パルミジャニーノ:マニエリスムを代表する画家

パルミジャニーノは本名をジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラといい、1503年にパルマに生まれた画家です。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとしたルネサンス時代の影響を受けていることで有名で、マニエリスム独自の引き伸ばされた人物描写や幻想的な表現は高い評価を受けました。そんなパルミジャニーノの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■パルミジャニーノとは

パルミジャニーノは、フィリッポ・マッツォーラとドナテッラ・アッバーティの8番目の子供です。父親は1505年にペストで亡くなり、パルミジャニーノは兄弟たちと共に叔父のミケーレとピエール・イラリオに育てられることになります。 1515年、芸術家であった叔父はサン・ジョヴァンニ・エヴァンゲリスタ聖堂の装飾の依頼を受けました。この仕事は、のちに若きパルミジャニーノの頑張りもあって完成されました。1521年、パルミジャニーノは戦火から逃れるため、画家ジローラモ・マッツォーラ・ベドリと共にヴィアダーナに送られます。ヴィアダーナでは、フラティ・デ・ゾッコーリ教会のために《聖フランチェスコ》を、サン・ピエトロ教会のために《聖カタリナの神秘な結婚》のテンペラ画を制作しました。また、彼はサン・ジョヴァンニでも働いており、このときキューポラのフレスコ画の装飾を担当していたコレッジョと出会っています。

1524年、メディチ家の教皇クレメント7世の支援を求めて、《イエスの割礼》や《凸面鏡の自画像》など5点の作品を携えてローマに渡りました。芸術家の評伝を書いていた同時代の画家ジョルジョ・ヴァザーリは、ローマでパルミジャニーノは「生まれ変わったラファエロとして祝われた」と記述しています。1526年には叔父と共にラウロ教会の内装を依頼され、《聖ヒエロニムスの幻視》を制作。しかし1527年には神聖ローマ皇帝でスペイン王でもあったカール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、殺戮や破壊を尽くすローマ劫掠がおき、パルミジャニーノはローマから離れることになります。

のちにパルミジャニーノはボローニャに移り住み、3年近く滞在します。1528年頃には《聖母子と聖人》を描き、その後1528年には《聖母子と聖ザカリヤ、マグダラのマリア、幼児聖ヨハネ》を描きました。1530年にはパルマに戻っています。

1531年、パルミジャニーノはサンタ・マリア・デッラ・ステッカータ教会から、聖ヨセフと洗礼者ヨハネがテーマの祭壇画2点の依頼を受けました。このとき未完成だった教会を監督していた組合は彼に給料を払い、材料や資材の提供を約束しましたが、1535年になってもプロジェクトは完成にたどり着きませんでした。

パルミジャニーノは将来、教会の寵愛を受けて偉大なコッレッジョの後を継ぐことを期待していたのでしょう。しかし、1538年4月、政府はパルマ大聖堂のアプスと聖歌隊の装飾を最初はジョルジョ・ガンディーニ・デル・グラノ、次にジローラモ・ベドリに依頼しました。

晩年、錬金術の研究に没頭したパルミジャニーノは、1540年8月24日にカサルマッジョーレで熱病のため37歳で亡くなりました。ヒノキの木でできた十字架を胸につけ、マリアのしもべ会の教会に埋葬されています。

■パルミジャニーノの作品

パルミジャニーノの作品はマニエリスムらしい引き伸ばされた人体表現や官能美が表現された人物像などが特徴であり、また幻視的な独自の表現が確立されていることでも知られています。

その一方でレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロといった盛期ルネサンスの画家たちの表現を研究し、またエミリア派の画家コレッジョやロッソ・フィオレンティーノの作風を取り入れていたことが明らかとなっています。そんなパルミジャニーノの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《凸面鏡の自画像》 1523-1524年

(Public Domain /‘Self-portrait in a convex Mirror.’ by Parmigianino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1523年から1524年にかけて制作された作品で、現在はウィーン美術史美術館に所蔵されています。描かれているのはパルミジャニーノ自身で、凸面鏡に移った姿が描かれています。

この作品は、1525年にパルミジャニーノがローマに持ち込んだ3つの小型絵画のうちの1つです。ジョルジョ・ヴァザーリは、この自画像はパルミジャニーノがまだ見ぬ顧客に自分の才能を披露するための作品として制作したものであると述べています。

・《聖ヒエロニムスの幻視》 1527年

(Public Domain /‘The Vision of St Jerome’ by Parmigianino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1527年に制作された作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。描かれているのは西方教会四大博士のひとりであり、豊かな古典知識を持つ聖書学者として知られた聖ヒエロニムスです。

パルミジャニーノの細部へのこだわりは、洗礼者の葦の十字架、洗礼者を覆うまだら模様の皮膚、眠っているヒエロニムスの近くの下生え、マリアのドレスの光沢などに表れていますが、これらはおそらくパルミジャニーノが旅行中に見た古代彫刻に触発されたものでしょう。

聖ヨハネの右腕と上向きの指は、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画「洗礼者ヨハネ」を彷彿とさせます。

・《聖母子と聖ザカリヤ、マグダラのマリア、幼児聖ヨハネ》 1533年

(Public Domain /‘Madonna and Child with Saint’ by. Parmigianino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1533年に制作された作品で、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。描かれているのは聖母マリアと幼子イエス、そして諸聖人たちです。木々や廃墟、山の斜面にある港町の遠景を後ろに、一種の型破りな聖会話が繰り広げられています。

洗礼者ヨハネの父である司祭の厳しいまなざしが、見る者を聖母の方へと導きます。幼子イエスは、その大きな目しっかりと開き、洗礼者ヨハネにきつく抱かれていますが、その日焼けした肌はイエスの青白い肌とは対照的です。ヨハネは身をかがめてイエスに優しいキスをしていますが、イエスはそれに応えるようにヨハネの頬を撫でています。左側には、官能的なマグダラのマリアが、長い金髪でかろうじて胸を隠し、彼女の特徴である油壷を見せています。

・《長い首の聖母》 1535年-1540年

(Public Domain /‘Madonna with the Long Neck’ by Parmigianino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1535年から1540年にかけて制作された作品で、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。パルミジャニーノの作品の中でも特に物議を醸した作品の一つで、多くの評論家によって分析されています。高い台座に座り、美しいローブに身を包んだ聖母が、幼子イエスを膝の上に抱えている姿が描かれています。絵の左側に描かれた4人の天使は聖母の周りに群がっており、キリストに感嘆の眼差しを向けています。

この作品の主題は、聖母の首を象牙の大きな塔や柱に例えた中世の賛美歌に由来しています。そのため、聖母や幼子イエスの手足は誇張された長さで描かれているのです。絵の背景にある柱の存在は、この絵の宗教的価値を象徴しています。

■おわりに

パルミジャニーノはパルマに生まれ、叔父の影響で画家となり、マニエリスムを代表する画家として活動した人物です。理想を追求するあまり実際にはありえないほど引き伸ばした比率で描く手法をとったパルミジャニーノの作品は、当時の画家が理想とした表現であり、そこにはどこか神聖な雰囲気さえ漂います。

パルミジャニーノは晩年深く錬金術に傾倒したことで知られており、その没頭ぶりは制作活動に影響を及ぼすほどでした。その熱心さは徐々に精神にも影響をもたらすようになり、その結果心身の健康を欠いたことが37歳という若さで亡くなった原因の一つとも言われています。もしパルミジャニーノがより長い人生を歩んでいたら、どのような作品を描いていたのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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