ルーカス・クラナッハ:ドイツ・ルネサンスを代表する画家

ルーカス・クラナッハは1472年にドイツのクラナッハに生まれた画家です。アルブレヒト・デューラーやハンス・ブルグマイアーなど同時代の画家たちと競い合いながら祭壇画を主に制作したことで知られており、その高い精神性をたたえた表現は当時の王族や有力者たちに大変注目されました。また宗教改革者のマルティン・ルターの肖像画を描いたことでも知られています。そんなクラナッハの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ルーカス・クラナッハとは

ルーカス・クラナッハは1472年にドイツのクラナッハに生まれました。「クラナッハ」という名前は当時の慣習に則り、誕生地を姓にしたものと考えられています。クラナッハの父親ハンスも画家で、幼いころから芸術に関する教育を受けており、徐々にその才能の片鱗を見せるようになっていきました。

1500年頃になるとウィーンに赴き、精力的に制作活動を始めるようになります。修業時代に制作した作品は大変な評判となり、クラナッハは30歳ごろから画家として名声を得るようになっていきました。このためクラナッハの初期作品は、美術史美術館や絵画館といったウィーンの美術館に所蔵されています。

こうした制作活動と併せて、クラナッハは先進的な人文主義者と交流を結んでいました。彼らと交友関係を結んだことが影響して、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公の目に留まることとなります。1504年には宮廷画家としてヴィッテンベルグに招かれることとなり、大規模なアトリエを構えるまでになっていきます。

クラナッハは膨大な制作依頼を受けては、当時の流行にそった作品を制作していきました。その中には1509年のネーデルランド旅行での成果やイタリア・ルネサンス美術の影響も取り入れられており、また宮廷の王族や貴族たちが満足するような作品や信仰心を主題とした作品を制作するようになっていきます。

こうして画家としての名声を確立したクラナッハでしたが、そのクラナッハの成功を裏付けたひとつの要因に肖像画があります。大規模なアトリエを運営しながら数多くの肖像画を制作しており、ザクセン公家の人々や政治家、学者など当時の権力者や著名人たちの肖像画を描き、独自のネットワークを作り上げていきました。クラナッハの肖像画の特長は顔を暗がりから浮き出るように描くことで、まるで内側から輝いて見えるような独自の表現で描かれているところにあり、こうした表現は当時としては革新的なものでした。そのためクラナッハのアトリエには肖像画の注文が殺到するようになっていきました。

(Public Domain /‘Portrait of Martin Luther’ by Lucas I Cranach. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

そんな中クラナッハの転換点となったのが、マルティン・ルターです。1517年にドイツの神学者であるマルティン・ルターがローマ教皇の腐敗を批判する「95箇条の論題」を発表します。マインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの後押しもあり、「95箇条の論題」はドイツ語に翻訳されて世間に広まることとなり、これが宗教改革に向かっていきます。

ヴィッテンベルグはルターが宗教改革を行った中心地であり、ルターとクラナッハは友人関係にありました。クラナッハはルターに共感し、ルターの肖像画を描くことはもとより、ルターの神学理論を主題として作品を制作していきます。特に新約聖書の挿絵として木版画を制作したということもあり、クラナッハの制作活動は宗教改革を後押ししたといっても過言ではないかもしれません。

■ルーカス・クラナッハの作品

クラナッハは大規模なアトリエを運営しており、その作品の大部分は当時の貴族や著名人などをモデルとした肖像画でした。また祭壇画や宗教画、神話画なども手がけており、クラナッハの表現と作品は当時のザクセン選帝侯の宮廷の文化を盛り立てる一助となりました。

また人文主義者たちと交流を重ねていたこともあり、クラナッハはイタリア・ルネサンスの表現を作品に取り入れるようになっていきます。そのひとつが異教の女神や神話の女性たちを裸で表現することでした。黒の背景をバックに浮かび上がる女性たちの美しい身体はルネサンス時代とは異なる、蠱惑的であり、かつ幻想的ともいえる表現となっており、女性の身体表現に革命をもたらしたといっても過言ではないかもしれません。以下ではそんなクラナッハの主要な作品をご紹介します。

・《ルター夫妻の肖像》 1529年

(Public Domain /‘Portraits of Martin Luther and Katherina Bora’ by Lucas Cranach the Elder. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1529年に制作された作品で、現在はドイツ歴史博物館に所蔵されています。描かれているのはクラナッハの友人で宗教改革を導いたマルティン・ルターとその妻カタリナ・フォン・ボラであり、クラナッハは親友として二人の結婚立会人にもなったといわれています。

クラナッハがこの二人の肖像画を描いたのは1525年で、マルティン・ルターが修道院を脱出した元シトー会修道女のカタリーナ・フォン・ボラと結婚した年です。ルターは、教会内での独身主義に反対し、自らの結婚をもって聖職者結婚への信念を主張しました。信頼のおける画家として、ルターとその家族はクラナッハにいくつもの肖像画を依頼しました。

・《アダムとエヴァ》 1520年

(Public Domain /‘Adam and Eve’ by Lucas Cranach the Elder. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1520年に制作された作品で、現在はソウマヤ美術館に所蔵されています。描かれているのは旧約聖書創世記に登場する人類の始祖であるアダムとエヴァで、その手には父なる神から食べることを禁じられた知恵の実が握られています。またエヴァの頭上にはふたりに林檎をたべるようにそそのかした蛇が描かれており、背景が黒で統一されていることと相まってこれまでにないアダムとエヴァの表現が作り出されています。

裸体を描くことは当時一種のタブーと考えられていましたが、アダムとエヴァは知恵の実を食べるまで羞恥心を持たず裸であったと聖書に記されているため、芸術家たちはアダムとエヴァを描く際には裸体表現であることに気を使う必要はありませんでした。特にこの時代人文主義者たちの活動が盛んになり、イタリア・ルネサンスの影響から異教の女神たちや神話の女性たちを描く文化が画家の中に広がっており、クラナッハもそうした動きに倣ったものと考えられます。

同時代に活躍したアルブレヒト・デューラーもアダムとエヴァを主題として作品を描いていますが、デューラーの作品はイタリア・ルネサンスの文化にならい解剖学的に正しい裸体を描いた一方で、クラナッハはヤン・ファン・エイクをはじめとした北方美術の伝統に連なるようなほっそりとした裸体を描いています。

■おわりに

ルーカス・クラナッハはドイツのクラナッハに生まれ、ウィーンでの修行時代ののち、ザクセン選帝侯の宮廷画家として肖像画や祭壇画、宗教画など多様なジャンルの作品を制作した画家です。特に当時の有力者たちを描いた肖像画で知られており、その中には宗教改革を導いたマルティン・ルターも含まれていました。

クラナッハは大規模なアトリエを運営し、肖像画などの注文を通して独自のネットワークを築き、当時としてはもっとも成功したドイツ人画家としてその名声を確立していきました。またイタリア・ルネサンスの文化を取り入れて裸体表現を主題とした作品を描いたことも特筆するべきでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧