アルブレヒト・デューラー:ドイツ美術史上最大の画家

アルブレヒト・デューラーは1471年に神聖ローマ帝国のニュルンベルクに生まれた画家です。《自画像》や《メランコリア》などでそれまでになかった表現を確立し、ドイツ・ルネサンスに革命をもたらした人物ともいえます。そんなデューラーの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■アルブレヒト・デューラーとは

アルブレヒト・デューラーは1471年に神聖ローマ帝国のニュルンベルクに生まれました。

父親のアルブレヒト・デューラーは金細工職人だったといわれており、かなりの成功を収めていた人物でした。デューラーは父親から絵画の基礎を学び、徐々に芸術の才能を開花させていくことになります。

その後ミヒャエル・ヴォルゲムートに師事し、1486年に15歳から始めたデッサンにおいては早熟な才能を見せるまでになっていました。またヴォルゲムート自身が大きなアトリエを有しており、ニュルンベルクが出版や高級品の貿易拠点として繁栄した都市であったこともあり、デューラーはさまざまな表現技法を学び、かつヨーロッパ中の文化を学ぶ機会に恵まれていました。

ヴォルゲムートのもとでの見習い期間を終えると、デューラーはほかの地域で芸術家から技術を学ぶ旅に出ます。アルザスやフランクフルト、オランダ、ストラスブールなどを経て、デューラーは1492年ごろにバーゼルにたどり着きます。そこではマルティン・ショーンガウアーの兄弟である金細工師ゲオルクと共に住み、互いに影響し合う関係にありました。

1494年になるとデューラーはニュルンベルクに戻るものの、その後すぐにイタリアに旅立ちます。これはニュルンベルクでペストが流行していたためだと考えられています。イタリアに赴く際、アルプスを越える際には水彩で風景画を描いており、この時の経験がその後の銅版画の緻密な風景描写に活かされることとなっていきます。

1495年にニュルンベルクに戻ると、自身のアトリエを構え宗教画を主とした木版印刷の作品を制作するようになっていきます。このころ《黙示録》や《大受難伝》といった大作を制作しており、こうした作品を通してデューラーは名声を得るようになっていきました。

デューラーは木版画で成功を収めたものの、表現の開拓に余念がなく、1505年からは再びイタリアに赴き、テンペラ技法で作品を制作するようになります。そのなかには《東方三博士の礼拝》を含む祭壇画や自画像などがあり、これをきっかけとして徐々に教会の祭壇画の依頼も受けるようになっていきます。

1507年になるとデューラーは再びニュルンベルクに戻り、1520年ごろまではドイツ国内で過ごしていることが分かっています。このころにはデューラーはヨーロッパじゅうで知れ渡る存在となっており、ラファエロ・サンティやジョヴァンニ・ベリーニ、レオナルド・ダ・ヴィンチといった西洋美術史に残る芸術家たちと交流を結ぶようになっていました。

1507年には《アダムとイブ》、1513年から1514年にかけては《騎士と死と悪魔》、《メランコリアⅠ》など銅版画の傑作を制作します。1512年には皇帝マクシミリアンの宮廷画家となり、当時としてはもっとも有名な画家となっていました。デューラーは1528年に56歳で亡くなりますが、その影響は大きく、ドイツ美術史上最大の画家とされ、現在も研究が続けられています。

■デューラーの作品

デューラーは木版画や銅版画、祭壇画や肖像画など膨大な作品を残したことで知られており、国際ゴシック様式のもと制作しながらも、イタリアで制作した風景画や古典的モチーフの導入など、当時にはない新しい表現を模索した人物でした。

デューラーの作品は、皇帝マクシミリアン1世はもちろん、ルター派教会などからもひいきにされるようになり、西洋美術史にのこる偉大な人物となっていきました。そんなデューラーの作品とはどのようなものだったのでしょうか。

・《1500年の自画像》 1500年

本作品は1500年に制作された作品で、現在はアルテ・ピナコテークに所蔵されています。デューラーが29歳の誕生日を迎える直前に描かれたものです。

自画像というジャンルは、ルネサンス期に西洋絵画界隈で本格的に発展しました。デューラーが描いた自画像は、自画像の初期の例であるだけでなく、西洋美術の中で最も優れた自画像の一つでもあります。特に《1500年の自画像》は、デュラーが北方ルネサンスやヒューマニズム運動の盛んな中で、画家としてどのように自分自身を位置づけようとしていたかと深く結びついた、芸術的な意思表明としての作品でもありました。

・《東方三博士の礼拝》 1504年
(Public Domain /‘Adoration of the Magi’ by Albrecht Dürer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1504年に制作された作品で、現在はイタリアのウフィツィ美術館に所蔵されています。描かれているのは東方の三博士が星に導かれて幼子イエスのもとを訪れ、黄金と乳香、没薬の3つの贈り物をささげている場面です。

「全能の父なる神 天地の創造主」の存在を意味するターコイズが空の色に使われており、金、緑、赤の豊かさを引き立て、絵の中央に柔らかで贅沢な光の輝きを生み出しています。幼子イエスは、聖母マリア腕の中で東方の三博士からの贈り物を抱きしめています。一方で背景をよく見ると、ヘロデの騎兵たちが幼子イエスを殺そうと集結する姿が描かれています。

デュラーは動物や昆虫の絵画作品で有名になりましたが、この絵の細部には蝶や馬、鹿などの生き物が潜んでいます。また、石の隙間には特徴的な植物が描かれています。

・《アダムとエヴァ》 1507年
(Public Domain /‘Adam and Eve’ by Albrecht Dürer. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1507年に制作された作品で、現在はマドリッドのプラド美術館に所蔵されています。描かれているのは神が自らの姿に似せて地面の土から作った最初の男性アダムと、アダムの肋骨から作られた最初の女性エヴァであり、それぞれ禁断の実である善悪の知恵の実を手にしています。

デューラーは本作品で、自分にとって理想的な人間像を描きました。ドイツ絵画において初めて制作された原寸大の人物画です。ヴェネツィアからの帰国後すぐにニュルンベルクにて描かれたため、イタリア芸術からの影響が確認できます。2度目のイタリア旅行を経験したデューラーが得たものは、人間の身体を描くための新しいアプローチでした。

■おわりに

アルブレヒト・デューラーは神聖ローマ帝国のニュルンベルクに生まれた画家で、木版画や銅版画、祭壇画などさまざまなジャンルで傑作を残した人物です。当初は国際ゴシック様式にならった作品を制作していたものの、イタリア留学やヨーロッパ各地の遍歴を重ね、また国際都市ニュルンベルクにアトリエを構えていたこともあって、さまざまな影響を受けながら独自の表現を確立していきました。

デューラーはマクシミリアン1世や教会に気に入られる存在となり、徐々にドイツはもとよりヨーロッパにおいても名声を得る人物になっていきます。そんなデューラーの作品に影響を受けた後世の画家は多く、その後の美術史の転換点を作り上げた画家であるといっても過言ではないでしょう。

デューラーの作品はドイツやイタリアなどの美術館に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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