BRITPOP: 英国ロック史を再定義した時代

ブリットポップとは:

1990年代のイギリスで巻き起こったポップ・ミュージックのムーヴメント。1980年代後半に起こったマッドチェスターの流行に影響を受け、アメリカのグランジロック・ブームの閉塞感から抜け出そうとしたところから盛り上がっていった。またビートルズやキンクスの時代から、グラムロックやパンクロックといったロックの歴史からもブリティッシュ・ロックの伝統を新しい切り口で継承していった。ブラーやオアシス、スウェード、パルプといったバンドが登場し、時代を牽引した。

背景

イギリスでは1980年代後半からマッドチェスターと呼ばれるムーヴメントが流行した。マッドチェスターは、クラブで踊れるダンサブルな音楽と、エクスタシーなどのドラッグによるカルチャーで、ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、ザ・シャーラタンズ、インスパイラル・カーペッツなどが登場した。セールス的に飛び抜けて売れたバンドもなく、流行としては短めで終わったが、のちにブリットポップで登場してくるバンド達に絶大な影響を与えた。

マッドチェスターが終焉を迎えると、イギリスのロックは一時的に低迷期に入り、アメリカのニルヴァーナやパール・ジャムらが活躍したグランジ・ロックのバンドが新たなムーヴメントとなり、イギリスのチャートでも猛威をふるった。しかし、1994年4月5日グランジ・ロック界最大のカリスマであったニルヴァーナのカート・コバーンが銃で自殺し、グランジ・ロックのブームは去っていった。スーパースターの衝撃的な死により、ロック界を大きな喪失感と閉塞感が生まれ、人々は新たなロックの時代を待ち望んでいた。

ブラー

ブラーは1991年にアルバム「レジャー」でデビューした。その後マネージャーに騙されて多額の借金を抱えてしまったために、グランジ・ロック全盛時代のアメリカで流行っていないブリティッシュ・ポップ・バンドとして辛い借金返済ツアーを続けた。その頃の体験からメンバーのデーモン・アルバーンはイギリス人としてのアイデンティティを強く意識するようになり、その後の楽曲制作に強い影響与えていくことになった。1993年5月にセカンド・アルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」をリリース。セールス的にはいまいちながらも、ビートルズやXTCといった伝統的ブリティッシュ・サウンドを継承し、新しい解釈で表現した作品となった。1994年3月にリリースした「ガールズ&ボーイズ」が巷でヘビーローテーションとなり、ついに大ブレイクの予感が高まる中、同年4月にサード・アルバム「パーク・ライフ」が発売された。皮肉っぽいがユーモアのあるイギリス人らしい歌詞と、歴史上のブリティッシュ・ロックのフレーバーを詰め込んだような小洒落たサウンドは、一気にイギリスのロック・ファンの心を虜にした。アルバムは全英チャートでNo.1となり、様々な賞でベスト・アルバム賞を獲得した。この作品はブラーというバンドをメジャーにしただけではなく、ブリティッシュ・ロックの歴史に新しいムーヴメントを作ったものであった。翌1995年9月には4枚目のアルバム「ザ・グレート・エスケイプ」をリリース。あの屈辱のアメリカ・ツアー後にスタートしたブリティッシュ・ロックの伝統回顧主義から生まれたブリットポップ3部作がここで完結した。もちろん全英チャートNo .1を獲得した。

オアシス

オアシスは、ノエル(ギター、ヴォーカル)とリアム(ヴォーカル)のギャラガー兄弟を中心とするマンチェスター出身のロック・バンド。ノエルはマッドチェスターの中心バンドの一つだったインスパイラル・カーペッツのローディーをしていた。1993年にアラン・マッギー率いるクリエイション・レコードと契約し、1994年9月にファースト・アルバム「オアシス」をリリースし、デビューアルバムとしての当時のイギリスでの最高売り上げ記録を作った。ギャラガー兄弟はビートルズ、特にジョン・レノンへの崇拝を隠さず、彼らのサウンドはイギリスのスタンダード的なロックだった。ストーン・ローゼズは、60年代の美しいメロディーと70年代のサイケデリックさやハードロック、80年代のダンス・ミュージックといった全ての要素を持っていると当時言われたが、オアシスはそこから60年代の美しいメロディーだけを切り取ったようなサウンドが特徴だった。いくつかのシングル・ヒットを出しながら1995年10月にセカンド・アルバム「(ホワッツ・ザ・ストーリー)モーニング・グローリー?」をリリース。全世界で2500万枚を売り上げる大ヒットとなった。

ブラー vs オアシス

ブリットポップの事件として有名なのがブラーとオアシスのライバル関係だった。中流階級のブラーに対して労働階級出身のオアシスが一方的に悪口を言っていた。そしてオアシスのシングル「ロール・ウィズ・イット」の発表予定日だった1995年8月14日に、ブラーが自らのニューシングル「カントリー・ハウス」の発売日をわざわざ変更して合わせてきた事により、メディアがこぞってこの対決を盛り上げる結果となった。結果は2タイプのシングルを用意したブラーがオアシスを破った。

スウェード

スウェードは1989年にヴォーカルのブレッド・アンダーソンとギターのバーナード・バトラーを中心に結成された、グラムロックの耽美的で煌びやかなサウンドが特徴的なバンド。1992年5月シングル「ザ・ドラウナーズ」はデビュー時から評論家らに大絶賛され、この楽曲がブリットポップの始まりという説もある。1993年3月発売のファースト・アルバム「スウェード」はいきなり全英チャートNo .1に輝く。同性愛者であることを告白し、スキャンダルな言動も含めて話題となる露出も多く、ポスト・スミスとして、大きな期待が持たれるが、セカンド・アルバムのリリース前にブレッドとバーナードが決裂し、バーナードがバンドを去る自体になってしまった。

パルプ

ジャーヴィス・コッカーが前身バンドでデビューしたのは1978年と、下積み時代が長い分他のブリットポップのバンド達より世代がかなり上になっている。ブリットポップのバンドと言えばオアシスとブラーが有名だが、代表的なシングルとアルバムと言えばパルプの「コモン・ピープル」と「ディファレント・クラス」がNo.1だろう。純英国的なアイロニカルな歌詞とジャーヴィスのグラムロック風の個性的な存在感が特徴的だった。不遇な時期を経て1993年にようやくメジャーのアイランド・レーベルと契約してアルバム「ヒズン・ハーズ」をリリースし、全英でベスト10入りを果たした。そして1995年に労働者階級のアンセムとなるシングル「コモン・ピープル」を含んだアルバム「ディファレント・クラス」を発表。ついに全英No.1を獲得し、ブリットポップ時代の顔となった。1995年にヘッドライナーとして登場したグラストンベリー・フェスティバルで10万人と合唱した「コモン・ピープル」はブリットポップ史のハイライトの一つと言われている。

映画「トレインスポッティング」

1996年スコットランドのドラック中毒の若者の日常をスタイリッシュな映像で描いたダニー・ボイル監督作品。その映画の最重要パーツのサウンドは、プライマル・スクリームやパルプ、ブラー、ニュー・オーダー、デーモン・アルバーンといったブリットポップの楽曲達であり、映画の時代背景を浮き立たせ、映画とともにサウンドトラックも大ヒットを果たした。

クール・ブリタニア

1990年代のブリットポップ繁栄の影響を受け、ファッションやアート、「トレインスポッティング」のような映画界など様々なジャンルで英国独自のカルチャーが主張されるようになった。その流れは文学、デザイン、スポーツ、建築など様々なジャンルに波及した。この現象は「クール・ブリタニア」と呼ばれた。1994年、41歳の若さで労働党党首となったトニー・ブレアが1997年に44歳で首相になるとオアシスのノエル・ギャラガーがお祝いに訪問する程の親しい仲となり、若者たちの新しいムーヴメントへの理解もアピールしようとした。しかし、そうした政治や経済の道具にされた流行として人々の反感を招く事となり、最終的にクール・ブリタニアは完全に無視される死語と化した。

ブリットポップの終焉

1997年2月ブラーが純英国的音楽を捨て、アメリカのオルタネイティブ・ロックをフォローした5枚目のアルバム「ブラー」をリリース。その際、デーモンは「ブリットポップは死んだ。」と発言した。
同年8月オアシスが全世界待望のサード・アルバム「ビー・ヒア・ナウ」をリリース。セールス的には前作大成功の期待から全英No.1、全米No.2と成功したものの作品としては低評価に終わっている。
そしてパルプも1998年3月に「ディファレント・クラス」に続く新作「ディス・イズ・ハードコア」をリリースするも、前作に比べて暗く重たい作品となっていて、セールスは伸び悩み、この事実がブリットポップの終焉の象徴と言われた。

アーティスト達のその後

ブラーは、2000年代に入ってメンバーのデーモン・アルバーンとグレアム・コクソンが音楽性の相違から関係が悪くなり、2003年グレアムがバンドを脱退した。デーモンもサイド・プロジェクトであるバーチャル音楽ユニット「ゴリラズ」の活動が多くなり、ブラーは活動休止状態となる。グレアムもソロ・アーティストとして活躍していたが、2008年12月デーモンとグレアムが和解し、バンドに復帰する事が発表された。
オアシスは、2009年8月にギャラガー兄弟の喧嘩からノエルがバンド脱退を表明し、事実上の解散となった。残ったメンバーは新たにバンド「ビーディアイ」を結成したが、2014年に解散。リアムはソロ・アーティストとして活動、ノエルは「ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ」として活躍している。
スウェードは、2003年11月に活動中止するが、2010年以降になって再活動している。1994年に脱退したバーナード・バトラーは、音楽プロデューサーとして活躍している。
パルプは2002年に解散し、ジャーヴィス・コッカーは名プロデューサーであるスティーヴ・アルバムを作るなどソロ・アーティストとして活躍していたが、2011年からパルプを再結成している。
尚、2004年にはブリットポップを回顧したドキュメンタリー映画「リヴ・フォーエバー」が公開され、当時の主役達が思い出を語っている。

まとめ

ブリットポップは、クール・ブリタニアでも見られるように音楽を超えて純英国主義を復活させるムーヴメントだった。音楽に関して言えば、ブラーはアメリカのグランジ・ロックの反動から、オアシスはビートルズへの無償の愛から、そしてスウェードはグラムロックの影響から、とそれぞれ異なった背景から一つのムーヴメントが作られたことが大変興味深い。それだけブリティッシュ・ロックが歴史と伝統で形成されていた事の証しであろう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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