シャルル・ルブラン:フランス古典主義を代表する画家

(Public Domain /‘Portrait of Charles Le Brun’ by Nicolas de Largillière. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

シャルル・ルブランは1619年フランス、パリに生まれた画家です。ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿やルーブル宮殿の内装を担当したことで知られており、国王からは「古今のもっとも偉大なフランスの芸術家である」と称されるなど、フランス古典主義を代表する画家として数多くの作品を制作しました。そんなルブランの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■シャルル・ルブランとは

シャルル・ルブランは1619年、フランスのパリに生まれました。父親は彫刻家であり、幼いころから芸術に関心を持ちやすい環境にあったといわれています。1632年になるとフランソワ・ペリエに絵画を学び、その後1634年にはシモン・ヴーエの工房で仕事を行うことになります。ルブランは若いころから才覚を表しており、1638年にはすでに宮廷画家としてリシュリューから注文を受けるまでになっていましたが、1642年には経済的支援をうけてプッサンと共にローマに渡ることになります。ルブランは4年間プッサンの下で古代や中世の巨匠たちの作品を研究し、自らの物としていきました。

1658年からは、財務卿二コラ・フーケが所有していたヴォー=ル=ヴィコント城の建設に着手します。この仕事は建築家のルイ・ル・ヴォーと造園家ルノートルとの共同プロジェクトであり、フランスらしい寒冷高湿で平坦な自然条件を浮かした庭や優美な室内装飾はそれまでのフランスにない表現として高い評価を受けることとなりました。しかしその一方でこの大成功がルイ14世の不興を買うこととなり、フーケ卿は没落してしまいます。ルブランをはじめとした3人の芸術家たちはそのままルイ14世によってヴェルサイユ宮殿の建設に従事させられることとなり、ルイ14世様式を確立するきっかけとなっていきます。

こうした仕事によってルイ14世のお気に入りになったルブランは、王から第一画家としての地位と年間12000リーブルの年金を与えられ、また

「古今の最も偉大なフランスの芸術家である」

引用:Wikipedia シャルル・ルブラン

と称されるほどでした。ルブランの芸術家としての地位は確固としたものになっていくのです。

(Public Domain /‘Alexander and Porus’ by Charles Le Brun. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ルブランはルイ14世から依頼されたアレクサンドロス王の歴史画や宮殿の室内装飾など、個人の芸術家としても才覚のある人物でしたが、その一方で経営者としてもセンスのある人物でした。ルブランが活躍した17世紀前半のパリでは中世から続くギルドの既存利益を守るため、ギルドに属さない宮廷芸術家の活動は制限されていました。ルブランはギルドからの自由を目指して、1648年には王立絵画・彫刻アカデミーを設立します。アカデミーは長くにわたってフランスの芸術家を生み出す学校となり、芸術の都と呼ばれるパリをはぐくむ場ともなっていきました。

また1660年にはコルベールと共にゴブラン工場を設立し、その責任者に着任します。ゴブラン工場は王宮で必要なあらゆる什器家具を製造し、またタペストリーの制作にあたる工場でした。特にタペストリーは当時大変貴重なものであり、外交の際には相手国に贈る献上品としても用いられていました。そのためゴブラン工場の設置は芸術の振興とともに、外交の面でも重要な機関として機能していたのです。

1661年にはコルベールが王立絵画・彫刻アカデミーの保護副会長に選任され、その庇護もあってルブランはアカデミーの学長に就任します。ルブランはアカデミズムの基準を作り、1666年にはアカデミーの支部としてローマにアカデミー・ド・フランスを設立します。のちにアカデミー・ド・フランスはヴィラ・メディチに移され、ローマ賞受賞者が滞在し、古代とルネサンス期の名作を学ぶ機会を提供する場として活用されていきました。

ルブランはアカデミーやゴブラン工場をとおしてフランスの芸術界に降臨し、個人の芸術家というよりも、どこか政治家としての資質のある人物であったといえるかもしれません。ルブランは1690年にパリの私邸で70歳の生涯を閉じているものの、その絢爛豪華なルイ14世様式は今日に至るまでフランスに強い影響を及ぼしています。

■シャルル・ルブランの作品

シャルル・ルブランはルイ14世の庇護を得て絵画や彫刻などフランスの芸術界に強い影響を及ぼした人物です。晩年は古典主義の画家ピエール・ミニャールの台頭によって失脚することになるものの、アカデミーの校長やルーブル美術館の初代館長などの役職を歴任し、フランス文化を形作る基礎を作り上げていきました。そんなルブラン個人の作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《聖家族》 1655年

(Public Domain /‘Holy Family with the Adoration of the Child’ by Charles Le Brun. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1655年に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。描かれているのは幼子イエスと聖母マリア、そして聖ヨセフやマリアの母アンナ、アンナの夫であるヨアキム、洗礼者聖ヨハネやヨハネを生んだとされる聖母マリアの従姉エリザベツなどで、それぞれが幼子イエスを取り囲むように描かれています。

寝ているイエスにちょっかいを出そうとしている子供に対して、マリアが穏やかな表情で人差し指を唇に当てながら嗜めています。ルブランには子供はいませんでしたが、生涯を通じて子供たちに魅了され、彼らを優しく描きあげました。

・《聖家族》 1656年

本作品は1656年に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。パリのマレ地区サン=ルイ聖堂礼拝堂の祭壇画として制作されたもので、幼児虐殺から逃れてエジプトへと逃避した幼子イエスと聖母マリア、聖ヨセフが祖国エルサレムへと帰国する前日の晩餐の場面が描かれています。

(Public Domain /‘Le Brun Sainte famille ou Le Bénédicité’ by Charles Le Brun. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

聖母マリアと聖ヨセフが幼子イエスに注目している一方、幼子イエスの目線は明後日の方向を向いています。彼が両手で作っている不思議な形は、どうやら三角形のようです。聖ヨセフの職業は大工であったとされることから、手前の床には木槌や鑿が描かれています。

■おわりに

シャルル・ルブランは1619年パリに生まれ、フランス独自の芸術様式を確立した画家です。幼いころから芸術の才能を示していたことにとどまらず、ヴェルサイユ宮殿やルーブル宮殿の室内装飾を手掛けるなど、フランスの宮廷文化の基盤となるイメージを作り上げていきました。

またルブランは王立絵画・彫刻アカデミーやゴブラン工場などを設立し、芸術家の育つ場・活躍する場を作ったことでも知られており、ルブランが創設者となった機関は近代から現代の芸術家たちに多大な影響を及ぼしました。ルブランがフランスに生まれず、もしくはルイ14世に見いだされることも無かったら、フランスの文化はまったく違うものになっていたかもしれません。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧