ブロンズィーノ:官能的な人体描写を得意としたマニエリスムの画家

ブロンズィーノは1503年にイタリア、フィレンツェに生まれた画家です。本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリといい、メディチ家出身のフィレンツェ公コジモ1世の宮廷画家として活躍したことで知られています。《愛の勝利の寓意》をはじめとしたマニエリスムの作品を残したことで知られており、その知的で技巧的に洗練された表現はのちの画家に多大な影響を与えました。そんなブロンズィーノの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ブロンズィーノとは

ブロンズィーノは1503年フィレンツェに生まれました。本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリといい、ブロンズィーノは青銅色の髪の毛をしていたことにより、イタリア語で青銅を示す「ブロンゾ」に由来するあだ名であると考えられています。

生家は貧しい肉屋であったものの、徐々に芸術の才覚を示すようになり、最初はラファエリーノ・デル・ガルボの弟子となり、その後1515年ごろからポントルモの工房で働くようになります。メディチ家の庇護をうけて多数の依頼を受けていたポントルモの工房に出入りしていたことで、ブロンズィーノ自身も修道院をはじめとした内部装飾の仕事を担うようになっていました。

1523年から1525年にかけてはガッルッツォのカルトゥジオ会修道院の回廊装飾、またサンタ・フェリチタ教会のカッポーニ家礼拝堂の装飾を師であるポントルモとともに手掛けており、礼拝堂の天井にある円形パネルの内ふたつはブロンズィーノ作であるといわれています。

(Public Domain /‘Portrait of Ugolino Martelli’ by Agnolo Bronzino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

その後1531年にはデッラ・ローヴェレ家の下で働くこととなり、1530年から45年にかけては《ウゴリーノ・マルテッリの肖像画》や《パンチャティキ夫妻の肖像画》といった作品を手掛けており、師から離れたことにより独自の表現を確立するに至っています。

1539年にはポントルモの頼みでフィレンツェに戻り、ポッジョ・ア・カイアーノの内部装飾を手掛けることとなります。師であるポントルモが大貴族メディチ家をパトロンとしていたこともあって、ブロンズィーノはフィレンツェ公コジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの結婚祝祭のための装飾を手掛けることとなり、それをきっかけとしてブロンズィーノはメディチ家の宮廷画家として活動することになります。その後はメディチ家関連の仕事を多く手掛けることとなり、現在のヴェッキオ宮殿のドゥカーレ宮殿にある公妃エレオノーラ・ディ・トレドの私用礼拝堂の内部装飾を行い、公爵一家の一連の肖像画を制作しました。また当時メディチ家は綴れ織り工場を設立しており、ブロンズィーノはその工場のための下図を制作しています。

そうして精力的に制作活動を行っていたブロンズィーノでしたが、1572年には弟子のアレッサンドロ・アローリの家で69歳の生涯を閉じることとなります。その亡骸はサン・クリストフォロ・デイ・アディマリ教会に葬られました。

■ブロンズィーノの作品

ブロンズィーノは師であるポントルモの影響もあって、メディチ家の宮廷画家として数々の作品を残しました。はじめて関わりをもったのは1539年のコジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの結婚祝祭の時であり、その表現はすぐにメディチ家の人々の気に入るところになったといわれています。

メディチ家の宮廷画家であったブロンズィーノの作品は一族の肖像画が多く、特にエレオノーラ・ディ・トレドやその息子ジョヴァンニを描いた肖像画はその豪華なドレスが研究の対象となることもありました。

またメディチ家所有の宮殿や礼拝堂などに壮麗な宗教画を残しており、そうした作品にはブロンズィーノが傾倒していたといわれるラファエロやミケランジェロの影響が色濃くみられます。またブロンズィーノの宗教画の大きな特徴としてあげられるのは宗教画としてはあまりに強烈な官能美であり、《愛の勝利の寓意》の中でも見るものを惹き付けるようなエロティックな表現が展開されています。こうしたブロンズィーノの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《愛の勝利の寓意》 1545年頃
(Public Domain /‘Venus, Cupid, Folly and Time’ by Agnolo Bronzino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1545年頃に制作されたと考えられている作品で、現在はロンドン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されています。ブロンズィーノの代表作であるとともに、最も複雑で謎に満ちた絵画の一つです。

作中に見られる曖昧なイメージと人工的なデザインは、当時のヨーロッパの宮廷や都市部で制作されていた、高度に洗練され、様式化された芸術の特徴です。盛期ルネサンスの芸術に見られる調和、プロポーション、自然主義の理想に反して、ブロンズィーノらの描いたマニエリスムの芸術は、知的に洗練された表現、不自然な優美さ、人工的で不安定なものを強調していました。

生身のもの、無生物のものを問わず、あらゆるディテールが明るい白色の照明に照らされ、劇的で人工的な高揚感を醸し出しています。また、この作品はレリーフ彫刻のような構造と質を持っており、複数の人物が描かれ、奥行きが少なく、背景がないため、閉所恐怖症のような感覚を与えます。宝石のような透明感のある色と、ラピスラズリから作られたウルトラマリンブルーをふんだんに使用した本作品は、ヴィーナスの手の中の金の玉のように完璧で、冷たく、硬い高級品のように見えます。

・《十字架降下》 1540年-1545年ごろ
(Public Domain /‘Deposition of Christ’ by Agnolo Bronzino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1540年から1545年にかけて制作された作品で、現在はブザンソン美術館に所蔵されています。描かれているのは、キリストが母マリアと使徒ヨハネの腕の中に降ろされ、マグダラのマリアが彼の足を抱きしめている場面です。

中央の手前には、母親のマリアの腕に抱かれているイエスの体が描かれています。使徒ヨハネは背中を支えている様子が描かれていますが、ブロンズィーノの師であるポントルモが描いた十字架降下にて、キリストの体を支えている若者をモデルにしています。マグダラのマリアは右にひざまずいていますが、イコンとして描かれる際の彼女の軟膏の壺は、右端に描かれています。

・《エレオノーラ・ディ・トレドと息子の肖像》 1544年-1545年
(Public Domain /‘Portrait of Eleanor of Toledo with her son Giovanni de’ Medici’ by Agnolo Bronzino. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1544年から1545年にかけて制作された作品で、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。描かれているのはナポリ総督の娘でフィレンツェ公コジモ1世の妻となったエレオノーラ・ディ・トレドとその息子ジョヴァンニです。エレオノーラは生涯にわたってコジモの伴侶を務め、夫が病気の時には摂政を務めたこともあります。このことから、彼女は「ファースト・レディ」としての役割を果たした近代初の女性とされています。

この絵には、宝石をちりばめたドレスを着た理想的なエレオノーラが描かれており、キャンバスの中心に描かれています。彼女の右には小さな息子ジョヴァンニがいますが、彼も高価な服を着ています。ジョヴァンニの微笑みと輝く顔立ちは、彼が健康であること、そして彼が順調に大人になっていくことを物語っています。二人は深い青の背景の前に描かれており、まるでエレオノーラが後光を放っているかのように見えます。これは聖母子像のような雰囲気を醸し出しており、公爵夫人とその息子の重要性と神聖性を強調しています。

■おわりに

ブロンズィーノはマニエリスムの画家としてフィレンツェを中心に活躍した人物で、独特の色彩や官能的な表現から大貴族メディチ家に気に入られることとなり、肖像画や礼拝堂の祭壇画など多数の作品を残しました。現在ブロンズィーノの作品はフィレンツェの美術館を中心に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

関連記事一覧