マサッチオ:初期ルネサンスに革命をもたらした画家

マサッチオは本名をトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイといい、1401年12月21日にフィレンツェ共和国のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに生まれました。特に人体表現や三次元的な描写にすぐれていたといわれており、初期ルネサンス様式に大きな影響を与えたといわれています。そんなマサッチオの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■マサッチオとは

マサッチオ、本名トンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイは1401年12月21日にフィレンツェ共和国のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに生まれました。父ジョヴァンニは公証人で、母ヤコーパはフィレンツェ南部のバルベリーノ・ディ・ムジェッロの宿屋の娘であったといわれています。

マサッチオの修業時代の記録は残っていないものの、ジョルジョ・ヴァザーリの「画家・彫刻家・建築家」列伝によれば、マソリーノがマサッチオの弟子であったと示唆されています。ただマサッチオの初期の作品にはマソリーノの影響はほとんど見られないため、研究者の間では師弟関係ではなかったのではないかと考えられています。その後1422年1月7日に画家ギルドに登録したことが分かっており、きわめて若いころにすでに一人前の画家として認められていたことが分かっています。

その後マサッチオは《聖アンナと聖母子》や《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》などを制作し、画家としてのキャリアをはじめますが、このころから短縮遠近法や三次元的な描写を用いており、卓越した画力を有していたことが分かっています。

またマサッチオは幅広い交流関係をもっており、建築家フィリッポ・ブルネレスキや彫刻家ドナテッロとの知遇を得ていました。加えてフィレンツェでジョットの作品を学ぶ機会があったことで、それまでのゴシック様式やビザンティン様式の影響から離れ、初期ルネサンス様式の作品を描くようになっていきます。

マサッチオは裕福な権力者フェリーチェ・ブランカッチをはじめとして多数の有力者から依頼を受け、キリスト教を主題としたさまざまな作品を描いていたものの、1428年には26歳の若さで亡くなっています。マサッチオは西洋美術史においても極めて短命な人物でしたが、それまでの国際ゴシック様式からイタリア・ルネサンスへの意向を決定づけた人物として、今なお研究の対象となり続けています。

■マサッチオの作品

マサッチオの作品の特長はなんといってもより自然で現実的な視点で描かれていることといえるでしょう。マサッチオは絵画に線透視図法や消失点をもちいた最初の画家のひとりであり、作品に三次元的な描写をもちこんだことで、それまでの絵画に革命をもたらしたともいえます。そんなマサッチオの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《サン・ジョヴェナーレ三連祭壇画》 1422年

(Public Domain /‘San Giovenale Triptych’ by Masaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1422年に制作された作品で、現在はカッシア・ディ・レッジェロに設置されています。描かれているのは聖母と幼子イエスが玉座に座り、その足元に天使が跪く《玉座の聖母と幼子イエス、2天使》、左翼部にあたる《聖バルトロマイと聖ブラシウス》、右翼部分の《聖ユウェナリスと修道院長聖アントニウス》で、第二次世界大戦後に発見され、マサッチオの作品として認定された作品です。

この作品の中で注目すべき要素は、マサッチオの他の作品や他のルネサンス芸術家作品に見られる古典的な赤や青の衣服とは異なり、聖母マリアが身にまとっている衣服が暗い布地で描かれているということです。マサッチオは聖母マリアの服の色に合わせて、右のパネルに描かれた聖人の衣服にも暗い色を使い、統一感を持たせました。

・《楽園追放》 1424年-1427年

(Public Domain /‘The Expulsion Of Adam and Eve from Eden’ by Masaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1424年から1427年にかけて制作された作品で、現在はカルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂に設置されています。描かれているのは旧約聖書の創世記において、禁断の実を口にしてしまったアダムとイブがエデンの園から追放される様子です。

絵の中の光源は、礼拝堂に飾られたときの実際の光源と同じ方向から来ています。 このように、マサッチオは絵画の物理的な環境に合わせ、人物を計画的に配置しました。

また、マサッチオは人物の身体の構造にも力を入れています。特に、アダムの筋骨隆々とした体幹の曲がり具合は正確に表現されています。羞恥心で身を覆うイヴは、古典的な「恥じらいのウェヌス」像に似ていることから、マサッチオがこのフレスコ画を描く前、あるいは描いている間に古代の作品を見てインスピレーションを得ていたことを示唆しています。

・《聖三位一体》 1425年-1426年

(Public Domain /‘Holy Trinity’ by Masaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1425年から1426年にかけて制作された作品で、現在はサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂に設置されています。描かれているのはキリスト教の「聖三位一体」であり、父なる神と神の子イエス、聖霊が同一視されるという教義を、遠近法を用いて図像化しています。

人物の配置を見ると、ピラミッド型の形をしていることがわかります。これは、フィリッポ・ブルネレスキ作でサン・ジョヴァンニ洗礼堂にあるブロンズ扉のパネルなど、ルネサンス期の多くの作品の構図に似ています。

イエスの磔刑が行われている建物の建築様式もまた重要な意味を持っています。ローマ時代の凱旋アーチのように見えるもの、天井には棺付きの天井、樽型の丸天井、付柱、円柱が確認できます。このタイプの構造はローマ建築を彷彿とさせ、マサッチオおよびこの時代の人たちがアンティーク建築に興味を持っていたことを意味しています。

・《テオフィルスの息子の蘇生と教座のペテロ》 1426年-1427年

(Public Domain /‘Raising of the Son of Teophilus and St. Peter Enthroned’ by Masaccio. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1426年から1427年にかけて制作された作品で、現在はサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂に所蔵されています。描かれているのは、パウロの執り成しによって、ペテロが獄中から出所した後に行った奇跡の場面です。

ルネサンス期の絵画によく見られるように、作中の人物のうち何人かは、当時の重要なフィレンツェ人がモデルになっていると考えられます。特に注目すべきは右端のグループで、右からフィリッポ・ブルネレスキ、レオン・バッティスタ・アルベルティ、マサッチオ(自画像)、マソリーノを表していると言われています。一方で、この頃アルベルティとその家族はフィレンツェから追放され、1428年まで戻ることが許されていなかったため、彼を描くのは不可能であったという意見もあるようです。

■おわりに

マサッチオは初期ルネサンスの時代に生まれ、その卓越した透視図法や三次元的な表現を用いることによって、ルネサンスの表現に革命をもたらした画家です。特にサンタ・マリア・ノヴェッラ大聖堂の《聖三位一体》では遠近法を作品中の建築にも適応し、まるでイリュージョンのような絵画空間を作り上げました。

マサッチオ自身は26歳と非常に短命で天に召されることになってしまいますが、その表現はレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロといった画家たちに引き継がれ、ルネサンスは最盛期を迎えることとなります。もしマサッチオがより長い人生を送っていたら、どのような作品を残していたのでしょうか。マサッチオの作品はイタリアを中心とした教会、聖堂などに今も所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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