Kok Thlok:カンボジアの大衆演劇を後世に

皆さんは、「劇場(シアター)」という言葉から、どのような場所をイメージするでしょうか。数千人を収容できる大規模で華やかなホールでしょうか?あるいは、普段より少しおしゃれして向かうような場所を思い描きますか?

古くから、カンボジアの一般民衆にとっての劇場とは、寺院の敷地内などに設置されたステージのことを指しました。祝い事の際などに周辺の村の人達が集まる劇場は、一部の貴族のみが芸術を嗜むところではなく、誰もが立ち入れる場所でした。1970年代以降の内戦によって芸術が破壊された後、かつて村で盛大に演じられていた大衆芸能を保存・継承していこうと活動しているのが、今回ご紹介するKok Thlok。


“カンボジアの劇場”を意味する「クメールシアター(Khmer Theater)」とは、一体どのような世界であり、どのような楽しみ方があるのでしょうか。Kok Thlokによるショーの様子をお伝えするとともに、オペレーションディレクターであるKompheak Phoeung氏(以下、Phoeung氏)のお話もご紹介します。

アーティストをサポートすることは、文化遺産を守ること

Kok Thlok は、カンボジア系フランス人のDeth Thach氏によって設立された協会です。

設立のきっかけとなったのは、かつてプノンペンの中心部に存在した国立劇場(Preah Suramit National Theater)の火災被害でした。国立劇場は、カンボジアを代表する建築家Vann Molyvannの設計によって、1968年に建てられた近代建築。

写真:筆者提供
※Preah Suramit National Theaterのミニチュア模型(展示「Learning From the Past」(2019年 The Vann Molyvann Project)より)

建物自体の歴史的価値もさることながら、クメール・ルージュ政権前には古典舞踊、演劇、演奏などが盛んに公演され、カンボジアの文化発信源として大きな役割を果たしていました。内戦中も建物は綺麗に残りましたが、1994年の改装工事中に発生した火災によって観客席が大破。

「私達は、半壊した劇場内に暮らし続けていたアーティスト達と出会い、衝撃を受けました。彼らは公演の場を失って生活を脅かされながらも、劇場でトレーニングを続け、伝統芸能の根を絶やさないように孤軍奮闘していたのです。」

屋根を失った国立劇場内で活動を続けていた劇団メンバー達の姿は、映画『Les Artistes du Théâtre Brûlé』(2005年)に描かれている通りです。

多くの芸術家達が命を落としたクメール・ルージュ時代を生き抜いた彼らは、戦時中のトラウマや生活難を抱えながらも、残されたアーティストとしての使命感に駆られるように、劇場を守り抜こうとしていました。

「Thachは、少しでも劇団の力になりたいと思ったことから、2006年に協会設立を決意しました。アーティストに対する活動支援なしに、カンボジアが誇る芸能を保存していくことはできないからです。」

以来、Kok Thlok では、カンボジアの一般の人々に伝統芸能を伝えるため、数十名のアーティスト達とともに地方の村々で巡業公演をしてきました。
2019年からは、プノンペンの国立図書館敷地内にある野外劇場でも毎週ショーを開催。
ここからは、24個あるとされているクメールシアター様式のうち、筆者が実際に鑑賞した3つの様式をご紹介します。

繊細な人形達が描き出す人間愛と冒険:小影絵芝居「スバエク・トーイ」

写真:筆者提供

最初にご紹介するのは、カンボジアの大衆芸能の代表格である影絵芝居「スバエク(Sbaek)」。

元来“皮”を意味する言葉である「スバエク」は、なめした牛の皮からできた人形で繰り広げられる芝居のことを指します。
上演は辺りが暗くなってから。
裏手に明かりを灯したスクリーンに映し出される人形のシルエットは、それ自体が芸術的です。

写真:筆者提供

使用される人形の大きさや彩色有無などによって様々な形態がありますが、“小さい”を意味する「トーイ」という言葉がついた「スバエク・トーイ(Sbaek Touch)」は、小さい影絵芝居のこと。
約2m×1.5mと小ぶりなスクリーンを観客の前に設置して上演します。
手足の関節が動く人形を巧みに操るのは、スクリーン裏に控えた役者達。
彼らの会話はアドリブを含んだ軽快なもので、会場を沸かせてくれます。

さらに、「スバエク・トーイ」で題材とされるストーリーは、よくある人間模様に冒険や戦闘の要素を織り交ぜることで、親しみとスリルの両方を感じることができるものになっています。

筆者が鑑賞した1作品目は、2人の水牛使いが暇つぶしのために水牛を闘わせる話。
友情や闘争心といった、誰もが持つ身近な心情が描かれます。

写真:筆者提供

2作品目は、2人の妻を守りながら危険な森を越え、両親の家に向かう勇敢な男の話。

写真:筆者提供

本物の人間さながらに生き生きと演じられる人形が、目と耳を存分に楽しませてくれました。

革細工の美しさと壮大なストーリーに酔いしれたい:大影絵芝居「スバエク・トム」

「スバエク」に“大きい”を意味する言葉である「トム」がついた「スバエク・トム(Sbaek Thom)」は、大きい影絵芝居。

ユネスコの無形文化遺産にも登録されているクメールシアター様式の一つであり、芝居はもちろん、人形の芸術的価値も世界的に評価されています。

写真:筆者提供

圧倒的な迫力を感じさせるのは、約12m×4mの大きなスクリーンに映し出される影絵のみにあらず。

人形操者の姿が見えなかった「スバエク・トーイ」とは異なり、「スバエク・トム」では役者も一緒に舞台に上がり、人形とともに動くのが斬新だと感じられるかもしれません。
大きな牛の皮から彫り出される人形には、人物や動物の姿と一緒に背景の模様が描き出されています。
人形の関節は動かない代わりに、役者の動きとナレーターによる抑揚のある語りが躍動感を演出するのです。

「スバエク・トーイ」に比べると、演じられる物語のスケールも大きなもの。
古代インドの長編叙事詩として有名な「ラーマーヤナ物語」のカンボジア版である、「リアムケー物語」の一部が上演されます。

写真:筆者提供

「魔王に妻を誘拐された王子が魔物の世界に戦いを挑む物語ですが、登場人物がより一層人間味に溢れていることが特徴的です。『ラーマーヤナ物語』の主人公であるラーマ王子はヴィシュヌ神の化身とされていますが、『リアムケー物語』の主人公は違います。最初は化身なのですが、過ちを犯すことにより、最後にはただの人になってしまうのです。」

とPhoeung氏。
また、カンボジアの大衆演劇の大きな特徴として、文書ではなく口承で受け継がれてきたという点があります。
語り継がれる中で物語がアレンジされていくため、同じ「リアムケー物語」でも、異なるバージョンが複数存在するのが面白い点といえるでしょう。

笑いあり涙ありのエンターテインメント:ミュージカルコメディー「イーケー」

「イーケー(Yike)」は、役者の演技と音楽・歌によって繰り広げられるカンボジア風ミュージカルコメディーです。
筆者が鑑賞した演目は、神の世界と人間界を繋ぐストーリー「Tep Sodachan」。
幕が開けると、登場人物の2人がおどけながら漫談のようなものを繰り広げつつ、観客をショーの世界へといざないます。

写真:筆者提供

本編で登場するのは、病気のために借金返済ができなくなってしまった老女。
金を借りた富豪に責められ、戒めを受けています。

写真:筆者提供

涙ながらに許しを請うものの、許されず、女性は他界。
残された息子が母の代わりに下僕として働き、借金の返済をすることを約束します。

そこに現れたのが美女Tep Sodachan。
神のもとに生まれた7人娘の末っ子ですが、人間界の花を許可なく摘んでしまったことへの罰として、父である神から人間界に送られてしまいます。
彼女は下僕の男性と結婚し、富豪の下で召使いとして働き、罪を償うことになりました。

写真:筆者提供

富豪から与えられたミッションも、天から舞い降りた姉達の助けで難なくクリアしたTep Sodachan。

父からは天に戻るように言われますが、人間界で子供を産んで生活基盤を築いた彼女自身は、戻りたくなくなってしまいます。
神界と人間界のルールの狭間で揺れる心情を描いたストーリーもさることながら、役者達が喜怒哀楽豊かに演じ、歌い上げるシーンは、まさにドラマチック。
民俗楽器の生演奏も舞台を盛り上げます。

写真:筆者提供

漫談、演劇、音楽、歌、ダンスと様々な要素が織り交ぜられており、見どころ満載のミュージカルコメディーが「イーケー」です。

伝統文化の継承・発展に貢献する、観客と演者を支える仕組み

2019年はプノンペンを中心に公演を行なっているKok Thlokですが、今後はどのように展開していくのでしょうか。

「一番に目指すのは、カンボジアの人々が自国の文化遺産の価値を認識し、継承していけるようになることです。そのために、地方の村での公演は今後も続けていきたいと考えています。国の文化は自国の人が守らなければ、誰が守るのでしょう?」

と、Phoeung氏。

プノンペンで年間家族パス($30)を導入したのも、こうした想いからだそう。
パスが1枚あれば、家族全員で年間何度でも、様々な演目のショーを観ることができます。

「一般の人々にシアターの価値を感じてもらうためには、まずは親世代が子供達を連れてこられるような仕組みを作らなければいけないと考えました。親が伝統文化の価値を認めていなければ、若い世代が継承していけるとは思えません。」

なお、年間家族パスは、国籍問わず同じ金額で購入可能。
外国人の鑑賞も大歓迎だといいます。

「多くの方々に年間パスを購入いただくことができたら、学生には無料でショーを観てもらえるようにしたいのです。大学などとも連携し、若者が伝統文化に触れる機会を数多く作っていきたいですね。」

さらに、Kok Thlokが掲げるもう一つの重要なミッション。
それは、クメールシアターに関わるアーティストをサポートしていくこと。

写真:筆者提供

「協会設立時の動機でもあったように、アーティストに適正な対価を支払い、活動をサポートすることが非常に重要なミッションです。アーティストなしでは、クメールシアターを継承し、新たな芸術を創造していくことなどできないからです。」

劇場への一歩からはじまるクメールシアターの進歩:

カンボジア芸術の真髄が凝縮されたクメールシアター。
間違いなく、後世に残していくべき重要な文化遺産であるといえます。

ところが、内戦後のカンボジアでは、文化・芸術的なものから縁遠い世界に生きている人々が少なくありません。
どのような世界にも、内部にいる人にはなかなか気づけない価値というものがあるものです。
クメールシアターに関しても、外国人が鑑賞して純粋な感想をシェアすることが、現地の人々が自国の文化に目を向けるきっかけになるのではないでしょうか。

伝統は、様々な立場の人々の関与で守られ、発展していくもの。
あなたも、クメールシアターの世界をのぞいてみませんか?

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■Kok Thlok

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※直近で開催されるショーの詳細告知あり

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※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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