ピエトロ・ダ・コルトーナ:盛期ルネサンスに活躍した芸術家

ピエトロ・ダ・コルトーナは1596年にフィレンツェ近郊のコルトーナに生まれた画家です。コルトーナが活躍した時代の教皇ウルバヌス8世は学問や芸術を庇護したことで知られており、コルトーナもベルニーニやボッロミーニらとともにフレスコ画装飾や絵画の分野で多くの作品を残しました。またローマのバルベリーニ宮殿の天井画制作の際にはイシュージョンの効果を持たせ、この表現はのちの芸術家たちに多大な影響を与えました。そんなコルトーナの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ピエトロ・ダ・コルトーナとは

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Pietro da Cortona. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ピエトロ・ダ・コルトーナは1596年フィレンツェ近郊のコルトーナに生まれました。父親は石工であったといわれています。最初、フィレンツェの画家コモディに師事し、その後は師とともにローマに赴き、芸術家としての活動をはじめました。

当時のフィレンツェにおいては有力なパトロンや依頼者を得ることが芸術家として身を立てるためには何よりも大切なことでしたが、コルトーナは幸運なことに銀行家のサッケッティ家の庇護を得ることに成功します。コルトーナはサッケッティ家の別荘の室内装飾の仕事を請け負うことになり、神話や寓意を主題としたフレスコ画を制作し、中でも《サビニの女たちの略奪》はコルトーナの初期の代表作として知られています。

こうした活動はローマの実力者であったフランチェスコ・バルベリーニ枢機卿の目に留まることになり、バルベリーニ枢機卿の叔父にあたる枢機卿マッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニがローマ教皇ウルバヌス8世になると教皇庁からの仕事も請け負うようになっていきました。ウルバヌス8世は三十年戦争を通じて教皇国家の領域を史上最大のものにしたことから絶対的権力者として君臨しており、学問や芸術の庇護者でもありました。

コルトーナは現在のローマ国立美術館にあたるバルベリーニ宮殿の2階大広間の天井画制作という大仕事を任せられ、1633年から1639年にかけて代表作となる作品を制作しました。バルベリーニ宮殿の天井画はイタリア盛期バロックを代表する大作であり、「神の摂理」の寓意の女性像をはじめとした人物像はまるで空間に浮かんでいるような表現になっており、建築と絵画の境目の区別がつかないようにしたことから劇的な空間が広がっています。バルベリーニ宮殿の天井画はコルトーナの代表作となるとともに、17世紀バロック建築の代表作とも言われています。

1633年から1634年にかけてはアカデミア・ディ・サン・ルーカの校長も務め、教育者としての仕事もこなす一方で、1637年から1647年にかけてはフィレンツェに滞在し、トスカーナ公からの依頼でピッティ宮殿の装飾に携わっています。その後は再びローマに戻り制作を続け、1669年に72歳の生涯を閉じています。

■コルトーナの作品

ピエトロ・ダ・コルトーナの作品は盛期ルネサンスの芸術家らしく、きわめて均整の取れた表現となっていますが、その一方でソッティン・スーと呼ばれる目だましの方法をもちいた表現はのちの芸術家たちにも多大な影響を与えました。絵画と建築装飾の区別がつかないように見せる方法は1世代前にあたるアンニーバレ・カラッチも用いているものの、コルトーナの表現は遠近法と錯視効果を駆使しており、まるで登場人物たちが絵画空間から自由に飛び出ているかのような感覚に見舞われます。

またコルトーナは建築家としても知られており、聖ルカ聖女マルティーナ教会やサンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂のファサード、サンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータ聖堂といった仕事に従事したことでも知られています。建築の作例は少ないものの、盛期ルネサンスを代表する作品として今も研究対象の一つとなっています。そんなコルトーナの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《ピエタ》 1620年-1625年

(Public Domain /‘Pietà’ by Pietro da Cortona. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1620年から1625年にかけて制作された作品で、現在はサンタ・キアラ聖堂に所蔵されています。描かれているのは死んで十字架から降ろされたキリストに対し、天使たちと聖人が悲嘆にくれる場面です。

コルトーナの画家人生の初期に描かれた本作品は、1983年に偶然再発見されました。コルトーナの故郷で3世紀半以上もの間、不可解にも失われていたということになりますが、コルトーナが若くから多才であったことを証明している作品です。彼の好んだ渦巻く衣服や風景を垣間見ることができます。

・《サビニの女の略奪》 1630年-1631年

(Public Domain /‘Rape of the Sabines’ by Pietro da Cortona. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1630年から1631年にかけて制作された作品で、現在はローマのカピトリーノ美術館に所蔵されています。描かれているのはローマ建国史の一説で、ローマ市建設当時に女性が少なかったことから、サビニをはじめとした近隣の村人をローマの祭りに誘い、そのうち未婚の女性をローマ人が略奪したとされる物語です。

イタリアの貴族であるサチェッティ家がこの絵を依頼したのは1620年代、コルトーナがローマ圏で名を上げたばかりの頃で、彼らはコルトーナの最初のパトロンとなりました。

コルトーナの絵は、その開放的な演劇性、生き生きとした身振り、豊かな色彩と筆致、そして広げられた光の効果が特徴です。空中に持ち上げられているサビニの女性たちは、ベルニーニの「アポロンとダフネ」などの作品を示唆しており、二人の芸術家の絆を強調するかのようです。

・《教皇ウルバヌス8世のもとの神の摂理の勝利》 1633年-1639年ごろ

本作品は1633年から1639年にかけて制作された作品で、現在のローマ国立美術館にあたるバルベリーニ宮殿の大広間の天井に描かれています。教皇ウルバヌス8世はバルベリーニ家の出身であり、学問と芸術の庇護者としてローマの絶対権力者の地位にありました。本作品はそうしたウルバヌス8世の栄光を示すものであり、所々にバルベリーニ家の繁栄が示されています。

上部では乙女たちが神聖な金色の鍵を持っていますが、この鍵は教皇の計り知れない力と影響力を象徴しています。また、大きな金色の蜂が中央上部に群がっており、この蜂はバルベリーニ家を象徴しています。下部では、フレームが崩れ始め、大鎌を持った男の姿で時間が表現されており、古い時代の終わりと壮大な新時代の始まりを象徴しています。

■おわりに

ピエトロ・ダ・コルトーナは17世紀のローマに活躍した画家であり、過剰な画面構成や優雅で躍動感のある表現を確立し、盛期バロック様式の基礎を作り上げた画家です。はじめは銀行家であったサッケッティ家に見いだされ、その後バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世に目をかけられるようになり、教皇庁の仕事を数多く手掛けるようになっていきました。

そのイリュージョンの方法を用いた表現方法は特に評価されており、イタリア国内はもちろん、ヴェルサイユ宮殿の装飾計画にも影響を与えました。こうしたコルトーナの作品は現在一般の人々に解放されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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