LED ZEPPELIN:セレブレイション・デイ~奇跡の復活劇

レッド・ツェッペリンとは

ジミー・ペイジ(ギター)、ロバート・プラント(ヴォーカル)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース・キーボード)、ジョン・ボーナム(ドラム)をオリジナル・メンバーとするイギリスのハードロック・バンド。1968年にデビューし、ハードロックやヘビーメタルの祖となり、1970年代のビートルズ解散後の時代のロックを牽引した。また、ハードロックの枠に収まらず、フォーク、ファンク、レゲエ、ソウルなど多様な音楽を独自に解釈して表現した作品を作り出した。1980年に天才ドラマーのジョン・ボーナムの事故死によってバンドは解散した。その後何度か残ったメンバーとサポート・メンバーによって再結成ライヴを行っている。1985年のライヴエイドでは大失態を演じたが、2007年に奇跡の復活劇を演じた。

ヤードバーズ

レッド・ツェッペリンのリーダー、ジミー・ペイジはツェッペリン結成の前にヤードバーズというバンドに在籍していた。ヤードバーズは、ブルースロックとしてロックの歴史上に残るバンドで、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと3人の偉大なるロック・ギタリストによって継承された。ジミー・ペイジの代でバンドは解散状態となり、その後「ニュー・ヤードバーズ」と名のっていたバンドが改名し、「レッド・ツェッペリン」となった。

アルバム「レッド・ツェッペリン1」

ニュー・ヤードバーズとしてツアーをまわっている間にバンドはリハーサルを繰り返してきたため、アルバムは9日間、わずか36時間のスタジオ作業にて完成した(製作費は1,782ポンド)。発売日は1969年1月12日。当時すでにジミ・ヘンドリックスやクリーム、ジェフ・ベック・グループなどがハードなギターロックにチャレンジしていたため、評論家受けはそれほど良くなかったが、セールス的にはアメリカのビルボード・チャートに73週間連続でランクインするなどそれなりの成功を収めた。彼らのハードロックはジミ・ヘンドリクスやジェフ・ベックと比べてブルースへの新しい切り口を示したことと、「デイズド・アンド・コンフーズド」のような静かな曲にもチャレンジした事(これにも新しいブルースへのアプローチが垣間見える)が非常に個性的であった。

アルバム「レッド・ツェッペリン2」

レコード会社からのプレッシャーによってバンドは慌ててこのセカンドアルバムを制作しなければいけない状況となり、ファーストアルバムからわずか9か月後の1969年10月にリリースとなった。「ホール・ロッタ・ラヴ(胸いっぱいの愛を)」や「ハートブレイカー」を収録したこのアルバムはアメリカのビルボード・チャートであのビートルズの「アビーロード」を蹴落としてNo.1を獲得し、新しいロックの時代の到来を印象づけることになった。またジョン・ボーナムのドラムソロをフィーチャーした曲「モビー・ディック」も彼らのライヴを盛り上げる代表曲となった。

アルバム「レッド・ツェッペリン3」

セカンドアルバムから1年後の1970年10月にリリースされた。アメリカとイギリスでNo.1にはなったものの、セールス的にはセカンドアルバムよりは下がる結果となった。前の2枚のアルバムと比べてフォークっぽいアコースティックな楽曲が増えたために賛否両論が起きた。しかし、のちにリリースされていく作品から振り返ると、バンドがただのヘヴィー・ロック・バンドではなく、多様な音楽性を持っていたことを証明する作品となっている。

アルバム「レッド・ツェッペリン4」

1971年11月に発売。本作には正式なアルバムタイトルは付いていないが、過去のタイトルから上記のタイトルで呼ばれることが多い。「ブラック・ドッグ」や「ロックン・ロール」などもシングルでヒットしているが、何といってもこのアルバムにはロック史に輝く名曲「ステアウェイ・トゥ・ヘヴン(天国への階段)」が収録されていることで有名で、世界中で最も売れたロック・アルバムの1枚であると言われている。イギリスではチャートで1位を記録したが、アメリカでは当時キャロル・キングの「タペストリー(つづれおり)」がヒットしていたため、チャート最高位は2位であった。

アルバム「ハウセズ・オブ・ザ・ホーリー(聖なる館)」

1973年3月に発売になった5枚目のオリジナルアルバムで、初めてアルバムにタイトルがついた。大ヒットした前作の余韻もあってアメリカとイギリス両方でNo.1になっている。ツェッペリン流のファンクやレゲエに挑戦することでさらにバンドサウンドの多様性を手に入れたが、評論家受けはあまりよくなかった。

アルバム「フィジカル・グラフィティ」

1975年2月発売の6枚目のオリジナルアルバムで、初の2枚組となった。新録の8曲に加えて過去のアルバムに収録されなかった7曲を加えた80分を超える大作となった。このアルバムがアメリカのビルボードでチャートインした際には、過去のアルバム5作もすべて再びチャートインするという実力派ならではの現象が起こった。そして過去の未発表曲を加えたことでバンドはさらなる音楽の幅の広さを示し、アメリカのローリング・ストーン誌は、ビートルズの「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」、ザ・フーの「トミー」、ローリング・ストーンズの「ベガーズ・バンケット」などと並べて賞賛した。

アルバム「プレゼンス」

1976年3月発売の7枚目のオリジナルアルバム。キーボードやシンセサイザーといった楽器を一切使用せず、エレキギター、ベース、ドラムのみで製作されたとても純粋なハードロック・アルバムとなった。製作・編集の期間がとてもタイトだったため、緊張感が漂う作品となっている。彼らのオリジナルアルバムとしては最もセールス的に成功しなかった作品だが、評論家からの評価は非常に高かった。

アルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」

前作「プレゼンス」から3年5か月というインターバルを置いて1979年8月発売に発売された8枚目のオリジナルアルバムで、ドラムのジョン・ボーナムが急死したため、最後のオリジナルアルバムとなった。パンクやニューウェイヴなどロックにも新しい時代が訪れていたが、アメリカ、イギリスでNo.1を獲得するなど依然根強い人気があることを示した。多様なサウンドを取り入れてきた彼らだが、シンセサイザーを主体とした時代に近い音楽性には賛否両論が巻き起こっている。

その他のアルバム

ツェッペリンは、オリジナルの他に数枚のアルバムを公式にリリースしている。その中でも有名なのが1976年10月発売の「ソングス・リメイン・ザ・セイム(永遠の詩〜狂熱のライヴ)」である。これはコンサート映画として撮影された映像のサウンドトラックで、ツェッペリンのライヴ演奏が堪能できる作品として長く愛聴されてきた。このアルバムのリリースによって、約半年前にリリースされたオリジナルアルバム「プレゼンス」のセールスが伸びなかったといわれている。彼らのライヴはレコーディング時のアレンジに縛られることなく、自由奔放な即興演奏が展開されることが多く、ライヴの長さも3時間以上延々と続くことも少なくなかったため、常に伝説化されてきた。

これ以外に公式なライヴ演奏が発表されたのは21年後の1997年11月に未発表音源としてリリースされた「BBCセッションズ」だった。また、2003年にも1972年の未発表ライヴ音源が「ハウ・ザ・ウエスト・ワズ・ウォン(伝説のライヴ)」としてリリースされた。
ライヴアルバム以外では、1982年11月に未発表音源をジョン・ボーナム以外の残ったメンバーで編集したコンピレーション・アルバム「コーダ(最終楽章)」を発表している。

ライヴエイド

バンドの解散から5年後の1985年、アフリカの飢餓を救うプロジェクトとしてイギリスとアメリカで同時開催され、世界に配信されたライヴ・イベント「ライヴエイド」にてツェッペリンは元ジェネシスで当時ソロアーティストとして大人気だったフィル・コリンズをドラマーとしてツェッペリン・ナンバーを演奏した(実際にはフィル・コリンズとトニー・トンプソンズのツイン・ドラム)。しかし、ジョン・ボーナム不在ではかつての史上最高のロック・バンドと言われたグルーヴを再現することはできず、この再結成ライヴは大不評に終わった。

2007年再結成ライヴ

ライヴエイドの屈辱から22年経った2007年12月10日、ツェッペリンは1日限りの再結成を果たす。会場はロンドンのO2アリーナで、前年に亡くなったアトランティック・レコードの創始者であるアーメット・アーディガン氏の追悼ライヴとして実施され、ドラマーにはジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムが参加していた。このライヴには世界中から2500万人がチケット購入を申し込み、最終的に2万人だけが実際にライヴを観ることができた。チケットのオークションでは1900万円で購入した人もいたことで話題となった。ライヴにはビートルズのポール・マッカートニーやローリング・ストーンズのミック・ジャガー、オアシスのノエル・ギャラガー、リアム・ギャラガーなども観に行っていたことで話題となった。このライヴは「セレブレイション・デイ」というタイトルでCD及びDVDで発売された。

まとめ

ロック史上最高のライヴバンドと言われたレッド・ツェッペリンだったゆえに、解散後にそのサウンドを改めて蘇らせることは非常に困難なことであった。ライヴエイドの大失敗を踏まえて、メンバーは数か月も前からこの一夜の復活のために繰り返しリハーサルを行なった。それによってツェッペリンはついにジョン・ボーナムなしであの往年のグルーヴを再び手にすることができた。解散から27年経っての復活はロック界伝説の一夜となった。その後、ジミー・ペイジはツェッペリンとしての活動継続を望んでいたが、ヴォーカルのロバート・プラントの拒否により再結成は実現していない。一時期はエアロスミスのスティーブン・タイラーをヴォーカルとしてツアーを行なうという噂もあったがスティーブン・タイラーが断ったと言われている。(エアロスミスは、スティーブン・タイラーがツェッペリンに参加するなら、レニー・クラヴィッツをヴォーカルに迎えようとしたと噂されている。)ツェッペリンのあのグルーヴがまた再現される日を心待ちにしていたいと思う。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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