サンドロ・ボッティチェリ:フィレンツェ派を代表するイタリア・ルネサンスの巨匠

サンドロ・ボッティチェリは1445年ごろ、イタリアのフィレンツェに生まれた画家です。《プリマヴェーラ》や《ヴィーナスの誕生》といったイタリア・ルネサンスの傑作を描いたことで知られており、一度忘れ去られた画家となったものの、19世紀イギリスのラファエル前派に注目されたことで再評価されるようになり、現在に至っています。そんなボッティチェリの生涯と作品とはどのようなものだったのでしょうか。

■サンドロ・ボッティチェリとは

サンドロ・ボッティチェリは1445年、フィレンツェのヌォーヴァ通りに生まれました。父マリアーノ・ディ・ヴァンニ・フィリペーピは皮なめし職人であり、サント・スピリト地区の近くに工房を構えていました。また兄のアントニオも金細工師として仕事をしており、父親や兄から芸術家としての基礎を学んだ可能性は高いといえるでしょう。

そうして家族の下で学んでいたボッティチェリですが、1464年から1467年まではフィリッポ・リッピの工房で修業を積んでいたことが分かっています。リッピはフラ・アンジェリコとともに15世紀前半のフィレンツェ派を代表する画家として知られており、多数の弟子を取っては大聖堂や教会に設置する作品をてがけていました。ボッティチェリもそうした工房での仕事に携わっていたことが分かっており、特にプラート大聖堂礼拝堂の《聖ステファノと洗礼者聖ヨハネ伝》の仕事に携わったと考えられています。

リッピの工房を出たボッティチェリはまずスポレートに向かい、アントニオ・デル・ポッライオーロやアンドレア・デル・ヴェッロッキオの工房に出入りすることとなります。リッピの工房で修業中だった折にはリッピの影響を色濃く受けていたものの、ポッライオーノやヴェロッキオの工房に出入りするうちにより写実的な人体表現を用いるようになっていきます。こうした表現の移行はまさにゴシック様式からルネサンス様式に移行する際の特徴であり、ボッティチェリはその過度期にあった画家といえるでしょう。

1469年の土地台帳によると、このころボッティチェリは独立して仕事をしており、また自ら家も所有していたことが分かっています。1470年に師であるフィリッポ・リッピが亡くなると、ボッティチェリは自らの工房を構えるようになり、公的な注文を受けるようになっていきます。そのなかにはフィレンツェの商業裁判所のために制作した《剛毅》があり、初期ルネサンスを感じさせる表現は高い評価を受けるものとなりました。

1472年になるとフィレンツェの画家組合である、聖ルカ組合に登録します。またこのころ友人であり、師フィリッポ・リッピの息子であった15歳のフィリッピーノ・リッピにも組合に登録するように薦めており、二人は生涯親友となり、協力しながら作品制作に励むようになっていきます。1481年になるとローマに招かれ、システィーナ礼拝堂の壁画制作に着手。《プリマヴェーラ》や《ヴィーナスの誕生》といった異教の神々をモデルとした作品を制作し、好評を得ます。

晩年になるとサヴォナローラの影響もあり、その宗教的な影響を受けた極めて硬質的な表現の作品を制作するものの、サヴォナローラが失脚したことによりボッティチェリの人気も急落してしまいます。ついには画業で身を立てられなくなり、最晩年は孤独のなか65歳で亡くなったといわれています。

■サンドロ・ボッティチェリの作品

ボッティチェリの作品は明確な輪郭線と古典を感じさせる線描画法を用いたことで知られており、その優美な表現は当時のフィレンツェの絶対的権力者メディチ家に気に入られることとなり、一躍ルネサンスの寵児としてもてはやされることとなりました。ボッティチェリの作品は死後400年にわたって忘れ去られていたものの、19世紀イギリスにおいてラファエル前派に注目され、その優美な表現は近代、そして現代に受け継がれることとなります。そんなボッティチェリの作品とはどのようなものだったのでしょうか。

・《東方三博士の礼拝》 1475年頃
(Public Domain /‘Adoration of the Magi’ by Alessandro di Mariano di Vanni Filipepi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1475年頃に制作された作品で、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。描かれているのは、星に導かれ出会った幼子イエスに、東方の三博士が礼拝する姿です。三博士がそれぞれ、依頼主であるメディチ家の人物に置き換えられています。

聖母の前に跪く人物はコジモ・デ・メディチ、赤いマントをつけて中央で跪く人物はピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ、もう一人の白い衣服を纏った人物はジョヴァンニ・ディ・ビッチとして描かれています。しかし、この作品が製作された頃にはすでに彼らは亡くなっており、神聖化するような意味合いを込められていることが伺えます。

・《ラ・プリマヴェーラ》 1482年頃
(Public Domain /‘Primavera’ by Alessandro di Mariano di Vanni Filipepi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1482年頃に制作された作品で、現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。メディチ家によって新婚の花嫁への贈り物として製作された作品で、その古典的な象徴性、精巧な構図、細部への繊細なアプローチで見る者を魅了し続けています。ボッティチェリは、200種類近くの花を含む約500種の植物をこの作品に取り入れました。

アーチ状の木々を背景にし、中央に描かれているのは、15世紀の典型的なフィレンツェの装いをまとったヴィーナスです。頭上にいる天使は、三人の女神に弓矢を向けています。神話では、この三人の女性はしばしば快楽、貞操、美を表しますが、描かれている人物の具体的な正体は明らかになっていません。

左端には、ローマにおいて五月の神であるマーキュリーがケーリュケイオンを使い、灰色の小さな雲の群れを押しのけています。神々の使者として知られるマーキュリーは、特徴的な兜と翼のあるサンダルを身につけています。

右側では、ギリシャの西風の神ゼファーが、花と春を司るニンフであるクローリスを捕えようとしています。

・《誹謗》 1495年頃
(Public Domain /‘The Calumny of Apelles’ by Alessandro di Mariano di Vanni Filipepi. Image via WIKIMEDIA COMMONS)

本作品は1495年頃に制作された作品で、現在はウフィツィ美術館に所蔵されています。彫刻やレリーフで精巧に装飾された玉座の間にいる九人の人物が描かれており、それぞれ悪徳や美徳を擬人化したものや、王と犠牲者の場合は、強者と弱者の役割を表しています。この絵は全体的に美しくバランスが取れており、オッズの法則と三分割法にも当てはまっています。

ボッティチェッリは、座っている王のロバの耳の部分まで忠実に再現して描きました。この耳には、彼の脇にいる女性たちが何かを話しかけています。青の豊かな衣装を身にまとった「誹謗」の役割を担う女性は、髪の毛を付き添いの者によって整えられており、ローブをまとった細身の男性に案内されています。彼女が引きずっている男は、ほぼ全裸で、まるで十字架につけられるかのように足首を交差させて、祈りのために手を合わせています。

■おわりに

サンドロ・ボッティチェリはイタリア・フィレンツェを中心に活躍したイタリア・ルネサンスの巨匠のひとりであり、《プリマヴェーラ》や《ヴィーナスの誕生》をはじめとした作品は現在も傑作として研究の対象となり続けています。

ボッティチェリは晩年サヴォナローラの影響を受け、画風を神経質かつ硬質な表現に一変させ、それがきっかけとして人気を失い、その後は孤独の中で亡くなってしまいます。もしフィレンツェにサヴォナローラが現れなかったら、ボッティチェリの作品や表現はどのようなものになっていたのでしょうか。ボッティチェリの作品はフィレンツェを中心としたイタリア各地の美術館に所蔵されており、世界中から訪れる人々を魅了し続けています。

※本記事はコロナウイルス感染拡大より以前に執筆・掲載された記事です。

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