アンニーバレ・カラッチ:初期バロック様式を確立した画家

(Public Domain /‘Self-Portrait in Profile’ by Annibale Carracci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アンニーバレ・カラッチは1560年イタリアのボローニャに生まれた画家です。カラッチの一家は多くの著名な画家を輩出した名家であり、カラッチもまたその作品により初期バロック様式を確立したといわれています。そんなカラッチの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■アンニーバレ・カラッチとは

アンニーバレ・カラッチは1560年イタリア北部のボローニャに生まれました。兄のアゴスティーノ・カラッチや従兄のルドヴィーコ・カラッチも画家であり、古典様式の復活や初期バロック様式の確立を含め、門下から多くの画家を育て上げたこともあって、西洋美術史では彼らを「カラッチ一族」と呼んでいます。

カラッチはバルトロメオ・パッサロッティのもとで修業したのち、初期は風俗画を描いていたものの、徐々に古代神話やキリスト教を題材とした歴史画を描くようになっていきました。また宮殿の大規模な装飾事業などにも尽力し、西洋美術史に残る名作を残しています。

カラッチ一族の功績として名高いのが、1585年ボローニャに設立されたアカデミア・デリ・インカミーティという画学校です。アカデミアでは人体素描や古典彫刻の模写といった基礎技術を重視した教育を行っており、グイド・レーニやドメニキーノ・グエルチーノといった著名な画家たちが育っていきました。

アンニーバレ自身は1580年代から1590年代前半にかけてはボローニャで活動し、聖堂や宮殿の装飾の仕事を手掛けたことが分かっていますが、その後1595年にローマにデルト名門ファルネーゼ家の庇護を受け、1597年にはファルネーゼ宮殿の天井装飾を手掛けており、この天井画はアンニーバレの代表作となりました。天井画にいたっては弟子であったドメニキーノやグイド・レー二なども尽力して手掛けた仕事であったものの、支払われた報酬は予想外に低いものでした。これはカラッチを大変失望させることとなり、うつ病になってしまったといわれています。

■アンニーバレ・カラッチの作品

16世紀のイタリアにおいて流行していたマニエリスムにおいては極端に引き延ばされた人体表現が用いられていましたが、カラッチが活躍した16世紀末になると対抗宗教改革の影響もあって徐々に盛期ルネサンス風の表現が好まれるようになっていきます。カラッチ一族の表現はそうした時代に沿ったもので、調和のとれた表現を目指し、結果として古典主義の復古や初期バロック美術の確立につながっていきました。そんなカラッチの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《豆を食べる人》 1583年-1585年ごろ

(Public Domain /‘Carracci – Der Bohnenesser’ by Annibale Carracci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1583年から1585年にかけて制作された作品で、現在はローマのコロンナ美術館に所蔵されています。描かれているのは豆を食べる農夫の姿で、全体的に荒々しいタッチでありながら、農夫の一瞬の表情を描き切っています。この表現はどことなく印象派的な表現を感じさせるもので、マニエリスム以降の新しい表現を模索していたカラッチの試みを見て取ることができます。

この絵に描かれている要素は、基本的に静物と肖像画を組み合わせたもので、この時代にはあまり見られなかったものです。また、ルネサンスやバロック時代には、貧しい人々の生活を描いた作品はあまり流行っていませんでした。当時、ほとんどの芸術家は、著名な人物や機関の依頼によって、高額な収入を得ていました。さらに、多くの芸術家は、社会的にも知性的にもおそらく自分たちより下の存在とみなされている人々の生活にはあまり関心がありませんでした。しかし、すべての芸術家がそうではなかったのは確かで、カラッチもその一人であったと言えます。

・《聖カタリナの神秘の結婚》 1585年

(Public Domain /‘The Mystical marriage of Saint Catherine’ by Annibale Carracci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1585年に制作された作品で、現在はカポディモンテ国立絵画館に所蔵されています。描かれているのは4世紀のアレクサンドリアの聖女で、エジプト・アレクサンドリア知事コンストゥスの娘であった人物です。

カタリナは両親に対し名声や富、容姿、知性などで自分を超える男性でなければ結婚しないと宣言し、それを聞いたカタリナの母は娘を隠者のもとに送り出します。カタリナの母は秘密裏にキリスト教に改宗しており、隠者はキリストのすばらしさをカタリナに説くと、カタリナは洗礼を受けてキリスト教徒となり、幻想の中で天国に運ばれてキリストと婚約したといわれています。本作品において聖カタリナは優美で甘美な表情をしており、婚姻の証である指輪をイエスから受け取っています。それを受け取る聖母マリアの表情も優しく、そんな3人を天使たちが見守っています。

・《ガレリア・ファルネーゼ天井装飾画》 1597年-1600年ごろ

(Public Domain /‘The Choice of Heracles’ by Annibale Carracci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1597年から1600年ごろに制作された作品で、ローマのファルネーゼ宮殿の天井を飾る作品です。カラッチの最大の傑作としても知られています。この記念碑的なプロジェクトは、カラッチのキャリアが終わる頃に制作が開始されます。彼のスタジオのメンバーと彼の兄弟であるアゴスティーノの協力を必要とするほど大掛かりな作品になりました。

ファルネーゼ宮殿は、1513年頃にアレッサンドロ・ファルネーゼによって建築が依頼されました。建築家のアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネが宮殿の初期設計を担当し、1534年にアレッサンドロ・ファルネーゼが教皇パウロ3世となった後、ファルネーゼ家の富と権力を強調するために構造が大幅に拡張されます。ミケランジェロ、ジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ、ジャコモ・デッラ・ポルタなど、当時の最も権威のあった芸術家たちが手がけた建物は、現在イタリアで最も重要なルネサンス期の宮殿の一つと考えられています。ギャラリーの樽型アーチ天井にフレスコ画、だまし絵、クアドラトゥーラと呼ばれる技法を持って構成されています。

「バッカスとアリアドネの勝利」は中央に描かれている作品で、最も目立つ作品であることは間違いありません。この作品は周りの様々な作品に囲まれて、豪奢な天井を完成させています。同じ部屋の中に他の芸術家による彫刻や絵画も加えられており、並外れて美しい印象を与えています。

・《エジプトへの逃避のある光景》 1604年ごろ

(Public Domain /‘The Flight into Egypt’ by Annibale Carracci. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1694年ごろに制作された作品で、現在はドーリア・パンフィーリ美術館に所蔵されています。描かれているのは、東方の三博士の訪問の後すぐにヨセフの夢の中に天使が現れ、ヘロデ王が幼子イエスを殺すために探しているので、聖母マリアと幼子イエスと一緒にエジプトに逃げるように言ったというエピソードです。この作品は、バロック風景画において重要な作品とみなされており、カラッチがローマで展開した「新しい風景画のスタイル」の「最も有名な例」とされています。

本作品には重い明暗(と呼ばれる技法)が含まれており、強烈で荒々しい描写が見られます。彼の絵画に描かれている人物は平均的なバロック様式よりも暗く、軽快さというよりは不気味さを表現しています。

■おわりに

アンニーバレ・カラッチは16世紀のマニエリスムから17世紀バロック様式に移行する際に多大な影響を及ぼすこととなったカラッチ一族を代表する人物で、ファルネーゼ宮の天井画をはじめとした作品を手掛けました。

同時代に活躍したカラヴァッジョと比較すると明暗を劇的に表現するキアロスクーロは用いられておらず、またマニエリスムの代表的な表現である極端に引き延ばされた表現などは用いられておらず、一見して盛期ルネサンス時代を彷彿とさせる表現となっています。こうした古典回帰の表現がのちの初期バロック美術を確立することになります。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧