ミケランジェロ・ブオナローティ:盛期ルネサンスを代表する芸術家

ミケランジェロ・ブオナローティは1475年にフィレンツェのカプレーゼに生まれた芸術家です。彫刻や絵画のみならず、建築や詩においても多数の名作を残し、特にシスティーナ礼拝堂の天井画制作においては並ぶ者はいないと評されるほどの傑作を生みだしました。そんなミケランジェロの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ミケランジェロ・ブオナローティとは

ミケランジェロ・ブオナローティは1475年3月6日フィレンツェのカプレーゼに生まれました。ミケランジェロの一族は銀行業を営んでいたものの、父親のルドヴィーコ・ディ・レオナルド・ディ・ブオナローティ・シモーニの代で銀行経営に失敗しており、当時は共和国政府の臨時職員であったことがわかっています。

父ルドヴィゴは息子に学問を学ばせようと人文主義者フランチェスコ・ダ・ウルビーノのもとに送り出しますが、ミケランジェロは学問に興味を示すことはなく、芸術家と交流し、教会の装飾絵画を模写することに夢中になっていました。

そうして芸術への関心を深めていったミケランジェロは13歳の時にドメニコ・ギルランダイオに弟子入り。このころから高い才能を発揮しており、ミケランジェロは弟子入りから1年にしてギルランダイオに一人前の画家と認められます。その才能はフィレンツェ中に広まることとなり、フィレンツェの最高権力者であったメディチ家の当主ロレンツィオ・デ・メディチがパトロンとなるほどでした。

その後ロレンツィオが死去したことや、フランス軍によるイタリア侵攻やサヴォナローラによる排斥運動でメディチ家が追放されたことにより、ミケランジェロもフィレンツェを去り、ヴェネツィア、そしてボローニャに居を移します。その後政変は落ち着いたものの、フィレンツェにおけるメディチ家不在は続いており、フィレンツェ以外のメディチ家からの依頼を受けるようになっていきます。

そうした中で転機となったのは枢機卿ラファエーレ・レアーリオからローマに招かれたことでした。1497年には教皇庁のフランス大使から《ピエタ》制作の依頼を受けます。《ピエタ》はミケランジェロの代表作であることはもちろん、西洋美術史の歴史に残る大作であり、芸術家列伝を著したジョルジョ・ヴァザーリも「間違いなく奇跡といえる彫刻で、単なる大理石の塊から切り出されたとは到底思えない、あたかも実物を目の前にしているかのような完璧な作品」と称するほどでした。

その後1505年に新しく選出されたローマ教皇ユリウス2世の依頼でシスティーナ礼拝堂の壁画制作を依頼されます。当初ミケランジェロは12使徒だけを描くのみでしたが、その計画を破棄し、旧約聖書「創世記」のエピソードをもとに壮大な作品を制作し、この作品をもってミケランジェロは当代随一の芸術家としての地位を確固としたものにしていきました。

その後も《最後の審判》をはじめとした壮大な作品を描くなど、精力的な制作活動を展開していましたが、1564年にミケランジェロは88歳で死去。その遺体はローマからフィレンツェに運ばれ、サンタ・クローチェ聖堂に埋葬されました。

■ミケランジェロ・ブオナローティの作品

ミケランジェロはレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロと並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりであり、絵画はもちろん彫刻家としても他に類を見ないほどの作品を残しています。また晩年にはサン・ピエトロ大聖堂の主任建築士としての仕事にもあたっており、まさにルネサンスを代表する「万能の天才」といえるでしょう。そんなミケランジェロの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します

・《ピエタ》 1498年-1500年

本作品は1498年から1500年にかけて制作された作品で、現在もサン・ピエトロ大聖堂に設置されています。「ピエタ」とは瀕死のキリストを抱く聖母マリアのことであり、15世紀後半の北欧美術で流行した主題でした。

ミケランジェロは等身大での制作を依頼されたにもかかわらず、よく観察してみると、イエスは聖母マリアよりもわずかに小さいことがわかります。これは、マリアが息子の遺体を容易に抱くことができるようにするために構成されたものですが、一方でイエスの幼少期を想起させるためのものとも解釈されています。これらの大きさの違いは、マリアのまとう豊かなドレープによってカモフラージュされています。

・《ダヴィデ像》 1504年

本作品は1504年に制作された作品で、現在はアカデミア美術館に所蔵されています。主題となったダヴィデは伝統的に、敵対していたゴリアテに勝利した後の様子が描かれてきていました。しかし、ミケランジェロは勝利者としての彼を描くのではなく、本作品においては戦いの直前のダヴィデを描いています。

作品の大きさを考えると、大胆なポーズのほとんどはバランスを崩してしまう危険性があったため、ダヴィデはとてもシンプルなポーズをとっています。いずれにしても、大理石という無機質な塊からこのようにとても気高く生き生きとした人間の姿を抽出したことは、並々ならぬ快挙でした。

・《アダムの創造》 1508年-1512年

本作品は1508年から1512年にかけて制作された作品で、バチカンのシスティーナ礼拝堂に設置されています。描かれているのは神が最初の人間アダムに命を与えている場面であり、神とアダムの手が触れ合う部分は、数え切れないほどの模倣やパロディのモデルとされてきました。

メインとなる登場人物は、右側に描かれた神、左側に描かれたアダムです。神は、カーテン生地や他の人物に囲まれた朧げな空間の中、翼を持たずに浮かんでいます。白髪と長いひげを生やした、年配でありながら筋肉質な男性として描かれており、これは、古代末期にまで遡る西洋で作られた神のイメージとはかけ離れたものです。また、神と人間が近づきやすい状態で描かれているため、人間と極めて親密な神のイメージが描かれています。

・《最後の審判》 1536年-1541年

本作品は1536年から1541年に制作された作品で、バチカンのシスティーナ礼拝堂に設置されています。描かれているのは、死者に最後の審判を下す前のキリストの支配的な姿です。穏やかで威厳のある彼の仕草は、全ての人に注意を喚起すると同時に、周囲の騒動を和らげているようにも見えます。

全体の構図は、流れるように円を描いています。キリストが裁きを下す傍ら、救われた者は墓から立ち上がる一方で、地獄堕ちが決まった者は地獄に突き落とされています。また、フレスコ画の底には、ギリシア神話上の人物であるカローンが描かれています。ギリシャとローマの神話では、彼は冥界に魂を運んでいましたが、本作品では、悪霊のようなキャラクターで魂を地獄に運んでいます。

■おわりに

ミケランジェロは盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりといわれていますが、その業績から盛期ルネサンス最大の巨匠であると考える専門家も多い人物です。彫刻作品《ピエタ》や《ダヴィデ像》、壁画作品であるシスティーナ礼拝堂壁画などミケランジェロの才能はひとつの芸術領域にとどまることなく、傑作を生み出し続け、その作品は後世の芸術家たちに多大な影響を与えました。ミケランジェロがこの世に生まれることがなかったら、ルネサンス文化は大きく異なっていたかもしれません。

ミケランジェロの作品はローマ、フィレンツェを中心としたイタリア各地の教会や聖堂、美術館などに所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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