ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ:バロック絵画に多大な影響を与えた巨匠

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは1571年、イタリアのロンバルディア州、ミラノに生まれた画家です。徹底した写実的な表現と感情表現からのちのバロック絵画に多大な影響を与えたことで知られています。ただその一方で激情的な人物であり、35歳の時に決闘で相手を刺し殺し、一度許されるもまた決闘を行い投獄され、教皇から斬首刑を宣告されるなど、破天荒な人物でもありました。そんなカラヴァッジョの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョとは

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは1571年、イタリアのロンバルディア州、ミラノで三人兄弟の長男として生まれました。父親のフェルモはベルガモ近郊にあるカラヴァッジョ公爵家の管理人で室内装飾を担当しており、母ルチアは地主の娘であったといわれています。ペストが流行したことにより、1576年には一家でカラヴァッジョ村に移住しており、おそらくカラヴァッジョは少年時代をこの村で送ったといわれています。

その後父と母を亡くし、ティツィアーノの弟子だったといわれているミラノの画家シモーネ・ペテルツィアーノのもとで4年間弟子として修業を積むことになります。このころヴェネツィアを訪れてはジョルジョーネやティツィアーノらの作品を目にし、またレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を研究するなど、古代や中世の巨匠たちの作品からも学ぶようになっていました。

その後カラヴァッジョはミラノからローマに移ることになりますが、当時のローマは大規模な教会や邸宅が次々と建てられており、その内部を飾る絵画が必要とされていました。当時は対抗宗教改革のさなかにあり、ローマカトリック教会はプロテスタントに対抗するため、自らの協議を正当化させる作品を必要としていました。しかし絵画作品はまだマニエリスムのものが多く、より人々に訴えかける効果を持った新しい表現が求められていたのです。そうした中で1600年に枢機卿に依頼されて制作した《聖マタイの殉教》や《聖マタイの召命》はまさに時代が求めていた表現であり、一躍時代を代表する画家となっていきました。

強烈な明暗対比を用いるキアロスクーロの表現で一躍有名になったカラヴァッジョのもとには注文が殺到し、経済的に困ることはなかったものの、一時絵画制作にのめりこみ完成すると街を練り歩きながら居酒屋や舞踏会場を訪れ、けんかや口論に明け暮れるという日々を送っており、とても安定した生活とは程遠いものでした。1606年には決闘で若者を殺害し、懸賞金をかけられたため、ローマから逃亡。また1608年にはマルタで、1609年にはナポリで乱闘騒ぎを起こすなど、生涯にわたってトラブルメーカーであり続けた人物でした。

こうした騒動を起こしたことの許しを得るためにカラヴァッジョは1610年ローマに向かうことになりますが、その旅の途中熱病にかかり、38歳という短い生涯を閉じてしまいます。2010年にはポルト・エルコレの教会でカラヴァッジョの人骨が発見されており、DNA鑑定や放射性炭素年代測定などが行われた結果、高濃度の鉛が検出されました。当時の顔料には鉛が多く含まれており、当時の画家たちにとって鉛中毒は職業病の一つでした。カラヴァッジョが若くして亡くなった要因の一つには、この鉛中毒も関係していると考えられています。

■カラヴァッジョの作品

カラヴァッジョは「陰をキアロスクーロに昇華させた画家」と呼ばれており、強烈なハイライトを当てる劇的な表現で有名な画家です。もとからキアロスクーロの表現は用いられていたものの、一方向からまばゆい光が差し、対象物を照らすという表現を取ったのはカラヴァッジョが初めてでした。また強烈な写実表現も当時としては新しい表現であり、ローマの人々はカラヴァッジョの作品に新しい時代の到来を感じたに違いありません。

こうしたカラヴァッジョの劇的な表現は時に品位にかけるとして非難を浴びることもありましたが、のちのバロック美術の画家たちはカラヴァッジョの表現に学び、躍動感のある作品を制作していきました。そんなカラヴァッジョの作品とはどのようなものだったのでしょうか。

・《果物籠をもつ少年》 1600年頃

(Public Domain /‘Boy with a Basket of Fruit’ by Caravaggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1600年ごろ制作された作品で、現在はボルゲーゼ美術館に所蔵されています。ミラノからローマに移ったカラヴァッジョが、ローマの美術界で活躍していた頃に描かれたものです。モデルとなったのは、彼の友人であるシチリア人の画家マリオ・ミンニチで、彼が16歳くらいの時のものだと言われています。

本作品は、カラヴァッジョの静物画家としての活動初期に描かれたものです。ハンサムな少年が、頭を少し傾け、シャツは片方の肩からずらし、バスケットをそっと自分の体に押し付けるような美しいポーズをとっています。桃のベルベットのような色やリンゴの艶やかな色だけでなく、果実の乾燥したや葉の濃い斑点も巧みに描かれています。実物に見られるような凹凸や不完全さがそのまま描かれているのも特徴です。

・《聖マタイの召命》 1600年

(Public Domain /‘The Calling of Saint Matthew’ by Caravaggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1600年に制作された作品で、現在はサン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂に所蔵されています。描かれているのはイエスが収税所で働いていた聖マタイに声をかけ、聖マタイがイエスの呼びかけにこたえてついていったという聖マタイの召命の場面です。聖マタイはキリスト十二使徒のひとりであり、また4人の福音書記者のひとりとしても知られています。

本作品は、人物の姿勢で大きく二つの部分に分けることができます。右側の立っている人物たちは縦長の長方形を形成し、左側たちの座っている人物は横長の長方形を形成しているのです。また、人物はみなほとんど影に包まれています。壁を照らし、聖マタイと着席している人々の存在を際立たせているのは、カラヴァッジョの巧みな光の効果によるものです。

・《イサクの犠牲》 1603年-1604年

(Public Domain /‘Sacrifice of Isaac’ by Caravaggio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1603年から1604年に制作された作品で、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。描かれているのは「信仰の父」と呼ばれるアブラハムが、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるという場面です。

アブラハムはイサクを祭壇に寝かせ、ナイフを抜き、喉を切り裂こうとしています。焦点は、ナイフを持つアブラハムの右手に定まっており、天使は左手で命令するような仕草をし、アブラハムの左手は、もがき苦しんでいる息子を掴んで固定しています。一方、イサクの手が描かれていないことで、彼の無力さが強調されています。

■おわりに

カラヴァッジョはマニエリスム末期にあったイタリアにおいてすい星のごとく現れた画家であり、明暗対比を用いた劇的な表現は当時の人々を驚かせました。そのキアロスクーロの表現はのちのバロック美術の画家たちにも影響を与えていくことになります。

その一方で激情的な人物としても知られており、生涯にわたって諍いの絶えないトラブルメーカーでもありました。カラヴァッジョが38歳という若さで亡くなったのには、自身がおこした問題も影響しているのは間違いないでしょう。もしカラヴァッジョが長生きしていたら、どのような作品を描いていたのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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