ラファエロ・サンティ:盛期ルネサンスの三大巨匠のひとり

ラファエロ・サンティは1483年ウルビーノに生まれた芸術家です。盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりとして《アテナイの学堂》や《システィーナの聖母》といった傑作を制作し、のちの芸術家たちに多大な影響を与えました。そんなラファエロの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■ラファエロ・サンティとは

ラファエロは1483年中央イタリアの都市国家ウルビーノ公国に生まれました。父親のジョヴァンニ・サンティはウルビーノ公の宮廷画家として活躍した人物で、当時のウルビーノ公フェデリーコ3世は芸術家の支援者として有名であったため、ウルビーノの宮廷は高い評価を受けていました。

フェデリーコ3世はラファエロが誕生する1年前に亡くなったものの、その後を継いだ息子のグイドバルドは芸術が盛んだったマントヴァの君主フランチェスコ2世の妹エリザベッタ・ゴンザーガと結婚したこともあって、ウルビーノは高い文化水準を保ち続けました。そんな中で育ったラファエロは洗練された教養と芸術の素養を身に付けるようになっていきました。

ラファエロの修業時代については資料が少なく、明らかになっている点が少ないものの、芸術家列伝を著したジョルジョ・ヴァザーリによるとウンブリア派の画家ペルジーノの工房に弟子入りしたといわれています。しかしこの記述から逆算すると、ラファエロは弟子入りした際8歳以下であったということになり、あまりに幼すぎるとして疑問視する研究者もいます。

ただ1500年ごろにはペルジーノの下で助手の立場にあったという点に関しては専門家の中でも意見が一致しており、ペルージャとフィレンツェで大規模な工房を運営していたペルジーノの右腕として働きながら、画家としての実力を身に付けていったものと考えられます。

1501年になるとラファエロは徒弟期間を終え、親方として登録されることになります。礼拝堂や各地の教会から依頼を受けるようになり、その後ローマに落ち着くまで北イタリアのさまざまな主要都市で依頼を受けては制作を行う生活を送っていました。また1500年から1506年にかけてフィレンツェに戻っていたレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けたのもこの頃であり、レオナルドの作風から影響を受けてより生き生きとした人物像を描くようになっていきます。

1508年ごろになるとラファエロはローマに居を移し、その後亡くなるまでローマで過ごすことになります。ラファエロがローマに向かうきっかけとなったのは、教皇ユリウス2世からヴァチカン宮殿の教皇専用図書室のフレスコ壁画の制作依頼をうけたことでした。この際《アテナイの学堂》や《聖体の論議》といったその後代表作となる作品を制作し、ラファエロの名声は確固としたものになっていきました。

またこうした壁画制作以外にも《ユリウス2世の肖像》や《レオ10世の肖像》といった教皇や王族、貴族の肖像画を制作しており、こうした作品は今もローマを中心としたイタリア各地の美術館に所蔵されています。

またヴァザーリによると、ラファエロは50人近くに及ぶ弟子や助手が働く工房を運営しており、ラファエロの工房からは弟子ジュリオ・ロマーノをはじめとしてのちに著名になる画家が巣立っていきました。教育者としても有能である一方、建築やドローイングにおいても数々の傑作を残すなど、まさにルネサンス時代の「万能の天才」を体現した人物であったといえるでしょう。

そうして数々の傑作を生みだし、ルネサンス文化に大きな貢献をしてきたラファエロでしたが、1520年4月6日にはわずか37歳の生涯を閉じることになってしまいます。直接的な死因は分かっていないものの、15日間闘病したのちに亡くなり、その遺体はローマのパンテオンに埋葬されました。ラファエロの葬儀は多くの弔問客が訪れていたことがわかっており、当時どれほど重視されていた芸術家だったかがわかります。

■ラファエロ・サンティの作品

ラファエロの作品の特長は実に明確でわかりやすい構成、そしてルネサンス時代らしい人間性を重視した表現であり、その作品は時代を象徴する作品として当時から称賛され続けました。その穏やかで調和に満ちた画風はその後弟子たちに引き継がれ、ヨーロッパ芸術における模範として引き継がれていくこととなります。そんなラファエロの作品とはどのようなものだったのでしょうか。主要な作品を中心にご紹介します。

・《聖母の結婚》 1504年
(Public Domain /‘The Marriage of the Virgin’ by Raphael. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1504年に制作された作品で、現在はミラノのブレラ美術館に所蔵されています。サン・フランチェスコ教会から依頼された作品で、カン美術館に所蔵されているペルジーノの同じ主題の祭壇画が参考にされています。構成と図像学にインスピレーションを得て、信じられないほど完璧なこの作品を完成させました。

ラファエロは遠近法を用いた表現を得意にしており、本作品はそのことを顕著に表しています。背景に描かれている丸みを帯びた堂々としたイタリアの寺院の壁には扉が描かれており、寺院が開かれていることがわかります。開かれた扉の一つからは、鮮やかな青空と緑豊かな丘陵地帯を垣間見ることができます。広場にはルネサンス期の典型的な服装をした様々な人々が行き交っていますが、彼らが聖母の結婚について興味を示していないのが面白いところです。

手前には結婚の儀式が描かれており、新郎新婦の手を握る司祭が結婚指輪を交換する準備をしている様子が見られます。聖母マリアの後ろには、おそらく聖母マリアの親族と思われる女性たちが立っており、左端に描かれている女性はこちらに目線を向けています。

一方、聖ヨセフの背後に連なる男性たちは、マリアの夫に立候補した男性たちです。彼らの全員が枝を持っていますが、花が咲いているのは実際に夫となる聖ヨセフのものだけです。

・《アテナイの学堂》 1509年
(Public Domain /‘School of Athens’ by Raphael. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1509年に制作された作品で、ヴァチカン宮殿の署名の間に設置されています。描かれているのは古代の偉大な数学者、哲学者、科学者たちが集まり、それぞれの考えを共有し、お互いに学び合っている様子です。描かれている人物はそれぞれ異なる時代に生きていましたが、この作品では一つの屋根の下に集まっています。

中央にいる二人の哲学者、アリストテレスとプラトンは、西洋哲学において非常に重要な存在です。彼らの哲学は、さまざまな形でキリスト教に取り入れられました。左下で本を読んでいるピタゴラスは、世界が数学的な法則に従っているという思想を持つ数学者・哲学者です。右下で背を向けながら地球の球体を持っているのはプトレマイオスで、その隣には天球を持っているザラスシュトラがいます。ラファエロは、プトレマイオスの隣に立つ人物に自画像を描いており、こちらに視線を向けています。

■おわりに

ラファエロ・サンティは《アテナイの学堂》や《聖母の結婚》にみられるように実にルネサンス時代らしい温和で調和のとれた美しい作品を残した芸術家です。37歳という若さでこの世を去ることになってしまうものの、ラファエロの作風は弟子たちに受け継がれヨーロッパのその後の芸術家に多大な影響を与えました。

もしラファエロがもっと長生きしていたら、どのような作品を残していたのでしょうか。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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