ヤン・ファン・エイク:初期フランドルを代表する画家

ヤン・ファン・エイクは1390年ごろに生まれた画家で、初期フランドル派の画家の中でももっとも重要とされる人物です。画家として独り立ちするまでの過程は明らかになっていないことが多いものの、《アルノルフィーニ夫妻の肖像》や《ヘントの祭壇画》などの傑作を残し、のちの画家たちに多大な影響を与えました。そんなヤン・ファン・エイクの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ヤン・ファン・エイクとは

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Jan van Eyck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

ヤン・ファン・エイクは初期フランドル派を代表する画家として知られていますが、その幼少期に関しては明らかになっていることが少なく、誕生日はもちろん、生誕地についてもはっきりしていません。現存する最古の記録としては、バイエルン公ヨハン3世の宮廷において1人から2人の助手を持つ宮廷画家であったということが分かっているため、ファン・エイクの生年は遅くとも1395年以前であるということがはっきりしています。多くの美術史家たちはこうした手掛かりから1390年に近い年に生まれたと考えていますが、定かではありません。

バイエルン公3世が死去すると、ファン・エイクは1425年からブルゴーニュ公フィリップ3世の宮廷に迎えられることとなります。フィリップ3世は当時ヨーロッパにおける有数の権力者であり、ファン・エイクはその庇護の下制作に没頭することができました。ファン・エイクは当初リールに居を構えたものの、一年後にはブルッヘに居を移し、1441年に亡くなるまで同地で過ごしたことが分かっています。

ヨハン3世に仕えていたころと違い、フィリップ3世の宮廷での活動に関しては多くの研究が発表されており、ファン・エイクはフィリップ3世の代理として外交官をつとめることもあったと考えられています。特にフィリップ3世とイザベル・ド・ポルテュガルとの結婚を取りまとめる代表団に参加していたことも分かっており、この際ファン・エイクは1428年から1429年にかけてイザベラの肖像画を2点手掛けています。

フィリップ3世のファン・エイクに対する庇護はことのほか大きく、宮廷画家としては並外れた報酬を受け取っていたほか、フィリップ3世自身が子どもの名付け親となり、ファン・エイクが亡くなったのちは未亡人に援助を行ったといわれています。これはファン・エイクの生み出す作品がブルゴーニュにとって大変な価値となることをフィリップ3世が認識していたことの表れであり、実際にファン・エイクはその後フランドルを代表する画家として西洋美術史に名をのこすこととなるのです。

■ヤン・ファン・エイクの作品

ヤン・ファン・エイク作品の特長は何といってもその緻密な描写と鮮やかな色彩です。乾性油と樹脂・うすめ液をもちいたこの技法はそれまでおこなわれていた油彩技法を改良したものであり、より鮮やかな色彩を実現しました。ファン・エイクの技法は《ヘントの祭壇画》や《アルノルフィーニ夫妻の肖像》などに存分に用いられ、北ヨーロッパ写実主義の傑作といわれるまでになりました。そんなファン・エイクの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《アルノルフィーニ夫妻の肖像》 1434年

(Public Domain /‘The Arnolfini Portrait’ by Jan van Eyck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1434年に制作された作品で、現在はロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。描かれているのはイタリア人商人ジョヴァンニ・ディ・ニコラ・アルノルフィーニとその婚約者であるジョヴァンナ・チェナーミで、二人の結婚の立会人としてファン・エイク自身も中央の鏡の中に描かれています。

美しい家具が置かれた部屋に夫婦が立っており、女性の右手は男性の左手の上に置かれています。足元にいる小さな犬、シャンデリアに灯された一本の蝋燭、タンスの上に置かれたオレンジ、手前と奥に置かれた脱ぎ捨てられた靴、夫婦の後ろの壁に置かれた奇妙な形の全体を映し出す鏡など、様々な要素が散りばめられている不思議な作品です。美術史家の中には、これらのシンボルや絵画の中の風景、人物を読み解こうと、そのキャリアの全てを費やしてきた人もいます。この絵は1842年にロンドンのナショナル・ギャラリーに展示されて以来、妊婦が描かれていることから遠近法の正確さに至るまで、様々な解釈がなされ、発展してきました。中でも、婚姻契約の場面を記録するために描かれた珍しい絵画であるという解釈が広く受け入れられています。

・《ヘントの祭壇画》 1425年-1432年

(Public Domain /‘The Ghent Altarpiece Open’ by Jan van Eyck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1425年から1432年にかけて制作された作品で、シント・バーフ大聖堂に設置されています。兄ヒューベルトが初期の制作をしたあと、ファン・エイクが制作を引き継ぎ、完成させた多翼祭壇画です。

パネルの上段では、天への贖いが表現され、中央には王であるキリスト(または父なる神)、聖母マリア、洗礼者ヨハネのデイシスが描かれています。すぐ隣のパネルには、音楽を奏でる天使たち、そして一番外側のパネルには、アダムとエバの姿が描かれています。下段の中央のパネルには、聖人、罪人、聖職者、兵士が集まり、神の子羊の崇拝に参列している様子が描かれています。

祭壇画の下段と上段の間には、表現としての大きな差があるように見えます。下段には広大な田園地帯、遠くの街並み、そして多くの小さな人物が描かれています。対照的に、上段では一人の人物に対してたっぷりと面積が使われており、床に使われている装飾的なタイルを除いて、背景はとてもシンプルに描かれています。

・《宰相ニコラ・ロランの聖母子》 1435年頃

(Public Domain /‘The Virgin of Chancellor Rolin’ by Jan van Eyck. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1435年頃に制作された作品で、現在はルーブル美術館に所蔵されています。もとはブルゴーニュ公国の二コラ・ロランが制作を依頼したものであり、右側には聖母マリアと幼子イエスが、そして左側には依頼者である二コラ・ロランが描かれています。マリアの上では、虹色の翼を持つ天使が王冠を持っており、天使はマリアを天の女王として戴冠させようとしているようです。

ファン・エイクはこの絵に多くの興味深い描写を盛り込みました。よく見ると、建物の外にアヤメ、ユリ、バラなど、いくつもの花が咲いています。花の左側にはカササギと孔雀が二羽ずつ歩き回っています。二人の小さな人物も確認でき、一人は街を見ています、もう一人は孔雀を見ているようです。

イエスが左手に持っている十字架は、イエスが人類の罪のために死んだことを鑑賞者に思い起こさせます。中央の背景にある三つのアーチは、三位一体を表しています。また、孔雀は不老不死を、中央の花はマリアのさまざまな美徳を象徴しています。

■おわりに

ヤン・ファン・エイクはバイエルン公やフィリップ3世の宮廷で活躍した画家であり、その緻密な描写と鮮やかな色彩で数多くの傑作を生みだした人物です。《ヘントの祭壇画》のような壮麗な宗教画を手掛ける一方で、《アルノルフィーニ夫妻の肖像》のような姿勢の人物も描いており、美術史学的にも現在に至るまで研究の対象とされてきました。現存する資料が少ないこともあって、明らかなことは少ないものの、これからの研究が待たれる画家のひとりといえるでしょう。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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