アルブレヒト・アルトドルファー:ドナウ派の代表的な画家

アルブレヒト・アルトドルファーは1480年ごろ、ドイツのレーゲンスブルクに生まれた画家です。西洋絵画史においてはじめて風景画を描いた画家として知られており、絵画のほかにも建築や写本の挿絵、版画といった多様なジャンルで作品を残した多様な才能を持つ芸術家としての側面も注目されています。そんなアルトドルファーの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■アルブレヒト・アルトドルファーとは

(Public Domain /‘Self-portrait’ by Albrecht Altdorfer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

アルブレヒト・アルトドルファーは1480年ごろにドイツ東南部のレーゲンスブルクに生まれた画家です。父親のウルリヒも画家であり、写本挿絵の仕事を手掛けていたことが分かっています。アルトドルファーの幼少時や修行時代のことは資料がほとんど残っていないため、明らかになっていることが少ないものの、現存する作品からアルトドルファーもまた写本挿絵の画家としてキャリアをはじめたのではないかと考えられています。

1491年になると家族から離れ、北方のアンベルクに移住します。その後、再びレーゲンスブルクに戻り、1505年には生まれ故郷であるレーゲンスブルグで親方として登録されています。このころアルトドルファーは20代半ばと考えられており、若くして芸術家としての才能が認められていたことがわかります。

また1515年には神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の命令で《マクシミリアン祈祷書》という写本の制作に従事。この写本制作の際にはアルブレヒト・デューラーとともに制作に携わっており、お互いに影響を与えあったと考えられます。

マクシミリアン1世は自身や子どもや孫といった一族の結婚により、ハプスブルク家の隆盛の基礎築いた王といわれていますが、その一方で芸術の庇護者として多くの芸術家のパトロンとしての役割も担っていました。アルトドルファーもマクシミリアン1世の庇護があって、画家としての地位を築いていったものと考えられます。

アルトドルファーは1519年になるとレーゲンスブルグの参事会員をはじめとした市の要職に就くようになります。また1526年には建築の仕事を手掛けるようになり、名実ともに多忙な毎日を送っていました。その仕事が評価されたためか、レーゲンスブルグ市長へ推薦されるものの、作品制作を重視したいためという理由で断ったという記録が残っています。このころアルトドルファーはバイエルン公ヴィルヘルム4世のための歴史画《アレクサンダー大王の戦い》を制作していました。この作品で、膨大な数の人物を細密描写で描くという仕事をおこなっていたため、他の仕事を引き受ける時間がなかったと考えられます。

(Public Domain /‘Landscape with a city by the lake.’ by Albrecht Altdorfer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

またアルトドルファーの特筆するべき点は、西洋絵画史においてはじめて風景画を描いたという点です。制作依頼をするのはもっぱら教会や王族や貴族といった有力者であったため、教会を飾るための宗教画や政治的な用途に用いられる歴史画などが制作されることがほとんどでした。アルトドルファーはそんななかでドナウ川流域の風景を描いた作品を残しており、これは絵画史上はじめて描かれた風景画であるとして高い注目を集めています。

■アルブレヒト・アルトドルファーの作品

アルトドルファーの彩色の美しさは写本の仕事から影響を受けたと思われ、その卓越した表現は、同時代はもとより、後世の画家にも多大な影響を与えました。そんなアルトドルファーの作品とはどんなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《エジプト逃避中の休息》 1510年

(Public Domain /‘The Rest on The Flight into Egypt’ by Albrecht Altdorfer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1510年に制作された作品で、現在はベルリン美術館に所蔵されています。描かれているのはヘロデ王に命を狙われている幼子イエスを守るため、聖母マリアと聖ヨセフがエジプトに逃避する途中、束の間の休息をとっている場面です。

聖母マリアは、ルネッサンス様式の豪華な噴水のそばで玉座のような椅子に座って休んでいます。右側に見切れた聖ヨセフは、さくらんぼの入ったバスケットを差し出しています。数人の天使が噴水の中やその周りで遊んでおり、子供のイエスは水の中に手を伸ばそうとしています。噴水の柱に彫刻で施されている髭を生やした男と矢を射る少年の像の意味は不明ですが、古代神話に関係していると思われます。噴水の向こうには、森に覆われた湖の岸辺が遠くまで広がっています。岩の上には、門、城塞の道、塔、尖った切妻屋根の家、廃墟、朽ち果てた屋根などが密集し、それらはすべて木や葉と複雑に絡み合っています。

・《アレクサンダー大王の戦い》 1529年

(Public Domain /‘The Battle of Alexander at Issus’ by Albrecht Altdorfer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1529年に制作された作品で、現在はアルテ・ピナコテークに所蔵されています。描かれているのは紀元前333年にアレクサンダー大王がペルシア王ダレイオス3世を破った戦いであり、実際の戦闘はトルコで行われましたが、この作品ではドイツの都市を背景に、アルプスの岩場での戦闘が描かれています。

作中の兵士の甲冑や遠くに見える城塞都市から、この作品が紛れもなく16世紀のものであることがわかります。広大なアルプスの風景の上で繰り広げられる壮大な空の描写は、地上の人間の戦いと明らかに関連して描かれています。また、特に太陽は、アルトドルファーに影響を与えたマティアス・グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」に描かれている、聖母子の頭上から降り注ぐ天からの黄金の光とよく似ています。

・《橋のある風景》 1518年-1520年

(Public Domain /‘Landscape with a Footbridge’ by Albrecht Altdorfer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1518年から1520年にかけて制作された作品で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。ヨーロッパ絵画史上初の風景画のひとつと言われている作品です。

川にかかった木造の橋を中心に描かれており、遠くには山、教会の尖塔や村の家々が見えます。詳しい構図はドナウ渓谷のある場所の地形に基づいているようですが、特定の場所が表現されているというよりは、アルトドルファーが住んでいたドナウ渓谷の印象を表している作品であると言えます。

アルトドルファーは、歩道橋の高さを強調するため、低い視点から場面を構成しました。歩道橋は左の建物と右の荒野を繋ぐことで、文明と自然を結びつけています。しかし、この絵の真の主題は、中央にある巨大なカラマツの木を詳細に描くことの追求でした。その枝は四方八方に伸び放題で、葉の重みで上の枝が垂れ下がっています。また、人工的な構造物である門倉などは、周囲の広大で生命力に満ちた自然と比較すると、弱々しく見えます。

■おわりに

アルブレヒト・アルトドルファーはドイツ・レーゲンスブルグに生まれ、マクシミリアン1世の庇護のもと宗教画や歴史画を主に制作した画家です。写本挿絵の画家としてキャリアをスタートさせたことから、のちの作品にも細密描写や色鮮やかな色彩が見られ、《アレクサンダー大王の戦い》に至っては幻想的な光景を作り出しています。

アルトドルファーはまた風景画をはじめて描いた画家としても知られており、「風景画」という新しいジャンルを生み出したという点においては、後世の絵画史に多大な影響を与えたといえるでしょう。アルトドルファーの作品はドイツを中心とした美術館に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染症拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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