待感から900万枚以上売れたが、サウンドをアレンジしすぎて音が分厚すぎる、と評価は高くなかった。

1998年

10月オアシスはシングルのカップリング集であるアルバム「ザ・マスタープラン」をリリース。元々シングルをリリースするたびにカップリング曲の評価が非常に高かっただけにこのアルバムも評判が良く、セールスでも全英2位になっている。
ブラーのデーモンは、サイド・プロジェクトとして覆面ヒップホップ・ユニット「ゴリラズ」を結成した。

1999年

ブラーは3月に6枚目のアルバム「13」をリリース。持ち前のポップ・チューンを捨て去り、混沌としたヘビーなサイケデリック・サウンドで統一された作品で、これまた評論家受けは良かったが、ファンからは低評価だった。

2000年

前年オアシスに元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャー、元ライドのアンディ・ベルが新たに加入した。そのメンバーで2月4枚目のアルバム「スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ」をリリース。サイケデリックで実験的なサウンドで、初めてリアム作曲の楽曲「リトル・ジェームス」も収録された。11月にはロンドンのウェンブリー・スタジアムでのライヴ音源を収録したライヴ・アルバム「ファミリアー・トゥ・ミリオンズ」も発売している。
ブラーはベスト・アルバム「ザ・ベスト・オブ」をリリースした。

2002年

7月オアシスが5枚目のアルバム「ヒーザン・ケミストリー」をリリース。このアルバムから、ゲム・アーチャー、アンディ・ベルも自作の楽曲を提供するようになり、楽曲のヴァリエーションが一気に広がった。
ブラーは、ニュー・アルバムの方向性をめぐり、デーモンとグレアムの音楽性の相違が顕著となり、ついに10月グレアムがバンドからの脱退を表明した。

2003年

ブラーは5月にファットボーイ・スリムのノーマン・クックらをプロデュースに迎えた7枚目のアルバム「シンク・タンク」をリリース。モロッコでもレコーディングされたため、アフリカ音楽やアラブ音楽へのアプローチも見られた。全英No.1になっている。

2005年

オアシスが5月に6枚目のアルバム「ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース」を発表した。このアルバムには脱退したドラマーのアラン・ホワイトに代わり、元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーが参加している。(ザックはザ・フーにも参加していたため、そちらに専念するため、2008年に脱退。) シングルカットした「ライラ」、「インポータンス・オブ・ビーイング・アイドル」、「レット・ゼア・ビー・ラブ」がいずれもヒットした。同年11月にはノエル選曲のベスト盤「ストップ・ザ・クロックス」をリリースしている。

2008年

オアシスは10月に7枚目のアルバム「ディグ・アウト・ユア・ソウル」を発表。「ビー・ヒア・ナウ」以来全米でもトップ5入りを記録している。奇をてらう事なくオアシス流のロックを深化させたと高評価を得た。
2004年以降活動を休止していたブラーだが、12月9日グレアムが6年ぶりにバンドに復帰する事とライヴを行うことが発表された。

2009年

ブラーは、6月にグラストンベリー・フェスティバルに大トリとして10年ぶりに出演した。その後7月ハイドパークにてリユニオン・ライヴが行われた。
8月ノエル・ギャラガーがオアシスの脱退を発表。これによりオアシスは解散状態となった。

2010年

リアムはノエル以外のオアシスのメンバーと新バンド「ビーディ・アイ」を結成。このバンドは2014年まで活動し解散している。

2015年

ブラーは、フルメンバーとしては「13」以来16年振りとなるニュー・アルバム「ザ・マジック・ウィップ」をリリース。デーモンとグレアムが久しぶりの再会を喜んでいるのが伝わるようなとても”ブラーらしい”アルバムとなった。

2017年

デーモンのプロジェクト、ゴリラズの楽曲にかつて犬猿の仲といわれた元オアシスのノエル・ギャラガーが参加し、話題となった。かつてのライバルも今では同志のような存在になっているという。

まとめ

純英国主義的ロックのムーヴメントであるブリットポップにもっとも”意識的”だったのは、間違いなくブラーであり、デーモン・アルバーンだった。彼らの借金返済のためのアメリカ・ツアーの中で感じた、彼らのイギリス人としての強い自覚が彼らの音楽を作り出す事になった。ただ、ブラーだけだったならば単なる良質なロック・バンドとしてムーヴメントは起きていなかったかもしれない。しかし、偶然同時期にオアシスが登場した。このバンドは全く”無自覚に”ビートルズやTレックス、セックス・ピストルズやジャムといった先代たちをリスペクトしながら、伝統的なスタイルのブリティッシュ・ロックを鳴らした。”意識”と”無意識”。本当に何もかもが正反対の2つのバンドが英国ロック回顧主義という同じベクトルに「偶然」向いた時、ブリットポップは多くのバンドや、音楽以外のカルチャーも巻き込む巨大なムーヴメントになったのである。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧