グイド・レーニ:ボローニャ派を代表する画家

グイド・レーニは1575年、イタリア北部のボローニャに生まれた画家です。アンニーバレ・カラッチが率いるカラッチ一族によって設立された美術アカデミーに入門し、多くの門下生の中でも才覚を表していたことからラファエロの再来と呼ばれました。そんなグイド・レーニの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■グイド・レーニとは

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Guido Reni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

グイド・レーニは1575年、イタリア北部のボローニャに生まれました。フランドル出身の画家であるデニス・カルファートで数年修業したのち、1594年にはボローニャの画家一族カラッチ家が主催する画学校アカデミア・デリ・インカミナーティに入門したことが分かっており、アカデミアではルドヴィコ・カラッチに師事しました。

1601年から1602年ごろになるとレーニは生まれ故郷のボローニャを出てローマに赴き、本格的に画家としての活動をはじめます。1604年ごろまではアンニーバレ・カラッチの工房の仕事を手掛けており、ファルネーゼ宮の天井画の制作に関わるなど、歴史に残る大作を手掛けるようになっていきました。

その後は教皇パウルス5世や枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの注文を受けて制作に取り組み、現在はバチカン図書館の一部となっている、バチカン宮殿のアルドブランディーニの間の装飾を担当し、またローマのクイリナーレの丘に建つパラヴィチーニ・ロスピリオージ宮殿の天井画《アウローラ》を手掛けるなど、教皇一族の依頼を中心に室内装飾の仕事を手掛けるようになっていきました。

(Public Domain /‘Adoration of the Shepherds’ by Guido Reni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

レーニは《アウローラ》が完成した1614年になると生まれ故郷のボローニャに戻り、その後は制作と後進の指導に努めるようになっていきました。レーニがボローニャに戻った背景には、教皇や貴族からの注文を受ける華やかな生活よりも故郷で自由気ままに過ごす生活を好んだためと言われています。

またレーニは優美な女性像を多く描いたことで知られていますが、実際は女嫌いで無類の賭博好きでも知られており、「孤独な隠者」とも呼ばれる生活を送っていました。その後短期の旅行を覗いてボローニャを離れることはなく、1642年8月18日に66歳での生涯を閉じています。

■グイド・レーニの作品

(Public Domain /‘Archangel Michael tramples Satan’ by Guido Reni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

レーニの作品にはこの時代ローマ画壇の寵児となっていた巨匠カラヴァッジョの表現が取り入れられており、劇的な構図や明暗の激しい対比はまさにカラヴァッジョ作品を取り入れたものと考えられています。またその一方でルネサンスの巨匠ラファエロの古典様式も取り入れられており、劇的な表現と理想的な表現を融合させるレーニの高い画力が伺えます。

また代表作《アウローラ》は古典研究の成果が伺える傑作となっており、理想化された優美な人物表現や柔和な色彩などが考え抜かれた構図のもとに描かれています。こうした作風からレーニは生前から「ラファエロの再来」と呼ばれており、ゲーテからは「神のごとき天才」と称されたほどでした。その後19世紀までレーニは高い評価を受け続けたものの、20世紀以降においては人気も落ちる一方にありました。しかし20世紀末よりアカデミズム絵画が再評価される動きが広がり、徐々にレーニの再評価も進んでいます。そんなレーニの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《ゴリアテの首を持つダヴィデ》 1604年-1606年

(Public Domain /‘David with the Head of Goliath’ by Guido Reni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1604年から1606年にかけて制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。描かれているのは旧約聖書に登場する竪琴の名手ダヴィデで、投石器を使って敵対していたペルシア軍の巨人兵士ゴリアテの額を打ち、倒れたところを斬首したとされる一説です。

この作品では、主題の悲劇的な側面が強調されているというより、むしろ美しい肉体を持つダヴィデのエレガントな部分が際立っています。ダヴィデは赤い羽毛の帽子を被り、月明かりに照らされ、体は豊かな毛皮のマントで覆われています。彼はゴリアテの頭部をじっと見つめ、冷静な印象を与えています。

・《嬰児虐殺》 1611年

(Public Domain /‘The Massacre of the Innocents’ by Guido Reni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1611年に制作された作品で、現在はボローニャ国立美術館に所蔵されています。新約聖書の一説で、“ユダヤ人の新しい王となる子”がベツレヘムに生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させたとされる出来事が描かれています。この主題は、5世紀以降において盛んに描かれたことで有名です。

光に照らされた青空を背景に、暗く重厚な建築物が置かれており、その前に大人8人と子供8人(左上に描かれた勝利のヤシの葉を配る天使を含む)が巧みに配置されています。この主題が描かれる上では珍しい縦長のキャンバス、そして何よりも人物配置の左右対称の構造から、レーニが特に絵画の構造についてこだわりを持っていたことが伺えます。

・《アウローラ》 1612年-1614年

(Public Domain /‘Aurora’ by Guido Reni. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1612年から1614年に描かれた作品で、カジーノ・ロスピリオージ・パッラヴィチーニに設置されている作品です。このフレスコ画は、ローマのスキピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の依頼を受けて、ボルゲーゼ家の別荘にある庭園の休憩所を飾るために描かれました。現在ではあまり知られていませんが、この絵は19世紀から20世紀初頭にかけての長い間、美術史における最高傑作と考えられていました。

作中では、古代ギリシャの曙の女神オーロラと、彼女の兄弟である太陽神ヘリオスが描かれています。オーロラは戦車を率いて空を駆け抜け、夜の雲を切り開きながら前に進んでいます。一方ヘリオスは、時間の女神であるホーラたちに囲まれています。鮮やかな色彩と控えめな優美さを持った人物像は、原画制作時から高く評価されてきました。

・《サムソンの勝利》 1618年

本作品は1618年に制作された作品で、現在はボローニャ国立美術館に所蔵されています。描かれているのは旧約聖書に登場する怪力の師士サムソンで、均整の取れた美しい肉体美を表現した作品です。

古典的なポーズで描かれているサムソンは伝説によると、水を飲んで喉の渇きを癒している間に、千人のペリシテ人を殺した人物です。作中で彼は勝利の印として、倒された敵の体の上に左足を置いています。レーニは、このように登場人物を理想化し、常に鮮明な色使いで描きました。古典的で調和のとれた構成は、新しいラファエロの誕生だとも言われていたそうです。

■おわりに

グイド・レーニはボローニャに生まれ、アンニーバレ・カラッチらが創設した画学校で学んだ後、その高い画力を発揮し、ラファエロの再来と称賛された人物です。カラッチ亡き後はボローニャ派の第一人者として数々の名作を生み出した後、故郷のボローニャに戻り、制作活動と後進の指導にあたりました。

レーニは存命中から高い評価を受けていたものの、19世紀にはジョン・ラスキンによって著しく評価が貶められてしまいますが、その後再評価が進み、今日に至っています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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