ロヒール・ファン・デル・ウェイデン:初期ネーデルラントを代表する画家

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンは1399年、あるいは1400年にブルゴーニュ領であったネーデルランドのトゥルネーに生まれました。キリスト教的な主題を用いた祭壇画と肖像画を描いたことで知られており、生涯にわたって国際的な名声を得ていた画家であったといわれています。そんなファン・デル・ウェイデンの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ロヒール・ファン・デル・ウェイデンとは

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンは1399年、あるいは1400年にブルゴーニュ領であったネーデルラントのトゥルネーに生まれました。父親のヘンリは刃物職人であったといわれています。ファン・デル・ウェイデンの修業時代に関する記録は第二次世界大戦で焼失したこともあり、ほとんど残っていません。そのためわずかな資料を基に研究が進められているものの、研究者によって見解は異なっています。

ただ、初期ネーデルラント絵画を代表する画家であるロベルト・カンピンの弟子であったことは分かっています。弟子入りしてから5年後には「ド・ラ・パステュール」という画家のマイスターの称号を得たこともあり、その画力は若いころから認められていたと考えられます。

1432年には独立し、ブリュッセルに移住したのち、各地で制作活動にあたり、徐々に初期ネーデルラントを代表する画家として認められるようになっていきます。その後1450年ごろにはイタリアに向かったとも言われていますが、現地でどのような影響を受けたのかははっきりしていません。

ファン・デル・ウェイデンは後進を育てる教育者としての実力もあったようで、ヒューホ・ヴァン・デル・フースやハンス・メムリンクといった後に活躍することになる画家を育てたことでも知られています。ファン・デル・ウェイデンの弟子となった画家たちの多くが師のスタイルを模範としたため、ウェイデンの技法はネーデルラント絵画の基礎となっていきました。

■ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの作品

ファン・デル・ウェイデンの作品は緻密な描写や鮮やかな色彩など、当時のネーデルラント絵画の特長をよく表しています。その写実性においては同時代のヤン・ファン・エイクには劣るものの、人物の表情や構成においては当代随一の表現力を示しており、晩年には曲線を多用することによって悲観的な表現を作り上げ、高い支持を得ました。そんなファン・デル・ウェイデンの作品とは、どのようなものだったのでしょうか。

・《聖母を描く聖ルカ》 1435年-1440年
(Public Domain /‘Saint Luke Drawing the Virgin’ by Rogier van der Weyden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1435年から1440年にかけて制作されたと考えられている作品で、現在はボストン美術館に所蔵されています。描かれているのは、聖ルカが聖母子の最初の肖像画を描いている場面です。このことから、聖ルカは画家の守護聖人になっています。

左側には、開かれたロッジアにある玉座にもたれ、幼子イエスに授乳している聖母が描かれています。天の女王としての将来の役割を想起させる玉座には、アダムとエバの彫刻が施されており、イエスとマリアが償ったとされる原罪を想起させる意味が込められています。右側には、聖ルカが敬虔にひざまずく姿が描かれています。彼の裏手にある扉からは、牛と本を見ることができますが、これは彼の伝統的なアトリビュートを意味しています。また、奥で城壁近くに立って風景を眺めている二人の人物は、マリアの両親である聖ヨアヒムと聖アンナであるとされています。

・《十字架降下》 1443年
(Public Domain /‘The Descent from the Cross’ by Rogier van der Weyden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1443年に制作された作品で、現在はスペインのプラド美術館に所蔵されています。もともとルーベン大聖堂に設置するために制作されたものと考えられており、依頼主であるルーヴェンの弓矢ギルドに配慮し、キリストの体がT字に配置されています。

それぞれの人物は、わずかに等身大以下の大きさで描かれており、茨の冠を被ったキリストは、みなぎる生命力はないものの、美しい体をしています。また、苦難の中で成長したはずのキリストの髭は、珍しく描かれていませんキリストの体を降ろしている三人の男のうち、老人はおそらく、ユダヤ人の支配者であったパリサイ人のニコデモで、若者は使用人、金の布を着ている人物は、おそらくアリマタヤのヨセフです。右端で手を組んでいるのはマグダラのマリアで、ヨセフの後ろにいる緑色の髭の男は、おそらくもう一人の使用人であるとされています。左側では、聖母は気を失い、キリストの死体と同じポーズで倒れています。彼女は福音主義者の聖ヨハネに支えられており、緑色の服を着た女性に助けられています。その後ろにいる女性は、クレオファのマリアであるとされています。

・《最後の審判の祭壇画》 1443年-1451年
(Public Domain /‘The Last Judgment’ by Rogier van der Weyden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1443年から1451年の間に制作されたものと考えられており、ブルゴーニュ公で宰相であった二コラ・ロランが依頼したものです。215cm×560cmのこの巨大な作品は、今でも同じ建物の中に設置されています。

1443年、依頼主であるロランは第三夫人のギゴーネ・ド・サランとともに、貧しい人々のための病院「ホスピス・ド・ボーヌ」を設立しました。当時、病気から回復するためには、純粋な精神が必要と考えられており、夫婦が病室に飾った本作品は、神からの恵みを受けていない者に何が起こるかを示しています。

・《ブラデリンの祭壇画》 1450年
(Public Domain /‘The Middelburg Altar’ by Rogier van der Weyden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1450年以降に制作されたと考えられている作品で、中央にイエスの誕生が描かれた三枚組の絵画です。画家としてのキャリアの終盤に描かれました。

中央の大きなパネルにあるイエスの誕生では、ベツレヘムの馬小屋にいる聖母子が獣や天使を従えています。馬小屋は伝統的な木造の小屋では描かれておらず、石の壁とアーチ型の窓、斜めの遠近法が用いられた古典的な柱と、茅葺きのロマネスク様式の建物になっています。

・《コロンバの祭壇画》 1455年頃
(Public Domain /‘Saint Columba Altarpiece Triptych’ by Rogier van der Weyden. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1455年頃に制作されたと考えられている作品で、現在はアルテ・ピナコテークに所蔵されています。ケルンの聖コロンバ教会のために描かれたこの作品は、受胎告知、東方三博士の礼拝、主の奉献の3つの場面が組み合わさって構成されています。

印象的な構図、重厚で貴族的な人物像、その細い体の繊細さは、当時の理想を反映しています。細部に至るまで緻密に描かれた数々の作品は、同時代の画家たちに大きな印象を与えました。特に、彼の東方三博士の礼拝はこの主題におけるの正統な描き方とみなされ、ケルンの画家だけでなく、ドイツやオランダの他の画家たちもこのテーマに取り組む際にはほとんど全員がロヒール・ファン・デル・ウェイデンからインスピレーションを得ていました。

■おわりに

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンはロベルト・カンピンに師事したのち、ブリュッセルに渡り、キリスト教を主題とした祭壇画を多く手掛けた画家です。初期ネーデルラント絵画でよくみられるような色鮮やかな色彩と写実性が見られるものの、同時代の画家であるヤン・ファン・エイクのような緻密さはうかがえません。しかし全体的な構図や表現は傑出したファン・デル・ウェイデンの実力を示すものといえるでしょう。

ファン・デル・ウェイデンの作品は実際に帰属が判明しているものは3点と数少なく、今後の研究が待たれる画家のひとりとなっています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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