ヤコポ・ダ・ポントルモ:マニエリスムの優美な作品を残した画家

ヤコポ・ダ・ポントルモは1494年、エンポリ近くのポントルモに生まれました。マニエリスムの画家らしく引き伸ばされた人体表現や非現実的な色彩表現を用いながらも、自身の作風を確立しており、その優美かつどこか憂鬱な表現は当時から大きな注目を集めていました。そんなヤコポ・ダ・ポントルモの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ヤコポ・ダ・ポントルモとは

(Public Domain /‘Self-portrait of Pontormo’ by Jacopo Carucci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヤコポ・ダ・ポントルモは1494年、エンポリ近くのポントルモに画家の息子として生まれました。しかし、10歳で孤児になり、フィレンツェに送られます。1511年にはアンドレア・デル・サルトのアトリエに、次にレオナルド・ダ・ヴィンチやピエロ・ディ・コジモのアトリエに入っていました。

1519年、ポントルモはトスカーナにあるメディチ家の別荘の装飾を依頼され、彼の代表作の一つである《ウェルトゥムヌスとポモナ》のフレスコ画を描きました。

当時フィレンツェで猛威を振るっていたペストの流行から逃れるためにガッルッツォのカルトゥスィア修道院に滞在していた1523年から1525年までの間、イエス・キリストの受難の場面のフレスコ画を5枚描いています。

1525年から1528年にかけて、サンタ・フェリチタ教会のバルバドーリ(またはカッポーニ)礼拝堂の装飾を手がけました。この礼拝堂は14世紀にフィリッポ・ブルネレスキによって設計され、ルドヴィコ・ディ・ジーノ・カッポーニによってポントルモに装飾が託されました。金庫室の絵は失われてしまいましたが、「四人の福音書記者」と、彼の最高傑作である「受胎告知」、「十字架降下」の祭壇画を見ることができます。

1529年の帝国軍によるフィレンツェ包囲と、翌年のアンドレア・デル・サルトの死によって、彼の芸術家人生は暗くなっていきます。ポントルモは、それまでなんとか抑えていた深い絶望の中に沈んでいきました。

ポントルモは生涯の最後の2年間(1554年3月から1556年11月まで)、食生活、健康状態、公共の場での生活、フィレンツェのサン・ロレンツォ大聖堂の聖歌隊のためのフレスコ画の進行状況などを日記に書き綴りました。

同じくメディチ家の宮廷画家として活躍したアーニョロ・ブロンズィーノは、ポントルモの弟子でした。

■ポントルモの作品

ポントルモはレオナルド・ダ・ヴィンチやアンドレア・デル・サルトといったルネサンスの巨匠たちの工房で修業時代を過ごしましたが、盛期ルネサンスの写実的な表現の作品を制作することはほとんどなく、徐々に引き伸ばされた人体や非現実的な色彩を用いたマニエリスムの作品を残しており、その表現は反古典主義的ともいえます。そんなポントルモの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《聖ヨセフ伝》 1515年-1518年

(Public Domain /‘Joseph with Jacob in Egypt’ by Jacopo Carucci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1515年から1518年に制作されたと考えられている作品で、現在はロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。ピエール・フランチェスコ・ボルゲリーニとマルゲリータ・アッチャイウォーリの結婚を祝うために依頼された、14枚にも及ぶ連作の一部です。このシリーズは、フィレンツェのボルゲリーニ宮殿の夫婦の寝室に飾ってありました。フランチェスコ・グラナッチとアンドレア・デル・サルトもこの作品の制作に参加しており、当時としては最も豪華なものの一つとなっています。旧約聖書に登場するヨセフの物語(創世記)を描いたこれらの絵画は、壁のパネルや家具にはめ込まれていました。

ポントルモは、ルネサンス期の芸術に対する反動であるマニエリスムに興味を持っており、鮮やかな色彩、空間への不気味なほど不自然なアプローチ、細長い人物や螺旋状の構図にはそれが顕著に表れています。

・《聖母子と聖人たち》 1518年

(Public Domain /‘Madonna with Child and Saints’ by Jacopo Carucci . Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1518年に制作された作品で、現在はサン・ミケーレ・ヴィズドミニ聖堂に所蔵されています。フランチェスコ・プッチの依頼によって制作されたことから、「プッチ祭壇画」とも呼ばれています。

ポントルモは、この作品でフィレンツェにおいて聖会話を描くときに受けつがれていた伝統をキッパリと破っています。聖母子を中心に通常ピラミッド形に配置されるはずの人物たちを、作品全体にほぼ均一に散りばめているのです。イエスを抱いているのは左の聖ヨセフですが、これは福音書に描かれているキリストの幼少期において、父親である聖ヨセフの世話っぷりを称賛しているからです。

左側には石の塊の上に座っている伝道者の聖ヨハネ、左側には跪いて祈りを捧げているアッシジの聖フランチェスコが描かれています。右側に立ち姿で描かれている聖ヤコブはポントルモ自身だといわれており、まさに自画像を描くときのようにまっすぐこちらに目線を向けています。

・《エマオの晩餐》 1525年

(Public Domain /‘Supper at Emmaus’ by Jacopo Carucci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1525年に制作された作品で、現在はフィレンツェ、ウフィツィ美術館に所蔵されています。もともと、フィレンツェ修道院の周辺にある、林業に携わる人々の食堂や診療所のために製作されたもので、どちらも客人を迎え入れて食事を与えるための場所であることから、この主題が選ばれました。

絵の中央にキリストが描かれており、聖人や教会の人々に囲まれています。手前には、右側と左側に二人の人物が描かれており、左側のキャラクターはワインを注ぎ、右側のキャラクターはパンを持っています。キリストの前には、白いテーブルクロスを敷いたテーブルの上に、金属製のプレートが置かれています。床には、立体的な空間を際立たせる足の間に、よく見ると3匹の動物が確認できます。右に猫、左に犬、もう一匹の猫です。動物たちは私たちの視線を恐れるかのように、食堂の足の間に隠れたままです。

・《十字架降下》 1525年-1528年

(Public Domain /‘The Deposition from the Cross’ by Jacopo Carucci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1525年から1528年にかけて制作された作品で、現在はサンタ・フェリチタ聖堂カッポーニ家礼拝堂に設置されています。もともとは家族葬が行われる礼拝堂の装飾のために描かれた作品でした。

ポントルモは、盛期ルネサンスとバロックの間の芸術であるマニエリスムのスタイルでこの作品を制作しました。彼の生きた時代の特質は、この絵画によって学ぶことができます。色の対比、奇妙にも見えるプロポーション、空間の平坦化、不安定な遠近法が使われており、自然な表現には重点が置かれていません。

この絵の中では、空間を埋め尽くす多くの身体が描かれています。しかし、よく見ると空間自体が圧縮されていて、これだけの人物がどうやって収まっているのか想像するのが難しいのです。例えば、キリストの頭の上にいる人物の体はどこにあり、腕はどうやって体にくっついているのでしょうか?よく考えるとこんなにも不思議なのに、ポントルモはなぜかうまくやってのけて描いています。

■おわりに

ヤコポ・ダ・ポントルモはエンポリ付近のポントルモに生まれ、マニエリスムの画家として活躍した人物です。もともとはレオナルド・ダ・ヴィンチやアンドレア・デル・サルトといった盛期ルネサンスを代表する巨匠たちの工房で修業したものの、修業を終えたのちは徐々に引き伸ばされた表現や不自然な色彩といったマニエリスムらしい表現が見られるようになり、大貴族メディチ家の庇護を受けたことで、ポントルモはフィレンツェで大いに制作に励むこととなりました。

ポントルモの作品はフィレンツェを中心とした聖堂に設置されており、フレスコ画で制作されたものが多いことからその保存、修繕が常に課題となっています。現代にいたるまでの尽力によりポントルモの作品は維持されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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